ニジェガローツキ-・ドヴォ-ル (トップページ)|ニジニ・ノヴゴロド紹介|ニジニ・ノヴゴロド州の人口|
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ニジニノヴゴロド・クレムリンの内側 中央に聳えるのは主塔「ドミトロフスカヤ塔」 |
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おことわり | ||||
ここに書いているニジニ・ノヴゴロドの様子は1996〜97年当時のものです。現在では大きく変わっているところもあることをご留意下さい。 また、文中にロシア語表記を添えていますが、「通り」 улица [ウーリツァ]は ул. 、「広場」 площадь [プローシャチ]は пл. と略しています。 |
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【到着と第一歩】 | ||||
![]() 初めて目にするニジニ・ノヴゴロドだが、冬の早朝は日明けに至らず、まだ真っ暗。しかし、雪に覆われた街並みの所々に朝の営みの明かりが灯り、ここが大都市の一角であることが見て取れる。1月31日に神戸を出て、東京、モスクワを経由して、4日目にしてやっと憧れのニジニの地に立つ。感無量であった。 |
![]() 列車「ヤールマルカ号」の表示板 |
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![]() 今期の海外からの留学予定者は私一人だけということで、大学側の担当者が駅まで出迎えに来る手筈であったが、こんなに朝早く来てくれるのだろうかとの一抹の不安を持ちながらもロビーで待っていた。 待つことわずか数分、恰幅の良い紳士然とした中年と、まだ若い青年の2人のロシア人が自家用車で迎えに来てくれた。大学の国際部長とその助手のようであったが、もしかするとご子息だったかも知れない。 |
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![]() 橋の向こうには台地が見え、その斜面一帯には壮大な城砦「ニジニノヴゴロド・クレムリン」 Нижегородский Кремль が見える。未明の暗闇の下、古い街並みと、結氷したオカとヴォルガ、そして幻想的なクレムリンという光景のすべてが白い雪に覆われて、まるで昔の白黒映画の中にタイムスリップしたような感動を覚えた。 |
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![]() ヤールマルカの本館 1890年築 Главный дом Нижегородской Ярмарки |
![]() オカ川 と カナヴィノ橋 橋の向こうはヴォルガ河である |
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![]() ニジニの都心の街路は、この広場から放射状に延びており、一番北に位置するのが歩行者天国になり、ヴォルガを望む絶景として知られる「上ヴォルガ河岸通り」 Верхневолжская набережная 、その一つ手前が大学の建っている「ミーニン通り」である。 車は如何にも文教街風のミーニン通りを東に進み、「ニジニ・ノヴゴロド国立言語大学 Нижегородский государственный лингвистический университет им. Н.А. Добролюбова 」に到着した。 |
![]() 下から望むクレムリン 左上に見えるのはクレムリン12塔の一つ タイニツカヤ塔 Тайницкая башня |
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【寮と大学】 | ||||
![]() 9階全体で12部屋あり、これが4部屋ごと3区画に分けられている。トイレとシャワー室は1区画に一つ、台所は階全体共用で大きな1室が設けられている。後に知ったことだが、この9階に長期住むのは私以外には英国人の若い交換教員だけであった。残りの部屋は大学専用のホテルの役割を果たしており、特に通信教育生が試験を受けに来るときには全部屋が満員となっていた。(注、現在では状況が変わっています。) 部屋が割り当てられ、自室と鉄格子の鍵を手渡される。 「ジェジュールナヤ」と呼ばれる当直のおばさんに挨拶を済ませると寮を出て、国際部長は大学の建物を案内してくれた。 |
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![]() 大学寮 (正面が入り口) |
![]() 大ペチョールスカヤ通り |
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![]() 大学校舎内の各施設をひと通り案内されると、壁に貼られたニジニ・ノヴゴロドの市街地図を指して、市街を2分するオカ川の西(左岸の5区)は工業地帯で、東(右岸の3区)に比べて治安が悪く、あまり行かないようにとの説明を受けた。 |
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![]() ここは一も二もなく、ご案内いただく事にした。 |
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ミーニン通りと言語大学 | ||||
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