ニジェガローツキ-・ドヴォ-ル (トップページ)|ニジニ・ノヴゴロド紹介|ニジニ・ノヴゴロド州の人口||
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大ポクロフスカヤ(バリシャーヤ・パクロフスカヤ)通りにて |
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【ミーニン通りから上ヴォルガ河岸通りへ】 | |||
![]() ミーニン通り ул. Минина は、ヴォルガ河に平行して東西に伸びる街路で、西はクレムリン Нижегородский Кремль に端を発し、東をセンナヤ広場 пл. Сенная 広場までの1.8kmを結び、バスと路線タクシーがこの通りを運行しているが、道幅は片側1車線の2車線と、それほど広いものではない。 帝政時代には「ジューコフスカヤ通り」 ул. Жуковская と呼ばれていたが、後(おそらくソ連時代)に現在の名称に改められた。「ミーニン」とは、元はニジニ・ノヴゴロド肉屋で、1612年にモスクワをポーランド軍から解放した「クジマ・ミーニン公」 Кузьма Минин (コジマ・ミーニン Козьма Минин とも言う。「ミーニン・クジマ・ミーニチ」 Минин Кузьма Минич と書かれることが多い)に因んだもので、ニジニ・ノヴゴロドだけではなく、ロシア全体の英雄として知られている。 ![]() 国際部長に案内され、大学を出て西へ歩く。この辺りは静かな文教街といった趣である。学舎にそって少し行くと南北の街路「プロヴィアンツカヤ通り」 ул. Провиантская との十字路に出る。通りを挟んで斜め向かいには、ニジニノヴゴロド工科大学がある。 |
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![]() ミーニン通り センナヤ広場方面より |
![]() 上ヴォルガ河岸通り ホテルやレストランもあり、市民の散歩道でもある |
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![]() さて、国際部長に案内されるままにプロヴィアンツカヤ通りを北に、つまりヴォルガに向かって曲がった。ニジニを代表するヴォルガを見下ろす絶景の「上ヴォルガ河岸通り」 Верхневолжская набережная はすぐ目の前である。 |
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![]() 上ヴォルガ河岸通りに立つと、ヴォルガから北に広がる大地を一望する正に絶景である。国際部長はヨーロッパ100景の一つに数えられるような説明をしていたが、それも頷ける。 |
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![]() 上ヴォルガ河岸通りより北、ヴォルガを望む 対岸はガラス工芸の街、ボル市 |
![]() 上ヴォルガ河岸通りから西を望む ヴォルガ河とオカ川の合流点付近が見える |
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![]() 途中に「オクチャブリスカヤ・ホテル」 Гостиница Октябрьская の向かいにある「アメリカン・レストラン」に立ち寄り、ここに来ればそこそこの食にあり付けるといったような説明であったが、メニューにある価格を見ると、確かに円に換算して考えれば、幾分日本より安いような気もするが、一般のロシア人にとってはかなりの高値のようである。私も最初のうちは頻繁に通っていたが、ニジニでの生活に慣れてくるうちに安い食堂を利用するようになり、次第に行かなくなった。今は無職の身である。贅沢は出来ない。 |
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【ピスクノフ通りを経て都心へ】 | |||
![]() この通りはクレムリンを500〜200m離れて囲むように半円状に結ぶ通りである。 ロシアの古い都市によく見られる構造は、城塞(クレムリン)を拠点に放射状の街路が各方向に延び、それらをクレムリンを中心とした同心円状のいくつもの環状線がクモの巣の様に結んでいるといったものがある。モスクワなどはその典型である。 ニジニ・ノヴゴロドの場合はクレムリンの北側はヴォルガに下る絶壁を成し、そういった地形状の制約のために完全な環状道路という形にはなっていないが、地図を見れば幾つかの道路が円弧を描いているのが分る。このピスクノフ通りもその一つである。 ![]() 肉類、野菜類、パンなどの食料品が主だが、文具、書籍、化粧品、テレビなどの日用品が売られていた。寮暮らしをしていく上で、大体の日常必需品はここで揃いそうである。 この辺りから銀行や商店が並び、路上のキオスクも増えて、都心に近づいていることを実感する。 |
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![]() 重々しい石造りの古い建物が続く。しばらくするとロシアによくある「ルイノック」 Рынок と呼ばれる屋外マーケットが左に見えてきた。よく日本の旅行パンフレットの予定表などに「自由市場で買物」と書いているが、だいたいはこういった所で買い物をするようである。 ここは100件ほどはありそうな売店の集合で、近くにある広場「チョールヌイ・プルート」 Чёрный Пруд の名から、「ルイノック・チョールヌイ・プルート」と呼ばれている。全く関係はないのだが、「チョールヌイ・ルイノック」と言えば「闇市場」のことで、無関係とは解りながらも「胡散臭い名前」だと感じてしまった。 ここで売られているのは、衣料品が主で連日賑わっていた。売り子の皆さんも結構商売上手に思えた。 |
![]() ピスクノフ通り 前方に少し見える木立は「チョールヌイ・プルート」 |
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![]() なお、この広場と自由市場の間にはニジニの市街電車の拠点の一つ、「チョールヌイ・プルート停留所」がある。ここには主に鉄道駅前の「モスクワ駅」 Московский вокзал とを結ぶ1号線と、クレムリン西方のニジニノヴゴロド区の市街地を環状線で運行する2号線の始発点になっている。 特に2号線は寮のある大ペチョールスカヤ通りと繁華街・パクロフカを結んで運行しており、大変お世話になった路線である。 |
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![]() チョールヌイ・プルートを過ぎ、ピスクノフ通りをそのまま進む。通りは既に南から西に曲がっている。 電器店などの商店や、喫茶店、食堂が並ぶ「アレクセーエフスカヤ通り」 ул. Алексеевская との交差点に差し掛かる。そのままピスクノフ通りを進むとすぐにニジニ第一の繁華街・パクロフカに出るのだが、ここは寄り道で右(北)に曲がり、アレクセーエフスカヤ通りを歩く。わずか200mでこの通りはクレムリンに続くメイン広場「ミーニンとポジャルスキー広場」 пл. Минина и Пожарского に行き当たる。 |
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![]() ニジニ・ノヴゴロドでは、この広場を専ら「ミーニン広場(プローシャチ・ミーニナ)」と呼んでいる。「ミーニンとポジャルスキー広場」が正式な名称だが、そう呼ぶ人を聞いた事がない。裏を返せば、それだけこの広場が市民の生活に親しまれている証左であろう。 ただ、「広場」といっても別に娯楽施設のようなものはない。道端で花売りの出店が並んでいるのと、一角にこじんまりした並木広場が整備され、そこにカフェのような店がある程度だ。また、「広場」の大部分は広い路上にあたり、そこがバスターミナルやトロリーバスの始点の役目を果たしている。 |
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![]() 賑わうミーニンとポジャルスキー広場 左に聳えるのはクレムリンの主塔 ドミトロフスカヤ塔 Дмитровкая башня |
![]() ミーニンとポジャルスキー広場 アレクセーエフスカヤ通りから望む |
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![]() アレクセーエフスカヤ通りを出て、「広場」の南端をほんの数十歩行くと「パクロフカ」 Покровка の愛称で呼ばれる、ニジニ随一の繁華街「大ポクロフスカヤ通り」 ул. Большая Покровская の入り口に出る。 |
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![]() この通りはあらゆる商店やレストランが軒を連ね、劇場や銀行などもある。19世紀の写真そのままの建物も数多く、味のある雰囲気を醸し出す街の景観を大事にしているのがよく分る。19世紀の写真との違いは、当時はこの通りに路面電車が走っているが、今では撤去され歩行者天国(ミーニン広場―マキシム・ゴーリキー広場間)となっているぐらいである。 |
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![]() 大ポクロフスカヤ通りの賑わい |
![]() 大ポクロフスカヤからミーニン広場方面を望む |
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![]() 早朝の出迎えから続いて、ニジニの景観を楽しみながら今後の生活に欠かせない場所の数々を教えて頂き、心より感謝である。 ![]() ここは元来た道を辿って、当座の食料でも調達しながら歩いて寮に戻るほうが賢明である。 大ポクロフスカヤ通りを最後まで歩きたかったが、後日に譲ることとしよう。 |
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こうして、私のニジニ・ノヴゴロドでの第一歩は感動(と不安)のうちに幕となった。 |
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