ニジェガローツキー・ドヴォール掲示板 ヤールマルカ
 
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No.164 はじめまして ペテルブルク さん [2004/01/11(日)02:18:51]
はじめまして。ロシアのサンクトペテルブルク在住の者です。
ニジニノブゴロドへは、昨年秋に旅行に行ったことがあり、HPを見て懐かしく思い出しま
した。
ロシアでは有名な「ゴーリキー自動車工場」に博物館が併設されていて、かの「チャイカ
」などを見られるのを楽しみにしていたのですが、あいにく休館日だったのが残念でした
。ニジニノブゴロドというとミグ29等軍用機の製造では知られていますが、「ボルガ」や
マルシュルートカなども作られているのですね。
ところで、私の住むペテルブルクとニジニノブゴロド両市とも「モスクワ駅」がある点は
共通ですが、それ以外に「モスクワ駅」を持つ都市というのはどこがあるのでしょうか。
ヤロスラブリ・モスクワ駅と、キエフ・モスクワ駅は確認していますが。もしご存知の方
がいらっしゃれば教えてください。
No.165 モスクワ駅のある都市 ニジェガロージェッツ [2004/01/11(日)11:29:02]
ペテルブルクさん、はじめまして。ロシアからようこそお越し下さいました。
ピーチェルにお住まいとは、なんとも羨ましい・・・。
ニジニへもご旅行されたようですが、ピーチェル(ペテルブルク)から見れば、随分との
んびりした街に思われたのではないでしょうか?
ゴーリキー自動車工場の博物館には、残念ながら小生も行った事はありません。ゴーリキ
ー自動車工場の傍はロシア人が自家用車で市内見物に案内してくれた時に通りました。自
動車工場に沿って地下鉄が走っているのですが、工場の両端まで4つも駅がある巨大なも
のでした。

さて、「モスクワ駅」
(Московский вокзал[マスコーフスキー・ヴァグザール])のある都市
についてですが、手持ちの鉄道地図帳(1993年)で調べてみました。資料としては古いも
のですが、旧ソ連全土の駅名が網羅されているものです。
結果、「モスクワ駅」のある都市は、サンクト=ペテルブルク、キエフ、ニジニ・ノヴゴ
ロドの3都市のみでした。思ったより少ないです。
ペテルブルクさんがご確認されたヤロスラヴリには、小生も1997年に行った事がありまし
たが、当時市内には2つの「ヴァグザール」があり、一つは「ヤロスラヴリ=グラーヴヌ
イ」、もう一つが単に「ヤロスラヴリ」でした。
今現地のサイトで確認すると、後者の「ヤロスラヴリ」が「モスクワ駅」となっているよ
うです。新鮮な情報ありがとうございました。
あと検索サイトで調べた結果、トゥーラ市の「トゥーラ1駅(スタンツィヤ)」が「モス
クワ駅(ヴァグザール)」と呼ばれているようです。
http://home.tula.net/edward/transp/photo/tula1-2.html
前述の手持ちの地図では、「トゥーラ1-クルスカヤ」となっていますが、ここも改名さ
れたのかも知れません。

ペテルブルクさん、また現地からの新鮮な情報、期待しております。
今後も宜しく御願い申し上げます。
参考: http://www.infoyar.ru/trans.php?id=train3
No.166 Re: モスクワ駅のある都市 ペテルブルク さん [2004/01/13(火)02:38:06]
わざわざ調べていただいて、どうもありがとうございました。
「モスクワ駅」、意外に少ないのですね。もう少しあるのかと思ってました。
一般に「モスクワ駅」の呼称が使われている場合も、実際の乗車券の表示は、ペテルブル
クのモスクワ駅の場合「ГЛ(グラーブニー・バグザール)」となっていて一貫性があり
ませんね。モスクワのレニングラード駅は「МОСКВА ОКТ」ですし。
今後とも宜しくお願いします。
No.167 御礼とお知らせ ニジェガロージェッツ [2004/01/14(水)01:21:57]
ペテルブルクさん、面白いお話有難うございました。

: 一般に「モスクワ駅」の呼称が使われている場合も、実際の乗車券の表示は、ペテルブル
: クのモスクワ駅の場合「ГЛ(グラーブニー・バグザール)」となっていて一貫性があり
: ませんね。

恥ずかしくもペテルブルクに行った事のない小生は、これは存じませんでした。

: モスクワのレニングラード駅は「МОСКВА ОКТ」ですし。

これは興味深いですね。というのは、ロシアの鉄道区分では、モスクワ周辺を「マスコー
フスカヤ」など、大体中心となる都市名や地域名、方角を鉄道名としているようですが、
サンクト=ペテルブルクを中心とした鉄道は「オクチャブリスカヤ」と呼ばれ、その先端
はモスクワのレニングラード駅のようです。
恐らく、「МОСКВА ОКТ」の「ОКТ」はこの
オクチャブリスカヤ(Октябльская Железная Дорога)の略
だと推察出来そうです。

ペテルブルクさんのまたのご登壇、楽しみにしております。


《お詫びとお知らせ》
拙「ニジェガローツキー・ドヴォール」では、現在人口1万人以上の町のデータを収集中
ですが、その作業で既存のページのデータの一部に誤情報を発見しましたので、訂正する
とともに深くお詫び申し上げます。

■ウラル連邦管区 市一覧ページ
スヴェルドロフスク州「ターリツァ市」の位置
誤[北緯61°06' 東経60°32' ] → 正[北緯57°00' 東経63°44' ]
基になった複数のロシア側のサイト情報がともに誤っていたためで、近隣の「トロイツキ
ー町」の位置を調べている際に発見しました。位置データは地図上の位置を「ものさし」
で測って算出(ローテクそのもの・・・恥)。

■新市の発見
ロシアのサイトにて、モスクワ州の町一覧から「チェルノゴロフカ」が消えており、調べ
たところ2001年に市に昇格していることが確認出来ましたので、「中央連邦管区 市一覧
ページ」に「チェルノゴロフカ」を追加し、市の総数を1098市と訂正しました。
同市はモスクワの北東、ノギンスク地区にあり、2001年人口19,000人で、前年より100人
減少しています。
市に関するサイトを見つけましたのでご参考まで(ロシア語ですが)
http://chernogolovka.net/
No.168 はじめまして たなかたかし さん [2004/01/15(木)00:30:58]
たなかたかしと申します。

2002年の国勢調査のデータを探していて、このサイトを見つけました。
非常にすばらしいデータがきちんと整理されていて、感動いたしました。
No.169 2002年全露国勢調査データ ニジェガロージェッツ [2004/01/15(木)02:06:18]
たなかたかしさん、はじめまして。
拙サイトに対し勿体無いお言葉、恐縮です。
2002年の国勢調査のデータをお探しとのことですが、ロシア連邦国家統計委員会(ゴスコ
ムスタート)のサイトには、もう行かれましたでしょうか?
(#既にご存知でしたら、ご容赦下さい)
http://www.gks.ru/
ロシア語のサイト(一部に英語もあり)ですが、国勢調査の集計結果の概略が公表されて
おり、小生も大いに参考にさせて頂いております。
拙サイトにも、ゴスコムスタートのデータの中から、都市人口データで面白そうなものを
選び、それに手持ちの紙資料などから過去のデータなどを加えて作成したページが多くあ
ります。
是非ご参考になさって下さい。

今後とも宜しく御願い申し上げます。
No.170 征露百年 大陸浪人 さん [2004/01/16(金)13:43:48]
ふむ、賑わっておりますな。今は多忙ゆえ、折りを見て再訪いたします。
No.171 Re: 征露百年 ニジェガロージェッツ [2004/01/17(土)21:48:56]
大陸浪人さん、ようこそお越し下さいました。
: 折りを見て再訪いたします。
ひとつお手柔らかに願いたく存じます。
No.172 10000カウントおめでとうございます!! YSK さん [2004/01/17(土)23:29:17]
ついに、10000カウント達成ですね!

益々のご発展を、心よりお祈りいたします!!
No.173 10000カウントおめでとうございます!! でるでる さん [2004/01/17(土)23:51:11]
こんばんは。ご無沙汰しております。でるでるです。
10000カウント達成おめでとうございます。
10000カウントのYSKさんに続き、私は10001番でした。

今後の、更なるご活躍と、貴重な情報の発信に期待いたしております!!

これからも、よろしくお願いいたします。
No.174 私の1・17 utt さん [2004/01/18(日)00:26:54]
 日付変わりましたが、今朝は土曜日で仕事がないというのに、何故かいつもより早く目
覚めました。時計を見たら5時45分。そっかあ。あれから9年も経過して、被災した西
宮から遠く離れた地にいても、あの恐ろしい体験は体が覚えているものですね。
 しかし9年も経ったら、流石に報道される記事も小さくなり、世間ではだいぶ風化して
しまったのかと思うと寂しいものです。まあ一見すると街はかなり復興しているように見
えますが、見えない所でまだ再建に向けて戦っている人が沢山いますからね。沢山の方が
一瞬で亡くなった寒い冬の中、あの瓦礫の中から這い上がり、今生きていることでさえ神
様がくれた幸運だと思い、お互いに前向きに生きていきましょう!!
No.175 祝☆ 10000ヒット達成! ニジェガロージェッツ [2004/01/18(日)01:22:22]
YSKさん、でるでるさん、拙サイト10000ヒット達成に際してコメントをお寄せ頂き、有難
うございます。
2003年7月25日の開設以来、半年足らずで10000ヒットに達するとは全くの予想外でした。
これも拙サイトをご愛顧下さっておられる皆様のお蔭です。
#それにしても、よりによってあの1.17に10000ヒットとは、恐れ入りました。(苦笑)

そして皆様の貴重なサイトに拙サイトへのリンクを張って下さった、グリグリさん、YSK
さん、Issieさん、兵庫県日本ロシア協会さん、石川顯法さん、тайхакуさんに加
え、『Yahoo! JAPAN - 地域情報』『WORLDNAVI.NET』『旅行リンク Travel Page』『Excite
 エキサイト』の各サイトからもご紹介頂いております。
この場を借りて深く御礼申し上げます。

今後とも変わりないご愛顧の程、御願い申し上げます。
No.176 Re: 私の1・17 ニジェガロージェッツ [2004/01/18(日)01:51:58]
uttさん、阪神淡路大震災1.17へのメッセージ有難うございます。
お互いあの災禍では被災地の東西(西宮と長田)で辛い目に遭いましたが、仰る通り生き
残った幸運を第一と思いましょう。
小生のような不埒者は、あの震災がなかったらそのままの日常が続いていた筈で、ロシア
へ行くような決断はつかなかったと思います。

こちら地元では昨日の1.17にはいろいろと特集番組が放送されていましたが、全国的には
大した報道はなされていないように思います。しかしこれから10年目を迎える訳ですが、
まだついこの間のようにも感じます。それだけ身の周りの神戸・長田区は復興から程遠い
現状を物語っていると言えるかもしれません。

昨日は何時になくに寒く、どんよりとした曇り空の下、雪の積もった六甲の峰々が見えて
いましたが、9年前のあの日も芯から冷えた一日で、「雪空」の下、「粉雪」が舞ってい
たような光景が脳裏から離れません。もっとも当日の実際の天候は快晴で、「雪空」の正
体は長田大火からのどす黒い煙、「粉雪」は延焼家屋から舞い上がった火の粉が灰になっ
て降下したものでしたが。

分ってはいますが、1.17となるとつい感傷に浸ってしまいます。
お目汚し失礼しました。
No.177 Re2: 私の1・17 月の輪熊 さん [2004/01/18(日)03:57:49]
こちらには久しぶりに書き込みます。

私は幼い頃に乗り降りしたことのある(母方の親戚が住んでいた)阪急伊丹駅が倒壊した
映像に衝撃を受け、また少なからぬ縁のある関西の一角で、毎日数百人単位で犠牲者が増
えていく状況に居ても立ってもいられなくなり、義援金を送るだけではもの足りず、震災
から2ヶ月後、「ボランティアもどき」に行きました。
もっと早く行こうと思いましたが、弟が受験を控えていて、「インフルエンザになって帰
ってこられたら困る」と母に止められていたため、3月に入ってから被災地へ発ったので
した。

3日間はまず、西宮市の海の近くにある中学校の体育館にあった救援物資を、神戸市との
境に近い物流センターに移す作業に従事し、そして肉体労働だったこともあって1日休ん
だ後、芦屋市で6日間活動したことになってはいます。
1日目には海に近いところのあるお宅で、液状化で出た砂をスコップで掘り、そして2日
目からは「カウンセリング部」に入って、看護婦や保健婦の資格を持った人にくっついて
一人暮らしの老人宅や避難所を訪問したりしました。

しかし、私にできたことはこれだけでした。
行く前には「ボランティアに行くぞ」という使命感に燃え、新幹線で帰るときにはそれな
りの満足感をもっていましたし、芦屋市長の公印入りの「ボランティア証明書」も手元に
あります。
しかし、3ヶ月間被災地をバイクで回り、救援物資を配って歩いたという現長野県知事の
田中康夫氏などから比べたら、全然大したことはしていません。

当時大学生だった私には資金的にも時間的にも限界があり、田中氏と同じようには行動で
きなかった事は明らかです。
しかし、西宮でした事といえば、被害のほとんどなかった地域で、しかも実家のすぐ裏に
ある佐川急便の営業所でもできたことです。
もっと被災者と直接関わりたい、と思って行った芦屋でも、看護婦や保健婦の資格を持っ
た人にくっついて歩いただけ。
しかも10日で引き揚げてしまった・・・。

結局私がしたことは、「半分観光」のような「ボランティアもどき」でしかなかったので
はないかと、今になって思っています。
震災の翌年の教育実習で、母校の生徒たちの前でボランティア経験について話したり、2
年ほど前まで「阪神大震災の被災地でボランティアをしてきた」と周りの人に公言し(「
落書き帳」でもちょろっと書きましたが)、間違いだらけの人生を歩んできた私にとって
の唯一の誇りのように思っていた時期がありましたが、今考えてみると、そんな自分が情
けないです。

せめて1ヶ月いれば、もっともっと被災者のためにいろいろなことができたし、仕事面や
人間関係で壁にぶち当たっている今のような状況でも、こんなふうには考えなかったと思
うのですが。

1・17にあたり、使命感に燃えて被災地へ行きながら、結局何もできなかったことへの
自戒ということで、失礼いたします。
No.178 レスとお知らせ。 ニジェガロージェッツ [2004/01/20(火)23:45:01]
月の輪熊さん、震災ボランティアでの貴重なご体験談、有難うございました。
小生は自身がその地にありながら、何一つボランティアにかかわることなく、我が事に専
念しておりました。遠く関東(の方でしたね)から被災地の支援に駆けつけて下さった月
の輪熊さんを思うと恥ずかしい限りです。大変遅くなりましたが、ご支援を受けたものの
一人として、深く御礼申し上げます。

さて、このあたりで話をロシアに戻します。

拙ホームページでは、先日人口1万人以上の302町の一覧表が完成しました。これで、ロ
シアの人口1万人以上の都市を網羅し、既存の1098市を合わせると合計1400都市のデータ
が出揃った事になります。
(実際にはパラナ町―コリャーク自治管区、アギンスコエ町―アガ・ブリヤート自治管区
、トゥラー町―エヴェンキ自治管区、およびウスチ=オルドィンスキー村―ウスチ=オル
ダ・ブリヤート自治管区を加えると1403都市1村)
また、No.153〜155でtoshさんが詳しくご紹介下さった閉鎖都市にあるように、まだ公表
されていない「秘密都市」の存在も考えられますので、まだ他にも人口1万以上の都市の
存在は否定できませんが、取り敢えずこれで完成とさせて下さい。
もちろん、さらに人口の少ない都市(町)を掘り下げてまとめることも可能ですが、地図
上での確認、位置算出、地区割りの判断(郵便番号を知る上で不可欠)、地名発音の確認
を考えると作業として膨大なものになるため、根気が続かず、今のところ予定しておりま
せん。

それよりも、市一覧表の「ロシア語表記」の部分を利用して、当該都市の情報サイトへの
リンクを張る作業を進めようと考えております。
もうお気付きの方もおられるかも知れませんが、「極東連邦管区の市一覧」で実験的にや
ってみました。
リンク先は各自治体の公式サイトに張るのが理想ですが、検索に引っかからないものがほ
とんどです。そこで、情報サイトであれば代用できるものはリンク先にしようと考えてい
ます。
残念ながら現地のサイトはロシア語だけのものも多いですが、一部に英語のページもあっ
たりします。たとえ言葉が分らなくとも掲載されている写真を見るだけでも、その土地の
雰囲気が伝わるものと考えます。

皆様のお考えを大いに参考にさせて頂きたく思いますので、ご意見をお聞かせ頂ければ幸
いです。
参考: http://www.hi-net.zaq.ne.jp/nizhniy-kobe/cities.dalny-vostok.htm
No.179 そこで今夜はイカチリン! イカチリンブールジェッツ さん [2004/01/30(金)20:46:07]
こんばんは。
私の頭の中では今でもエカテリンブルグはスベルドロフスクのままです。
でも、なぜかエカテリンブルグは覚えやすくて好きな都市名の1つです。
そこで今夜はイカチリン!。
ところで、ロシアの田舎の人たちも大都市への憧れを抱いているのでしょうか。
もちろん、個人差はあるでしょうけれど。
仮に大都市に憧れたとして、
シベリアの田舎からモスクワやレニングラードに移り住むことは簡単にできるのでしょう
か。
何か許可制度があるのかな?なんて思ってしまいますが、こんな考えは時代錯誤でしょう
か。
No.180 大都市住民になるのは簡単か? ニジェガロージェッツ [2004/01/30(金)22:15:25]
軒・・じゃなかった・・・イカチリンブールジェッツさん、こんばんは。(笑)

: 私の頭の中では今でもエカテリンブルグはスベルドロフスクのままです。
確かに今でも州名は「スヴェルドロフスク州」のままですね。
市名はいち早くエカテリンブルグに戻しましたが、市外の州民のことはどう呼ぶのか面白
そうです。未だに「スヴェルドロヴェッツ」??

: ところで、ロシアの田舎の人たちも大都市への憧れを抱いているのでしょうか。
首都モスクワは資本主義路線を邁進し、多くの中間所得層が生じており、一方の地方では
多数が貧困層に属しているとされる現状では、憧れ以上に切実な問題ではないかと思いま
す。実際に地方の大学では、卒業後は多くがモスクワへ出て行く(か、外国へ行く)よう
に伝え聞きます。

: 仮に大都市に憧れたとして、
: シベリアの田舎からモスクワやレニングラードに移り住むことは簡単にできるのでしょう
: か。
: 何か許可制度があるのかな?なんて思ってしまいますが、こんな考えは時代錯誤でしょう
: か。
あくまで卑見ですが、おそらく、喰い口さえ確保できれば移り住むこと自体は問題ないは
ずです。ただ、実際にそこの市民になるのは簡単ではない気がします。
モスクワ市の人口データが2001年まで840万人前後で推移していたのが、2002年国勢調査
で一気に1000万人を突破しているのが、その証左であると考えます。
住民であっても市民でなければ、パスポート申請など手続きに必要な各種証明書はいちい
ち郷里(住民登録しているところ)から取り寄せねばならず、結構煩わしいようです。
No.181 Re: 大都市住民になるのは簡単か? господин Отшельник [2004/02/03(火)01:08:03]
: : ところで、ロシアの田舎の人たちも大都市への憧れを抱いているのでしょうか。
: 首都モスクワは資本主義路線を邁進し、多くの中間所得層が生じており、一方の地方では
: 多数が貧困層に属しているとされる現状では、憧れ以上に切実な問題ではないかと思いま
: す。
ロシアで資本主義路線の恩恵を受けている人は少数派です。
それもモスクワなど大都市の一部に限られます。
石油輸出などの収入がまともな投資に振り向けられることがなく、贅沢品の購入に充てら
れているというのが現実ですね。
石油、ガス会社など大企業、財閥のぼろ儲けのおこぼれで潤う人たちがそれなりにいると
いう程度でしょう。
都市と地方の差は日本の比ではありません。
真冬のシベリアで(それも人口100万人以上の大都市)で暖房が止まる、町の中心の道路
のど真ん中に直径3メートルくらいの穴が空いたままになっているといった状況が続いて
いるのですから。
状況が許せば、環境の良いところに移り住みたいと多くの人が思っているようですよ。

:実際に地方の大学では、卒業後は多くがモスクワへ出て行く(か、外国へ行く)ように伝え聞きます。
優秀な人間ほど上記の傾向が強いようです。
医者やコンピューター技術者などはアメリカやカナダを目指しているようです。
同じ仕事をして給料が10倍以上違うようでは....
小生の妻の弟(心臓外科医)もその例に漏れません。
徴兵制度があることも大きな要因のようです。

ちなみに、小生の妻はエカテリンブルク出身です(育ったのはモスクワですが)。
エカテリンブルクについていろいろ聞いてみましょう。
No.182 Re2: 大都市住民になるのは簡単か? ニジェガロージェッツ [2004/02/05(木)02:04:37]
Отшельникさん、お久しぶりです。そしていつもながらの的確なフォロー有難う
ございました。

: 石油輸出などの収入がまともな投資に振り向けられることがなく、贅沢品の購入に充てら
: れているというのが現実ですね。
: 石油、ガス会社など大企業、財閥のぼろ儲けのおこぼれで潤う人たちがそれなりにいると
: いう程度でしょう。
小生がロシア滞在中の1996〜97年当時は、確かにそういった印象を受けましたが、今でも
あまり変わっていないのでしょうか。悲しい現実です。

: 真冬のシベリアで(それも人口100万人以上の大都市)で暖房が止まる、町の中心の道路
: のど真ん中に直径3メートルくらいの穴が空いたままになっているといった状況が続いて
: いるのですから。
シベリアのおぞましい現状です。寒いシベリアでスチーム暖房が止まることを考えるだけ
で恐怖です。
ニジニノヴゴロドではこういったことはありませんでしたが、それだけ中央に近いからで
しょうか。とはいえ温水が数週間止まることは当り前で、しばしば断水すらありました。

: エカテリンブルクについていろいろ聞いてみましょう。
有難うございます。エカテリンブルクといえばスヴェルドロフスクと呼ばれたウラルの工
業都市で閉鎖都市だったことや、ニコライ2世の皇帝一家が惨殺されたことで知られるく
らいで、日本には馴染みの薄いところだけに、楽しみです。
No.183 ふうっ 琉球の風 さん [2004/02/06(金)22:24:10]
ニジェガロージェッツさん、どうもお久しぶりです。年明け早々からインターネット及び
パソコンの全般にに不具合が生じ、(それでもグリグリの落書き帳に新年挨拶はどうにか
こうにかしたものの)以来パソコンの立ち上げるだけで1時間近くかかるという大変な事
態になってしまいました。ネットを開こうにも接続するのにまた1時間と、とても待って
られる状態ではなかったので、パソコンに触れる機会も少なくなり、大変ご無沙汰してお
りました。今日、どうにか復旧しましたので早速挨拶に上がらせていただきました。(あ
んなに悩んだ原因については、自分の無知を露呈してしまう程、お粗末なミスだったので
ここでは触れずにおきましょう。)さて、ほぼ二ヶ月ぶりで、トップページが新装してい
るのも知らずにいた私が恥ずかしく思えます。これから遅延しているHP作成に並行して、
またちょくちょく寄らせていただきますので、長い目で見守ってください。
No.184 Re: ふうっ ニジェガロージェッツ [2004/02/06(金)23:58:01]
琉球の風さん、ようこそ復旧早々に駆けつけて下さいました。
: パソコンの全般にに不具合が生じ、(それでもグリグリの落書き帳に新年挨拶はどうにか
: こうにかしたものの)以来パソコンの立ち上げるだけで1時間近くかかるという大変な事
: 態になってしまいました。ネットを開こうにも接続するのにまた1時間と、とても待って
: られる状態ではなかったので、パソコンに触れる機会も少なくなり、大変ご無沙汰してお
: りました。

ご苦労お察し申し上げます。
こちらのマシンも古くなってきました。「ギヤー」と叫ぶようなトラブルに陥らないとも
限りません。小生も相当なハイテク音痴です。(笑)

: さて、ほぼ二ヶ月ぶりで、トップページが新装しているのも知らずにいた私が恥ずかしく
: 思えます。
いやいや、とんでもない。
ロシアの数ある民芸品を見ると、黒をベースにしたものが多いと感じでいます。そのイメ
ージでトップページをロシアっぽくするために背景色を黒に変えたのですが、予告なしに
やったので、うちに来て「マシンがおかしくなった!」と思われた方がいらっしゃれば、
申し訳ありませんでした。

: これから遅延しているHP作成に並行して、またちょくちょく寄らせていただきますので、
: 長い目で見守ってください。
こちらも最近は新ネタが滞りがちです。お互いマイペースでぼちぼち(関西風の表現)や
っていきましょう。
No.185 ☆緊急☆ ウィルスメールにご注意 ニジェガロージェッツ [2004/02/10(火)03:08:08]
1月末ごろより、新種のウィルス「Mydoom マイドゥーム」が流行しています。
現にニジェガローツキー・ドヴォールの私宛にリンクしているフリーメールアドレスにも
しばしば当該のウイルスメールが送られて来ます。

「マイドゥーム」の特徴として、
●件名は「hello」「hi」「test」など
●サイズは30キロバイト程度
●拡張子が.zip .exe .pif .cmd .scr を持つ添付ファイルを伴うが、特に.zipが多い

が挙げられ、添付ファイルを開かなくても、プレビューにメール文を出すだけでウィルス
に感染するようです。
もし受信した場合は、即刻削除して下さい。

もし、皆様の元に nizhegorodets@ で始まるメールが届いても、上記のような特徴があ
れば、それは私ではありません。
私はそのフリーメールアドレスを受信専用に用いており、送信する場合のほとんどは全く
別のアドレスを使用しています。

くれぐれもお気を付け頂きますよう、お願い申し上げます。
No.186 寝台特急「ボルガの女」号? ペテルブルク さん [2004/02/17(火)06:19:03]
こんばんは。お久しぶりです。

「都市住民の呼称」拝見しました。ニジガロージェッツさんのユニークな企画力(?)に
は脱帽します。

ロシアの都市住民の呼称というと、個人的には、長距離列車の列
車名に使われている例を思い出します。ロシア語のHP

http://www.telegram.tsi.ru/advboard/read_msge.asp?id=13782&rfr=defaulte.asp&aid=2&st=13782

で調べてみたところ、現在の列車名と一致しないものも多い上、臨時列車も含まれている
ので確認が出来ないものも多いのですが、

モスクワ〜ニジニノブゴロド 「Нижегородец」号
モスクワ〜ニジニノブゴロド 「Горьковчанин」号
モスクワ〜エレッツ 「Елечанин」号
モスクワ〜トムスク 「Томич」号
ペテルブルク〜ボロネジ 「Воронежец」号

のほか、ウクライナにも似た例は多数あるようです。厳密には「都市」住民ではありませ
んが、傑作はペテルブルク〜ヤロスラブリ間の「Волжанка」号。さしずめ寝台特
急「ボルガの女」ですかね・・・。エカチェリンブルク近郊では「ウラルの女」も走って
るようです。

ここからは若干脱線ですが、せっかくの列車名なのだからロシア鉄道ももっと宣伝すれば
いいのにと思うのは私だけでしょうか。

当地ペテルブルク発着の列車でも、カリーニングラード行き「琥珀海岸」号とかイワノボ
行き「繊維地帯」号とか、ユニークな名前の列車も少なくないのですが、一般に認知され
ているのはモスクワ行きの一部の特急だけのようです。

年末年始にウクライナを旅してきたのですが、ウクライナ国鉄がテレビCMで「ハリコフ〜
キエフの旅は特急『スタリーチニーエクスプレス』で!」などと盛んに宣伝しているのと
比べると、ロシア人はのんきというか商売が下手というか・・・。飛行機にお客を取られ
るまでは、PRの必要もないということでしょうかねぇ。

長くなり失礼しました。
No.187 Re: 寝台特急「ボルガの女」号? ニジェガロージェッツ [2004/02/18(水)00:44:49]
ペテルブルクさん、面白いお話ありがとうございました。
リンクして頂いた長距離列車の列車名の書かれたロシア語のHP、興味深く拝見しました。

この中にある
「Ярмарка」(ヤールマルカ号 モスクワ―ニジニノヴゴロド)
「Нижегородец」(ニジェガロージェッツ号 モスクワ―ニジニノヴゴロド)
「Поволжье」(パヴォルジエ号 ニジニノヴゴロド―カザン)
には、随分とお世話になりました。いやぁ、懐かしい!

それにしても「Волжанка」号(ヴォルガの女)に「Уралочка」号(ウラ
ルの女)ですか。
これは意外でした。
というのはロシア語で列車はПоезд[ポーエスト]で男性名詞ですから、その列車名も
男性形を採るものだと思っていました。確かに住民の呼称を採るものは男性名が多いよう
ですが。

: ここからは若干脱線ですが、せっかくの列車名なのだからロシア鉄道ももっと宣伝すれば
: いいのにと思うのは私だけでしょうか。
: 
: 当地ペテルブルク発着の列車でも、カリーニングラード行き「琥珀海岸」号とかイワノボ
: 行き「繊維地帯」号とか、ユニークな名前の列車も少なくないのですが、一般に認知され
: ているのはモスクワ行きの一部の特急だけのようです。

仰る通りに感じます。ロシアでの列車の旅は結構風情があって気に入っています。列車の
4人部屋のコンパートメントに入って初めて「ロシアに来た」と実感するほどです。
確かに2人連れの胡散臭いオッサンと乗り合わせるのは緊張しますが(笑)
「琥珀海岸」とか「繊維地帯」といったネーミングも旅の魅力を掻き立てるものですね。

: 年末年始にウクライナを旅してきたのですが、ウクライナ国鉄がテレビCMで「ハリコフ〜
: キエフの旅は特急『スタリーチニーエクスプレス』で!」などと盛んに宣伝しているのと
: 比べると、ロシア人はのんきというか商売が下手というか・・・。飛行機にお客を取られ
: るまでは、PRの必要もないということでしょうかねぇ。

日本でもテレビでJRのコマーシャルが盛んに流れていますが、96-97年当時、ロシアで鉄
道局のコマーシャルは見たことがありませんでした。(気が付かなかっただけかもしれま
せんが)
そんなところがロシアっぽいといえば、そうですが・・・。
No.188 ロシアの列車名 ペテルブルク さん [2004/02/19(木)14:34:33]
ニジガロージェッツさん、レスありがとうございました。

ロシアの鉄道というと、以前はどこへ行っても「ぶしつけな車掌、不潔なトイレ、何も無
い食堂車」がつきものでしたが、最近は汲み取り式トイレが登場したり、車内誌を発行し
たり、インターネットで運賃・空席の照会が出来るようになったり(www.rzd.ru)、改善
されつつあるのはロシア在住者には嬉しいことです。
手元の車内誌ではモスクワとヤマロ・ネネツを結ぶ列車が紹介されていますが、車掌の制
服は極北民族の伝統衣装をデザインに取り入れたものだそうです。こういった、郷土色を
感じる快適な列車が増えれば、日本人にとってもロシア旅行がもう少しは親しみやすく楽
しいものになるのでしょうね。

せっかくなので、前回引用したロシアの鉄道から他にも個性的な列車名を紹介したいと思
います。公式HPの時刻表では列車名が表示されていないため厳密には確認できないものが
多いのですが、ご参考までということでご容赦ください。

(1)列車名に使われている「人名」

「レフ・トルストイ」号 モスクワ〜ヘルシンキ
「レーピン」号 ペテルブルク〜ヘルシンキ
「シベリウス」号 ペテルブルク〜ヘルシンキ
「アファナーシー・ニキーチン」号 モスクワ〜ペテルブルク
「アレクセイ・コリツェフ」号 モスクワ〜ボロネジ
「デミドフスキー・エクスプレス」号 ペテルブルク〜エカチェリンブルク 
「アレクサンドル・ネフスキー」号 ペテルブルク〜ノブゴロド
「アタマン・プラトフ」号 モスクワ〜ロストフ
「コンスタンチン・ヒョードフ」号 サラトフ〜プガチェフスク

意外と多いものです。個人的には、「アファナーシー・ニキーチン」が気に入ってます。
15世紀にインドへ旅して『三つの海の彼方への旅』を残した商人で、故郷トベリのボルガ
河畔には銅像が建っています。

(2)「〜の夜明け(зори)」など、天文現象に関係したもの

「極地の夜明け」号 ペテルブルク〜ムルマンスク
「白夜」号 ペテルブルク〜キスラボーツク
「白夜」号 ペテルブルク〜ボログダ
「星(ズベズダ)」号 ペテルブルク〜ミンスク
「北の星」号 ペテルブルク〜バラゴエ
「ボログダの夜明け」号 モスクワ〜ボログダ
「オーロラ」号 モスクワ〜ペテルブルク
「ドビナ川の夜明け」号 モスクワ〜コトラス
「ウラルの夜明け」号 スベルドロフスク〜プリオビエ
「カマ川の夜明け」号 イジェフスク〜ヤナウル

「〜の夜明け、あけぼの」系が多いことが分かります。日本にも「あけぼの」とか「サン
ライズエクスプレス」という寝台列車があると思いますが、似てますね。

長くなりました。続きは後ほど。
No.189 ロシアの列車名(続き) ペテルブルク さん [2004/02/19(木)20:12:43]
下の続きです。

(3)「時代」を伝える列車名

「東西急行(Восток-Запад Экспресс)」 モスクワ〜ワルシャワ
「処女地(Целина)」号 モスクワ〜アスタナ
「メーデー(Первомайский)」号 モスクワ〜ベレシノ
「赤い矢(Красная Стрела)」号 モスクワ〜ペテルブルク

日本人旅行者の利用も多い「赤い矢」号、1931年の運転開始から今年で74年目。列車番号
「1」も伊達じゃないですね。

長くなってすいません。この辺りで失礼します。
No.190 Re: ロシアの列車名 ニジェガロージェッツ [2004/02/20(金)00:28:08]
ペテルブルクさん、凄い大作のご投稿、ありがとうございます。
いやぁ、ロシアの雰囲気がびんびん伝わってきます。素晴らしい!!

: ロシアの鉄道というと、以前はどこへ行っても「ぶしつけな車掌、不潔なトイレ、何も無
: い食堂車」がつきものでしたが、最近は汲み取り式トイレが登場したり、車内誌を発行し
: たり、インターネットで運賃・空席の照会が出来るようになったり(www.rzd.ru)、改善
: されつつあるのはロシア在住者には嬉しいことです。

小生がロシアに居た7年前とは隔世の感がありますね。ロシアでは国内航空便が敬遠され
がちで、移動手段としてはまず鉄道ありきと実感しておりました。それだけに乗客の利便
性の一層の改善が望まれるだけに、嬉しい兆候ですね。

: 手元の車内誌ではモスクワとヤマロ・ネネツを結ぶ列車が紹介されていますが、車掌の制
: 服は極北民族の伝統衣装をデザインに取り入れたものだそうです。こういった、郷土色を
: 感じる快適な列車が増えれば、日本人にとってもロシア旅行がもう少しは親しみやすく楽
: しいものになるのでしょうね。

観光用にチャーターしたものではなく、通常の列車でこのような趣向が凝らされていると
は、なんとも味のある話です。
今回ペテルブルクさんに教えて頂いた各列車を、一生涯かけても乗りつぶしたい衝動に駆
られそうですが、絶対に無理でしょう。(涙)


: (1)列車名に使われている「人名」

ご紹介下さった面々を見ると作家や詩人、画家に音楽家、中世ロシアの英主に帝政時代の
将軍といった人々で、ソ連時代を彷彿させるロシア革命の元勲のような人物が見当たらな
いところが、時代も変わったと感じずには居られません。
サラトフ生まれのКонстантин Федин(コンスタンチン・フョージン)が社
会主義派の作家だったのが名残のような。
  
: (2)「〜の夜明け(зори)」など、天文現象に関係したもの

いかにも北国のロシアを思わせるネーミングですね。ロマンチックな味がします。
「〜の夜明け」の命名も、冬には夜が非常に長いロシアだけあって「夜明け」に「春の訪
れ」を掛けての生来の願望を感じるのですが・・・あくまで卑見です。

: (3)「時代」を伝える列車名
: 「処女地(Целина)」号 モスクワ〜アスタナ

アスタナといえばカザフスタンの新首都で、ソ連時代の旧称はツェリノグラード(Цел
иноград)と呼ばれていたけど、「処女地の都市」の意味でしたか。気が付きませ
んでした。
調べてみれば1961年に処女地開発から名付けられたようですが、それ以前の1831年から1961
年まではアクモリンスクという名だったようです。

: 日本人旅行者の利用も多い「赤い矢」号、1931年の運転開始から今年で74年目。列車番号
: 「1」も伊達じゃないですね。

列車番号も面白いです。古い切符の話で恐縮ですが、1996年の切符の裏に列車番号の分類
が書かれていました。それによると、
001〜149 скорые (快速列車?)
151〜169 скоростные (特急列車?)
171〜699 пассажирские (旅客列車)
とありました。
ペテルブルクさんがNo.186でご紹介下さったロシアのHPにある列車番号を見ると、今で
はこの分類は変わっているように推測しますが・・・。
ところで、当時もそうでしたが今でも列車番号「1」は複数あるようですね。一番代表的
なものは仰る通りモスクワ―ペテルブルクを走る「赤い矢」号と、それにシベリア鉄道の
モスクワ―ウラジオストク間を走る「ロシア」号が有名どころですが、小生がよく利用し
たモスクワからニジニ行きの「ヤールマルカ」号も「1」番でした。

ペテルブルクさん、いろいろと面白いお話ありがとうございました。
No.191 Re: ロシアの列車名 господин Отшельник [2004/02/22(日)23:49:22]
ペテルブルクさん
鉄道好きな小生にとっては非常に参考になりました。
ありがとうございます。

: ロシアの鉄道というと、以前はどこへ行っても「ぶしつけな車掌、不潔なトイレ、何も無
: い食堂車」がつきものでしたが、最近は汲み取り式トイレが登場したり、車内誌を発行し
: たり、インターネットで運賃・空席の照会が出来るようになったり(www.rzd.ru)、改善
: されつつあるのはロシア在住者には嬉しいことです。
時刻表や予約は
www.poezda.net
でもできますね。こちらは英語バージョンもあります。
車輌については確かに社会主義時代よりはましになっていますが、それも路線によりけり
というところでしょうか。モスクワやペテルブルクなど幹線はいいのですが、そこを外れ
るとまだまだひどい状況のようです。
鉄道全体のインフラの状況を考えると、列車の遅れが現在の程度で済んでいることはある
意味すごいのですけれど....
どうも保線に金が回っていないようなので、今後が非常に心配です。

: 手元の車内誌ではモスクワとヤマロ・ネネツを結ぶ列車が紹介されていますが、車掌の制
: 服は極北民族の伝統衣装をデザインに取り入れたものだそうです。こういった、郷土色を
: 感じる快適な列車が増えれば、日本人にとってもロシア旅行がもう少しは親しみやすく楽
: しいものになるのでしょうね。
そういえばその昔ペテルブルクからムルマンスクに(飛行機の切符が取れずに)行ったと
き、車掌の制服の色がモスクワなどのものと違っていました。ひょっとしたら日本でいう
鉄道管区ごとにその辺は独自性を出すことができるようになっているのかもしれませんね
。
No.192 ロシアを旅する人のために アファナーシー=ニキーチン さん [2004/02/27(金)18:33:59]
こんにちは。「ペテルブルク」という名は改め、アファナーシー=ニキーチンとしました
。今後ともよろしくお願いします。

前回の鉄道の話題にも若干関係しますが、ロシアを旅する人に役に立つであろう情報源に
ついて紹介させてください。いずれもロシア語が中心です。

「地図、時刻表サイト」

No163でニジェガロージェッツさんが紹介されているサイトのほかにも、出張者向けのポ
ータルサイトに使えるものがあります。たとえば、www.1234567.ru/trans/index.htm 
というサイトがありますが、ここはロシアCIS主要都市のHP上の地図や、長距離バスの時
刻表、ホテルのHPなどにリンクしていて便利です。日本と違って「本」の時刻表が無いロ
シアでは、結構役に立つのではと思います。

各都市の「紙」の地図は、ペテルブルクではネフスキー34の「アトラス」書店で多少手に
入るくらいです。品揃えの点では、モスクワのドームクニーギ等には全くかないません。

国内線の航空ダイヤはПолет Сирена なるサイトが便利です(www.polets.ru
)。ロシアの航空会社は運賃制度が不明瞭なところが多いのですが、このサイトはロシア
全土の路線について、各種運賃から定時運行度まで網羅していて良心的です。

「旅行ガイド」

ここ数年ロシアでは各地方の旅行ガイドのシリーズが多数発行されるようになりました(
アバンガルド社 www.petitfute.ru やシモンプレス社 www.simon.orc.ru など)。
おかげでトゥバやアルタイ、ハンティマンシなどのガイドブックも容易く手に入るように
なったのですが、興味深いのはロシアを代表する大企業が自社操業地域のガイドブック発
行のスポンサーになっている点です。
例えばアバンガルド社のシリーズの中では、ノリリスクニッケル社がタイミールの、ユー
コス社がトムスク州の、ダイヤモンド採掘会社がサハのガイドブックのスポンサーになっ
ていたりします。後ろ盾になる大企業の有無が、経済や人口だけでなく情報発信にも影響
しているようです。
これらの旅行ガイド、名所の案内だけではなく歴史や人名録、グラビアを収録したものが
多いので、珍しい写真を見るだけでも結構面白いです。
以前は冷戦の最前線であったはずのチュコトやサハの極北の村が写真入りで紹介されるよ
うになるとは、実際に行く人がいるのかどうかは別として、画期的なことです。
一部を除きロシア語版のみですが、モスクワでもペテルブルクでも簡単に手に入るので、
関心のある方や旅行予定の方は参照されると良いでしょう。

長い投稿ですいません。いつになく暖かいペテルブルクからでした。
No.193 Re: ロシアを旅する人のために ニジェガロージェッツ [2004/02/29(日)02:12:19]
ペテルブルクさん改めアファナーシー=ニキーチンさん、ロシアからの面白いお便り、い
つも有難うございます。

こちらこそ、どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

今回ご寄稿頂いきました「地図、時刻表サイト」、「旅行ガイド」について、ロシア旅行
を予定されている方々には本当に役に立つ情報だと思います。多謝。

: これらの旅行ガイド、名所の案内だけではなく歴史や人名録、グラビアを収録したものが
: 多いので、珍しい写真を見るだけでも結構面白いです。
: 以前は冷戦の最前線であったはずのチュコトやサハの極北の村が写真入りで紹介されるよ
: うになるとは、実際に行く人がいるのかどうかは別として、画期的なことです。

ロシアに行けば是非手に入れたいガイドブックですね。
ところで小生は「ロシア地理事典」を座右に愛用しています。この事典はロシア語のみで
一般向けではないのですが、約800ページからなりアルファベット順に地名が収められて
おり、全編カラー編集で、冷戦時代では考えられないような写真が随所に掲載されていま
す。ロシア語に精通していなくても地名さえ読めれば、写真を見ているだけで楽しくなる
なります。
詳しい書名は
А.П.Горкин著、География РОССИИ энциклопедия
出版社は Большая Российская энциклопедия です。
手元にあるのは1998年版ですが、日本国内でも4年ほど前にナウカ(ロシア関連書籍の専
門店)で売られていました。14000円台だったと記憶していますので、ロシアへ行かれる
方は現地で購入する方が安上がりです。(但し、手荷物に余裕があればですが)

地理好きにはお薦めの一冊です。
No.194 都市名当てクイズ ニジェガロージェッツ [2004/03/07(日)14:01:58]
ロシア語で書かれたある都市の紹介文からの抜粋です。

Самый большой город 
самого большого острова 
самой большой страны. 
Так можно сказать про ***.

「最も大きな国の最も大きな島の最も大きな都市。***のことをこのように言ってもよい
でしょう。」

さて、「***市」はどこでしょうか?
No.195 Re: 都市名当てクイズ ニケ さん [2004/03/07(日)18:23:31]
はじめまして、ロシアを検索していたら、偶然ここに、たどり着きました。拝見したとこ
ろ、どうやらクイズのようですね、僕は、ロシアの事は、インターネットで見るぐらいな
ので、ロシアで思いつく事と言えば、ピロシキと、コザックダンスと、ボルシチぐらいな
もんですが、『最大の地方の最大の島の大都市』を、キーワードにして検索した結果、ウ
ラジオストク市が、出てきました。

あってるか、どうかは、解かりませんが、ウラジオストク市でどうでしょうか?

せっかく来たついでに、ウラジオストク関連のニュースでもどうぞ。

その1(ロシア語)
http://news.khb.ru/news.php3?news=7180

その2(日本語)
ttp://www.excite.co.jp/world/url/body?wb_url=http%3A%2F%2Fbabelfish.altavista.com
%2Fbabelfish%2Furltrurl%3Flp%3Dru_en%26url%3Dhttp%253A%252F%252Fnews.khb.ru%252F
news.php3%253Fnews%253D7180&wb_lp=ENJA&wb_dis=2

※無料の翻訳サイトを、使用していますので翻訳の精度に、つきましては、原文とは異な
る場合がございます。

それでは、また。。。
No.196 Re2: 都市名当てクイズ ニジェガロージェッツ [2004/03/08(月)02:21:29]
ニケさん、はじめまして。
「落書きヤールマルカ」へようこそお越し下さいました。

ウラジオストク関連のニュース有難うございました。
これによると、5月25日よりロシア国鉄では、35本の旅客列車で新ダイヤとなるようです
。中でも極東住民にとっての関心は「ウラジオストク―モスクワ」間の列車が「快速」の
部類に編入され、速くなるといった内容のようですね。

さて、No.194の都市名当てクイズの答ですが、ウラジオストクは想定しておりませんでし
た。

: 『最大の地方の最大の島の大都市』を、キーワードにして検索した結果、ウ
: ラジオストク市が、出てきました。

検索サイトで「ウラジオストク」と「最大の島」がどのように結びついたのか興味があり
ます。
確かにウラジオストク市域に、その名も「ロシア島」(Русский остров)
という島がありますが・・・ 

またのお越しを楽しみにお待ちしております。
No.197 アカデムゴロドク tosh さん [2004/03/18(木)20:53:39]
お久しぶりです。

一ヶ月前からノヴォシビルスクにいます。
市街地の南方にあるこのアカデムゴロドクは安定した豊かなところです。最近食品の値段
が上がり始めています。

ロシア語力、地理の知識など今後とも修行いたしますので、今後ともよろしくお願いいた
します。
No.198 お羨ましい〜! ニジェガロージェッツ [2004/03/19(金)00:32:02]
toshさん、ノヴォシビルスクからのお便り感激です。
この季節の現地の気温はだいたい氷点下10℃位でしょうか?
もう1ヶ月もご滞在とは、いろいろとご苦労があったことと察しますが、どうぞお身体だ
けはご自愛ください。

古い話ですが、小生も敢えて日本人の居そうもないニジニ・ノヴゴロドを選んでロシア語
を学びました。今でも思い起されるのは、右も左も分らないニジニに飛び込んだ頃、最初
の1ヶ月に起った出来事ばかりで、ショックも含めてすべてが懐しい良い思い出です。

滅多に有り付けないような貴重なご体験にもなりますので、存分にアカデムゴロドク暮ら
しを楽しまれることをお祈り致します。

新鮮な現地情報を含め、こちらこそ今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
参考: http://meteo.infospace.ru/win/cities/html/r_index.ssi
No.199 はじめまして、Yuraです。 Yura さん [2004/03/21(日)20:34:20]
貴サイト「ニジェガローツキ・ドヴォール」は以前(03年末〜)から楽しくロムしており
ました。
最近(←まだ1週間前ですが)、PCにはまったく不慣れですけれど、HPを立ち上げました
。
「ロシアのバレエ団情報」と申します。
モスクワやサンクトペテルブルグのメジャーなバレエ団はもちろんのこと、超マイナー系
のブリヤート共和国〜コミ共和国やマリ・エル共和国のバレエ団までupさせています。
まだまだ手直しやupが必要なHPですが、もしよかったら覗いて下さいね。(HPを作成する
にあたって「露国都市人口往来記」には大変お世話になりました。)
なお、誠に勝手ではありますが、リンクページには「ニジェガローツキ・ドヴォール」を
貼らせて頂きました。
どうぞご了承下さいませ。
参考: http://www.geocities.jp/yura_ballet/index.html
No.200 Yuraさんの「ロシアのバレエ団情報」、お薦めです! ニジェガロージェッツ [2004/03/24(水)00:01:57]
Yuraさん、はじめまして。
楽しいサイトのご紹介と、拙サイトへのリンクのお知らせ、有難うございました。
こちらからもリンクを張らせて頂きましたので、宜しければご確認下さい。

それにしてもロシアが世界に誇るバレエ団についての情報を隈なく収められ、たいへん味
のあるサイトだと感じました。大変な作業ではなかったかと推測します。
拙サイトでは数字ばかり並べて無機質なことをやっておりますが、少しはお役に立てたみ
たいで、光栄です。

Yuraさんが貴サイトでご紹介されているニジニ・ノヴゴロドのオペラ劇場は、小生が住ん
でいた大学寮から市電の停留所で3つ先にあり、よく散歩がてらに往復していました。
当時(1996〜97年)はルーブル相場の混乱期で、バレエの入場料が日本円に換算して、20
円〜200円でした。今ではそんな値段では入れないと思いますが、オーケストラと一体と
なっている素晴らしい劇場でした。
小生にとって、ニジニでの思い出のいっぱい詰まった劇場です。

こちらもPCに不慣れな初心者ですが、お互いHPの運営に励みましょう。
これからも宜しく御願い申し上げます。
No.201 米国映画における露語 雑魚 さん [2004/04/12(月)01:04:29]
御無沙汰しております。花見酒中毒で日曜日は終日死亡の由。
最近話題の映画「イノセンス」と同じ原作に基く衛星放送版
「攻殻機動隊」のDVDを子供と一緒に観ていましたら

「父ちゃん、この主題歌ってどこの言葉?」

そう言えば、なぜか露語と英語の混在なんだよなぁ、などと
考えていたら、ふとニジェさんを思い出した、という程度の
動機ですが、御邪魔させて頂きまして、恐縮至極。

映画における露語といえば、演じた役者の出身は不明ですが、
巻き舌気味でそれらしき訛を演じた「スター・トレック」の
チェコフ航海士が思い出されます。

もう少し現実味を伴うものとして「レッド・オクトーバーを
追え」が想起されますが、あれは冒頭シーンこそ露語ながら
吹き替えの都合か、途中で英語に変わります。しかし後段で
米軍とソ連軍の邂逅シーンでは、確かあの「巻き舌風訛」が
ここでも登場するのですが、あの「露語訛」を伴う英語とは、
相応にリアリティーがあるものなのでしょうか。
No.202 Re: 米国映画における露語 ニジェガロージェッツ [2004/04/12(月)20:00:12]
これはこれは、雑魚さん!
ようこそお越し下さいました。それにしても懐かしい。

: そう言えば、なぜか露語と英語の混在なんだよなぁ、などと
: 考えていたら、ふとニジェさんを思い出した、という程度の
: 動機ですが、御邪魔させて頂きまして、恐縮至極。

よくぞ忘れずに思い出して頂きました。感謝です!
かく言う小生もニュースで滝川クリス○ル嬢を見ると、いつも雑魚さんを思い出します。

さて、本題の

: 確かあの「巻き舌風訛」がここでも登場するのですが、あの「露語訛」を
: 伴う英語とは、相応にリアリティーがあるものなのでしょうか。

ですが、これについては英語を全く解せない小生には巧くお答えできません。
#実際に英語圏にご在住で、ロシアをよく知るОтшельникさんのご登壇に期待し
たいところですが・・・

小生の体験談としては、語学留学した先のニジニの言語大学では、当然学生達の話す英語
をよく耳にしましたが、別に違和感のようなものは感じませんでした。もっともあの大学
で学ぶ学生達は言わば「語学のエリート」ですから、発音が綺麗のは当り前かも知れませ
んが。
ただ、露語の特徴の一つでもある「ら行」“Р”(エる)の巻き舌音に対する一般の印象
ですが、これは少し強調しすぎるきらいがあります。
実際のロシア人の話す「巻き舌音」は、非常に耳障りの良い、そして「切れの良い」もの
で、小生にとっても露語の魅力の一つです。
しばしば映画などで見受けられるロシア人であることを強調するかのような極端な「巻き
舌」は、故意に作られた紋切り型の表現だと思っています。
#ソ連時代に政府に認められないものの国民に絶大な人気のあった吟遊詩人ヴラジーミル
・ヴィソーツキー氏の歌声は物凄い「巻き舌」ですが・・・。これはこちらの「ド演歌」
のような部類かも知れません。

決して柄の悪い日本語の「われ〜、おんどりゃ〜」と言うようなものではありませんよ。
(笑)
No.203 春の世迷言 雑魚 さん [2004/04/14(水)11:32:11]
レス、有難うございました。最近、生活パターンを変更した為に
滝川御姉様の御尊顔を中々拝せず、悶々としております。

> 故意に作られた紋切り型の表現

結局、そこに落ち着くのですね。イタリア語を学んでいた知人が
酒の席にて「バカターレ、アホタリーノ!」とふざけていたのと
同義的かな。かつて人気を博した格闘系人気漫画のパロディーで
主人公に秘孔を突かれたフランス人が「こまんたれぶうっ!」と
叫びながら倒された一幕や、上官から叱責されたドイツ軍兵士が
「ウント・スンマヘン・ドッホ」と頭を掻いたり、という感じの
話なら枚挙に暇が無いのですけどね(笑)

露語に関しては全く素人である私の感覚からすると、文字形状の
類似性ゆえに、キリル文字の綴りを英語風に読んでしまいがちで
それゆえに、いつぞや言及した「小樽/オタピー」の様な珍事も
起こる次第ですが、露語の「P」が英語の「R」または「L」に
相当するなら、間違い易い例としては「C/S」「H/N」等が
挙げられるでしょうか。

これは英語表記上の問題ですが「○○コフ」「○○ノフ」などの
人名は語尾が「F」ではなく「V」という感覚が釈然としません。
同様に「ウラジミール」も語頭が「V」だった様に記憶します。

> 吟遊詩人ヴラジーミル・ヴィソーツキー氏

私が吟遊詩人なら「裏地味た・嘘吐き氏」というところですね。

> これはこちらの「ド演歌」のような部類かも知れません。

第二次大戦後のソ連帰還民を描いた映画「イースト・ウェスト/
遥かなる祖国」サントラ版に収録されている露語らしき民謡歌曲
出典は不明ですが、巻き舌調が目立ちます。

>「われ〜、おんどりゃ〜」と言うようなものではありませんよ。

次回の書込みよりHNを露語風に「オンドレイ・サノバビッチ・
ザーコフ」と改めようかしらん。(何か下品ですね)

閑話休題)

昇進と引換えに安普請の社宅を追い出され(社屋の朽廃が進んで
皺寄せが来た、という恐ろしい噂があります。)先月末、近所の
アパートに越しました。昇給が家賃増で相殺されるので昇進とは
名目的なものと思われますが、浴室の給湯がスムーズで雨漏りや
隙間風、節足動物等の闖入者が無い分、別天地の思いです。

引越しで私物を纏めていると、押入れから長らく御無沙汰だった
アイテムの数々が発掘され、ゴルバチョフの肖像画が表紙を飾る
ニュース雑誌や、廃止前の鉄道が網羅された十数年前発行の県別
道路地図など懐かしさに思わず熟読してしまい、妻マターリアの
怒りを買いました。「ペレストロイカ」「グラスノスチ」今では
懐かしい響きです。同僚に手伝って貰い大いに助かったのですが
転居完了後、数冊の殿方本が行方不明になったのは何でだろう?
(チェックを入れる私も私ですが)

転居後、従前の部屋を掃除していると、綿埃に混じり大量の毛髪。
「お前らなぜ抜け落ちた?」麗かな春の午後、切ない感傷に咽ぶ
一時でした。
No.204 那須町より господин Сомпин Сомринович Пражний [2004/04/14(水)12:58:42]
No.202 ニジェガロージェッツさん,「耳障りの良い」というのは矛盾した表現ですね.
「耳障り」は「目障り」と同様の言葉で,「舌触り」「肌触り」とは異なりますので.

No.203 雑魚さん,「オンドレイ・サノバビッチ・ザーコフ」さんとお呼びしましょうか
(笑).高校の同年生で「ドスケビッチ・オナゴスキー」というペンネームの男(吹奏楽
の部長)がいましたっけ.
No.205 ドスケビッチ・オナゴスキー オンドレイ・ザーコフ さん [2004/04/14(水)15:03:33]
見事切り返されました。これは秀逸です。中学時代、美術の
教材表題に悪戯して「SKE(BE)TCH BOOK」としたザーコフも
(デッサン内容の言及は割愛しますw)脱毛、いや脱帽です。

「○○スキー」という人名は、アングロサクソン圏でも時々
耳にしますが(「リトバルスキー」など)大元はスラブ圏に
由来するものなのでしょうか。

「ペテルブルク」の名が独語圏の影響の産物とされる点など
地形的な連続性のある大陸でのこうした詮索を行っていくと、
深甚なる背景が窺えるのでしょうね。
No.206 「耳障り」なV? ニジェガロージェッツ [2004/04/14(水)23:52:14]
No.203、205 雑魚さんこと、オンドレイ・ザーコフさん、こんばんは。楽しいお話を有
難うございました。
#Ондрей Заковさんですか?
 Андрей Заковさんなら実在しそうですが(笑)

: これは英語表記上の問題ですが「○○コフ」「○○ノフ」などの
: 人名は語尾が「F」ではなく「V」という感覚が釈然としません。
: 同様に「ウラジミール」も語頭が「V」だった様に記憶します。

確かにそうです。これは“В”(ヴェー、英語の V に相当)の発音は、例えば語末に来
たりして無声化(つまり濁らない)する場合には“Ф”(エフ、英語の F に相当)の音
となり、それを綴り字通りに転字すれば V に、発音に合わせて転字すれば FF になりま
す。
カタカナで書く場合には、この無声化した“В”に関しては実際の発音に沿って「フ」と
表記するのが一般のようです。
濁る音が無声化するのは何も“В”に限った事ではなく、例えば“Петербург”
の“Г”(ゲー、英語の G に相当)も同じで、「ペテルブルク」と表記する方がより正
確ですが、一般にはまだ「ペテルブルグ」と表記する方が多いように感じます。
拙HPでも抵抗を感じながらも、倣って「ペテルブルグ」と表記していますが、そのうち訂
正しようと思っています。

ところで、“Владимир”「ヴラジーミル」の“В”は無声化しませんので、やは
り V と表記するのが正しいです。
カタカナで「ウラジミール」と書くのは、五十音にない「ヴ」という「俗字」を書くのを
嫌ったからでしょうか?

No.204 Сомпин Сомринович Пражнийさん、那須町からのご指摘
ありがとうございました。
確かにそんぴんさんのご指摘どおり、「耳障りの良い」は不適切な表現でした。
小生は会話では間違いを意識せずよく使っているものの、文字にして見ると明らかに間違
った日本語です。
「耳障り」ではどう考えても「耳に不快な雑音」という意味ですね。(汗)
正しくは「耳に心地よい」と書くべきで、失礼しました。
No.207 ハラショーな夜 господин Ондрей Заков [2004/04/15(木)00:13:51]
何やら、半日でキリル文字のHNまで頂いてしまい、何となく
ハラショーな夜ですね。

露語発音と英語表記の整合性を巡る興味深い御話を頂きまして
有難うございました。「なんちゃって音楽家」の端くれとして、
所蔵CDの人名表記上、結構気になる話だったのです。(なお
引越し時、長らく行方不明だったカリンニコフとボロディンの
CDも発掘され、これまたハラショー)このテの話を進めると
例えばピョートル・チャイコフスキーが「ペーター」と仮名で
表記されている例もあったりしまして(マイケル/ミハイルと
同義的例でしょうか。そういえば、キリスト教的史観の下では
「ミカエル」というのもいましたが。)奥が深そうな話ですね。

なお私の場合は「ウラジミール」といえば、ピアノ奏者にして
指揮もこなすアシュケナージ氏を連想するのですが、更にこの
「アシュケナージ」の語と、イスラエルの「アシュケナジーム
/セファルディーム」との関連は、等と連想が広がるのでした。

Сомпин Сомринович Пражний 様、秘密基地建設の御仕事、
御疲れ様です(笑) 時期柄、那須連山の眺めが宜しかった事と
拝察申し上げますが、そのうち、所感なり伺えれば幸いです。
No.208 ダイジョーV господин Ондрей Заков [2004/04/15(木)00:31:37]
他愛の無い余言ですが、ロシア関連で「V」と聞きますと、
米国は西海岸の某市長が十数年前に務めていた「魔人」を
連想します。BGMに使用された、ショスタコーヴィチの
交響曲第七番の表題「レニングラード」も、今では時代を
感じさせますね。あの第一楽章の展開技法は正にラヴェル
「ボレロ」のそれですが。

ショスタコーヴィチと聞くと、カール・セイガン博士監修
「コスモス」のBGMに使用された交響曲第11番「1905年」
(血の日曜事件)第一楽章を連想する辺り、年齢を感じる
ザーコフでした。同様にBGMに使用されたヴァンゲリス
「アルファ」は、筑紫哲也氏がテレ朝に在籍された当時に
日曜放映の報道番組エンディングに使用されたものですが
そのあたりの言及は別の機会に。
No.209 祝:ロシア都市人口ランキング完成 鮎川 さん [2004/04/15(木)06:58:33]
タイトルは何かおかしいですね。ロシアかソヴィエトか、都市人口ランキングか人口推移
か、完成か途上か。いやいやともかく、非常にわかりやすい表なので油断すると何時間も
見てしまいそうです。(笑) 
No.210 バルト三国 господин Ондрей Заков [2004/04/15(木)12:50:50]
先日、受験を控えた甥が遊びに来ました。話題が社会科に及び

私「バルト三国っちゃ知ってっけぇ?」
甥「ええとね、リトアニアでしょ、エストニアでしょ」
私「そいから?」
甥「ボスニア、じゃないよね ……… そうだ、トリビアだ!」

……… マイナス 100ヘェですな ………

バルト三国といえば「和製シンドラー」と称されるリトアニア
日本領事代理の杉原千畝氏を想起します。ナチス迫害を逃れた
ユダヤの人々に対して、本国政府の意向に反し人道的観点から
通過査証を発給した事が、現在、高く評価されている訳ですが
なぜ、かの地で日本の通過査証なのか?

中立国と思しきリトアニアに親ソ政権が誕生したのが1940年夏。
独ソ戦の懸念から、同国に滞在していたユダヤ人は第三国への
脱出を模索します。ソ連との併合を受けて、各国領事館が閉鎖
される中、オランダ名誉領事ヤン・ツバルテンディクの好意で
税関が無く入国が容易なカリブ海の植民地キュラソー島行きの
査証が発給されました。これを受け、日本の通過査証を取得し
出国する以外に逃亡手段が絶たれた状況下の英断だった訳です。

……… 1ヘェ ………

あの時勢に欧州で日本の査証発給にどの様な必然があったのか
調べて見ると、かように壮大な背景が浮かび上がって来ますね。

リトアニアのユダヤ人が「キュラソー・ビザ」を持ち領事館に
押しかけたのは、親ソ政権誕生から三日後の早朝。代表数名が
杉原氏と交渉の席に着きましたが、その中には、のちに在日本
イスラエル大使館の参事官を務めた様な重鎮もいたとの事です。
なお、杉原氏が逝去されたのは1986年。意外と最近の事ですね。
No.211 レス3題 ニジェガロージェッツ [2004/04/16(金)21:35:33]
昨日は、パソコンに向かう時間が取れず、遅れレスで申し訳ございませんでした。

No.207 Ондрей Заков さん

: 何やら、半日でキリル文字のHNまで頂いてしまい、何となく
: ハラショーな夜ですね。

思いつきで書いたキリル文字のHNをご採用くださって、恐縮です。

: 例えばピョートル・チャイコフスキーが「ペーター」と仮名で
: 表記されている例もあったりしまして(マイケル/ミハイルと
: 同義的例でしょうか。そういえば、キリスト教的史観の下では
: 「ミカエル」というのもいましたが。)奥が深そうな話ですね。

ロシアの「ピョートル」が、「ペーター」や「ピーター」になったり、「ミハイル」が「
ミカエル」や「マイケル」に、「ゲオルギー」が「ゲオルク」や「ジョージ」に、など等
・・結構挙げていけばキリのない話のようです。
地名でも、英語表記では「サンクト・ペテルブルク」と同名の
“St.Petersburg”という都市が米国フロリダ州に実在しますが、
こちらは「セント・ピーターズバーグ」ですね。


No.209 鮎川 さん
 
労いのお言葉、有難うございます。
取り敢えずのランキング表ですが、当初は、例えば1939年なら1939年のみのランキング表
で1ページにして、ロシア語表記や前回調査(この場合1926年)の人口を列記したものに
する計画でしたが、実のところ、HPの容量の限界がそろそろ近づいており、今回は3調
査分を一まとめにしたものでお茶を濁しました。(HP容量を倍にする契約をしたら、実
行しようと考えています)
とはいえ、ソビエト時代のランキング表など、冷戦時代をリアルタイムで経験された世代
の方には、レニングラードとかゴーリキーとかクイビシェフといった懐かしい名前がずら
りと並んで、結構楽しめたのではないでしょうか?


No.210 Ондрей Заков さん

杉原千畝氏の「六千人の命のビザ」のお話、何時聞いても感動ものです。リトアニアの首
都カウナス(当時)から、 カリブ海の蘭領キュラソー島へ至る通過経路は、リトアニア
からソ連をシベリア鉄道で横断し、ウラジオストク港から敦賀港へ上陸し、神戸港から米
州へ渡ったようですね。
これが唯一の脱出経路だったと言われているようです。
まさに、壮大な避難劇です。
この通過ビザ発給は、杉原氏の独断との見方もあるようですが、一説には「八紘一宇」の
思想にはナチスのユダヤ人迫害政策が相容れず、日本の国策にも合致したもので、本省の
諒解済みの事案であったとの新聞記事を数年前に読んだ事があります。
No.212 散漫なレス,二題 господин Сомпин Сомринович Пражний [2004/04/17(土)01:21:25]
No.208 Ондрей Заковさん,第7番に関しては多くの方々とは異なる感想を持
っております(第5番に関しても).いつかゆっくりとお話ししてみたいものです(紅葉
の板谷峠は如何?).

No.211 ニジェガロージェッツさん,かつてFMで聴いたロシアのポップスでは,「ミ・ハ
・イル」といった区切り方をしていました.英語ですと「Mi+chael」ですよね.このあた
りの感覚の相違を面白く感じました(ラテン語でも「Mi+chael」だと思うのですが,手持
ちの貧弱な辞書で解るはずもなく,ましてその辞書さえも手に取ることのできない「秘密
基地」暮らしですので……).
No.213 ミスターG господин Ондрей Заков [2004/04/17(土)10:46:08]
シンドラー、杉原千畝と来れば、次に想起されるのは、やはり
ワレンバーグでしょうね。終戦直後に消息を絶ったこの御仁は、
スターリンの意向により、北ウラル丘陵の収容所に永らく収監
されるも、デューク東郷の支援を受けたユダヤ人部隊によって
救出された、なんて架空の後日談がありますが、そうした話を
招来する様な政治的背景が大戦後には存在した訳ですね。

基本的に「ゴルゴ13」はフィクションですが、その背景となる
考察では殊の外、参考になる事が多く、事実とフィクションの
境界を見極める事で、案外、近現代史を考える一助になる様な
気もします。主人公の陣容上、ソ連は度々登場しますが、最も
読み応えがあったのは、ロマノフ王朝の財産を巡る駆け引きを
描いた「すべて人民のもの」でしょうか。

No.212 Сомпин Сомринович Пражний さん

ショスタコーヴィチの作品に関して、私はそれ程に造詣が深い
訳ではないのですが、総じて、ロシア革命ないしその後の政治
体制への肯定・礼賛が一貫しているとの見方が一般的の様です。
一方で亡命した弟子が、実は面従腹背だったとする説を掲げて
物議を醸したそうですね。実際、どうなのやら。

「剣の舞」で知られるハチャトリアンの大傑作「ガイーヌ」は
「最後には勤労者が勝つ」という主題を判り易く表現した様に
見受けられます。
No.214 またまたの遅れレスで申し訳ない、2題 ニジェガロージェッツ [2004/04/19(月)23:30:56]
No.212 Сомпин Сомринович Пражний さん

: かつてFMで聴いたロシアのポップスでは,「ミ・ハ・イル」といった区切り方
: をしていました.

確かにロシア語「ミハイル」“Михаил”を音節で分解すると Ми + ха + ил 
ですね。そんぴんさんの仰るとおりです。
アクセントは最後の и にあるので、発音は[ミハイール]となりますが・・・。
面白いのが、この[ミハイール]が父称の「ミハイロヴィッチ」“Михайлович”
や、地名の「ミハイロフカ」“Михайловка”になった場合に、アクセントの位
置が前の а にずれて、元々アクセントがあった и は子音扱いの短い「ィ」 й に後退
するところです。
前者は[ミハーイラヴィチ]、後者は[ミハーイラフカ]と発音します。


No.213 Ондрей Заков さん

: 基本的に「ゴルゴ13」はフィクションですが、その背景となる
: 考察では殊の外、参考になる事が多く、事実とフィクションの
: 境界を見極める事で、案外、近現代史を考える一助になる様な
: 気もします。主人公の陣容上、ソ連は度々登場しますが、最も
: 読み応えがあったのは、ロマノフ王朝の財産を巡る駆け引きを
: 描いた「すべて人民のもの」でしょうか。

「すべて人民のもの」は残念ながら読んだことはありませんが、「ゴルゴ13」シリーズは
喫茶店や医院の待合室でよく見かけ、あれば必ず読んでいます。(貧乏ですから買ってま
せん・・・涙)

このシリーズは1969年頃にスタートしたのかな? スパイが題材ではないにしても、冷戦
の裏舞台のようなものが多く、仰るとおりソ連が登場する傑作も多いようですね。
No.215 すべて人民のもの господин Ондрей Заков [2004/04/20(火)00:07:04]
ソ連〜ロシア関連の逸話が多数登場する「ゴルゴ13」において、
最長編と言えるエピソードがこの「すべて人民のもの」ですね。
ここでは、アレクサンドラ皇后と、怪僧ラスプーチンとの間に
生まれたと思しき架空の皇女が登場しますが、その伏線として、
1920年にベルリンで保護された、自称「皇女アナスタシア」の
真贋論争にも言及しています。

ディズニー系と記憶するアニメ映画の主人公にもなりましたが、
その後に一瞥した「世界ふしぎ発見」でしたか、皇太子時代の
ニコライが負傷した1891年の大津事件で残された、血痕の残る
着衣からDNA鑑定を行ったところ、結果はクロだったとか。
それにしても、皇帝ニコライは、外遊先で斬り付けられ、その
外遊先との戦争に破れ、第一次大戦の最中に革命で一家惨殺と
何とも数奇な運命なのですね。

在京時代、ビデオ・レンタル店で「怪僧ラスプーチン」という
作品を見かけました。副題は確か「神も悪魔も俺の僕だ!」で
どんな内容だったのか、今頃気になるのでした。
No.216 Re: すべて人民のもの ニジェガロージェッツ [2004/04/20(火)22:01:06]
Ондрей Заков さん

: ソ連〜ロシア関連の逸話が多数登場する「ゴルゴ13」において、
: 最長編と言えるエピソードがこの「すべて人民のもの」ですね。

面白いお話、いつもありがとうございます。
調べて見ると、この「すべて人民のもの」は第81巻にあるようですね。
ところで、「ゴルゴ13と世界史」と題した面白いページを見つけました。

これによると、ソ連〜ロシア関連史を背景とする「ゴルゴ13」の作品がこんなにあったの
かと・・・絶句です。
参考: http://www4.plala.or.jp/saito_world/Research/Golgo13/world_history/08_Russia.htm
No.217 モロゾフの洋菓子は大好物です господин Ондрей Заков [2004/04/21(水)00:06:06]
うーむ、この様な精緻な統計まであるのですか。個人的にソ連
関連のエピソードで印象が深いのは、以下の二話です。

○103巻「モスクワの記憶」

1945年の終戦後、シベリアに抑留された日本兵の一団にあって、
戦前よりソ連の間諜だった、架空の日本陸軍将校の暗躍振りが
描かれています。極東国際軍事裁判(だったかな?)でソ連の
代表団到着が遅延した事情が、見事にフォローされていました。

○108巻「白い行軍」

戦時中、ソ連の体制に与しない亡命ロシア人達を、ハルピンの
関東軍が尖兵部隊として組織化する、というエピソードがあり、
事実だとすると、57巻の「河豚計画」と同様、複雑極まりない
戦時中の事情が窺えますね。

ニジェさんの地元で亡命ロシア人関連といえば、やはり洋菓子
「モロゾフ」ですね。「バレンタイン・デー」の習慣を日本で
定着させた功労者ですが、同社製の洋菓子が大好きな私なれど
あの制度の御蔭で、どれだけ救われない青春時代を送った事か。
私の青春時代を返せ!(一応妻帯者ですが、叫び&滂沱)

亡命ロシア人といえば、スタルヒンも忘れてはいけません。
No.218 Re: モロゾフの洋菓子は大好物です ニジェガロージェッツ [2004/04/21(水)21:42:04]
Ондрей Заков さん

: ニジェさんの地元で亡命ロシア人関連といえば、やはり洋菓子
: 「モロゾフ」ですね。「バレンタイン・デー」の習慣を日本で
: 定着させた功労者ですが、同社製の洋菓子が大好きな私なれど
: あの制度の御蔭で、どれだけ救われない青春時代を送った事か。

御意。小生などは「ニコチン中毒」ならぬ「カカオ中毒」で、日頃より貯古齢糖を買うこ
とが多いのですが、あの風習のおかげで、2月には大の男がチョコを買い求める姿がみっ
ともなくて、チョコ断ちを余儀なくされます。

ところで、わが地元神戸にある洋菓子メーカー「モロゾフ製菓株式会社」ですが、創業時
のごく一時期を除いて、亡命ロシア人「モロゾフ氏」とは、関係がありません。
(もっとも、博識のЗаковさんのことですから、本文に関係のないことなので、識っ
ていて説明を略されたものと推測しますが)

詳しくは検索サイトで「コスモポリタン モロゾフ」で検索をかければ多くの関連ページ
にヒットしますが、ロシアに関連することなので、ここでも少々ご説明させて頂きます。

洋菓子として有名な「モロゾフ」は、ロシア・ヴォルガ地方のシンビルスク(現ウリャノ
フスク)出身の亡命ロシア人、フェドール・モロゾフ氏が大正15年に神戸のトアロードに
チョコレート店を出したのをルーツとしますが、昭和6年に神戸商工会議所の斡旋で紹介
された日本人資本出資者と共同で設立したのが「神戸モロゾフ製菓株式会社」で、これが
現在の「モロゾフ製菓株式会社」の前身です。同社のHPに記載されている設立日は昭和
6年8月8日となっています。
ところがモロゾフ氏と日本人経営陣との間に溝が生じ、結局モロゾフ氏は会社から独立、
自身の姓「モロゾフ」は既に法人として存在しているので自分の新会社の商標としては使
えず、「バレンタイン洋菓子店」を開くも、第二次世界大戦の惨禍に焼失、戦後は「コス
モポリタン製菓」として再出発することとなりました。

ということで、モロゾフ家は「モロゾフ製菓」ではなく、「コスモポリタン製菓」という
ことになります。
では、2月14日のバレンタイン・デーを「チョコレートを男性に贈る日」としたのは、モ
ロゾフ製菓か?それともモロゾフ家のコスモポリタン製菓か?
実際のところ、小生にはよく分りません。

ところで、神戸の亡命ロシア人が始めたチョコレートメーカーには、ロマノフ王朝の菓子
職人のひとり、マカロフ・ゴンチャロフ氏が大正12年に中山手カトリック協会の東隣でチ
ョコレートの製造を開始した老舗、「ゴンチャロフ製菓」も有名です。

なお、F・モロゾフ氏の郷里シンビルスクからヴォルガ河を南へ下ったところにサマーラ
という大都市があり、ここはロシアでチョコレート処として知られていますが、何かの因
縁でしょうか?
No.219 屈折した我が胸の内 господин Ондрей Заков [2004/04/22(木)12:47:12]
モロゾフの沿革については粗方失念していましたが、言われて
見れば、確かにその様な話を聞いた記憶があります。創業者の
一族が、自らの姓に由来する名の企業と決別した事例としては、
御家騒動のあった、皮革関係の有名ブランドの例がありますね。
治安上脅威とされる、中国製のロシア名拳銃も、似た様な例と
言えなくもありません。

「バレンタイン洋菓子店」と称すると今時は「御口の恋人」の
監督による経営の下、ソウルにも姉妹店が進出しそうな印象を
持ちますね。これがもし「バンアレン帯洋菓子店」だったら?
「荷電粒子と生クリームの不思議な出会い、新感覚で新発売!」
………という事で、来年から「バレンタイン・デー」の呼称を
「バンアレン帯デー」と改称するべく提唱致します。2月14日、
それは、チョコが貰えない野郎共の心を磁気嵐が吹き荒れる日。

神戸における欧州由来の菓子ブランドというと、ユーハイムも
挙げられますね。こちらは独系と見受けますが、ハイムは元々
「家」の意味らしく、日独後の翻訳家が引退後に余生を楽しむ
家を作るなら、命名は「アルツハイム」か、などという、少々
スパイスが効き過ぎた冗談を、運転中のラジオで聴きました。

そういえば最近、バウム・クーヘン、喰わへんなぁ(退潮)
No.220 「バレンタイン洋菓子店」と「ユーハイム」について ニジェガロージェッツ [2004/04/23(金)00:15:59]
Ондрей Заков さん

: 「バレンタイン洋菓子店」と称すると今時は「御口の恋人」の
: 監督による経営の下、ソウルにも姉妹店が進出しそうな印象を
: 持ちますね。

「バレンタイン洋菓子店」さんの店名由来は、創始者フェドール・モロゾフ氏とともにロ
シアから渡って来たご子息、ヴァレンタイン・モロゾフ氏に由来するもののようです。尤
も、ロシア語では「ヴァレンチン Валентин」ですが。
http://www.cosmokobe.com/


: 神戸における欧州由来の菓子ブランドというと、ユーハイムも
: 挙げられますね。こちらは独系と見受けますが、ハイムは元々
: 「家」の意味らしく
(後略)

「株式会社ユーハイム」さんのHPには、創始者カール・ユーハイム氏が極東のドイツ領、
山東半島の青島でドイツ菓子業を営み、第1次大戦で日本に捕虜としての滞在から、解放
後の横浜での開業、関東大震災で全てを失い神戸での再出発から現在に至る軌跡を、カー
ル氏の奥方エリーゼ女史を中心に長編小説「ユーハイム80年物語」として紹介されていま
す。
ものすごく読み応えがありますが、日本におけるドイツ移民の歴史もうかがえ、夢中にな
って読みました。
http://www.juchheim.co.jp/
No.221 何やら食べてばかりですが господин Ондрей Заков [2004/04/23(金)11:12:08]
御指摘のユーハイムの歴史を概観しますと、異文化圏で功名を
成す事の御苦労の程が窺えますね。今度食べる時は襟を正して
有難く頂く事にしましょう。モロゾフ、ユーハイムは、大阪に
赴いた時、土産として梅田の阪神百貨店地下で買い求めるのが
定番なのですが、ペナント・レースの最中に、甲子園球場から
電車で到着した虎軍団とかちあうと、物凄い雰囲気になります。

おっと、忘れてはいけない神戸風月堂。あの円形のゴーフルを
無造作にして乱暴に食い破る時のサディスティックな征服感と
食感が、子供の頃より至福の一時でした。(何か危ないなぁ)

話をロシア関連に戻しまして、日本でも馴染みのロシア料理と
いえば、やはりピロシキやボルシチですかね。後者については
昭和初期の金融恐慌の頃、新宿中村屋が、インドカレーと並ぶ
主力商品として売り出したのが、日本で広まった契機の一つに
なった様ですね。

同社サイトによると、留学で来日したウクライナの盲目詩人が
ロシア革命の影響で根無し草状態に陥り、ボルシェビキ嫌疑で
国外退去命令を受けるまでの数年間、ロシア諸事情に精通する
同社創業者の庇護下にあった、という事情があるのですね。

かかる切り口から沿革を紐解くと、意外な歴史が垣間見えます。
何だかボルシチが食べたくなって来ました。今夕女房に頼んで
作って貰おうかな。
No.222 神戸ナンバー目撃 千本桜歌麿 さん [2004/04/23(金)22:38:29]
こんばんは。
本日、大河原から仙台に向かう途中、岩沼あたりで神戸ナンバーの車を見かけました。こ
のあたりを神戸ナンバーが走行しているなんて非常に珍しい。ひょっとしてニジェガロー
ジェッツさんではなかろうかと思い、車線変更して横顔だけでも御拝顔しようとしたので
すが、信号に引っ掛かって見失いました。もともとニジェガロージェッツさんのお顔を存
じ上げないのですから全く無駄なことではありますが、こんな無駄をしながら人生を楽し
んでいます。

それにしても、「都市別人口の推移と過去の都市人口ランキング」は凄いですね。見ごた
えがあります。惜しむらくは、私がロシアの都市を古い名前で憶えていて、改称後の新し
い都市名を知らないこと。いまだにスターリングラードがこびりついている。ちょっと古
すぎでしょうか。

もう、神戸はすっかり新緑でしょうか。こちらは今、「山笑う」の季節です。白っぽい緑
、黄色っぽい緑、桃色っぽい緑。いろんな若緑が混じって、本当に山が笑っているように
見えます。今が一番いい季節ですね。
No.223 Dr.ペッパーの時間 ニジェガロージェッツ [2004/04/24(土)22:31:25]
こんばんは、タイトルとは何の関係もないまとめレスで恐縮ですが・・・。
#昨日、ユーハイムのバウムクーヘンを心して頂きました。

No.221 Ондрей Заков さん
ボルシチ(борщ)についての意外なエピソード、有難うございました。
「新宿中村屋」さんのHPを確認しましたが、ウクライナの盲目詩人エロシェンコ氏の国
外退去後のご生涯が気になりますが、ボルシチを日本に紹介した第一人者として、わが国
の洋食史に足跡を残されておられると言う事でしょうか。コスモポリタンさんやユーハイ
ムさんではありませんが、食べ物一つにしても、異国の文化が日本に根付くまでには、思
いがけない歴史を感じずにはおられません。
ロシアには「ウクライナ風」とか「モスクワ風」といったように、ボルシチにも種類があ
りますが、実は冷たいボルシチもあったりします。

食べ物の話ばかりで申し訳ありませんが、ニジニでは日本で有名なピロシキ(пирож
ок)やボルシチ以外に、ペリメニ(пельмень ロシア風水餃子)やガルショー
ク(горшок 肉や馬鈴薯などのスープで、底の深い壷に入ったもの)を好んで食べ
ました。シャシルィク(шашлык)という肉の串刺しを街頭などで調理して売ってお
り、非常に美味でしたが、これはグルジア料理だそうです。


No.222 千本桜歌麿 さん
神戸ナンバーを目撃されたとか。小生であるかどうかは別にして(笑)、震災後は被災し
た企業が全国に散らばっていった背景もあって、結構全国的に神戸ナンバーの車が走って
いるということを耳にしたことがあります。
歌麿さんの地元、仙南地方の「山笑う」という、その描写から素晴らしい景色を想い描き
ます。
こちら神戸では、仰る通り新緑の季節です。昨日来の強い風もあり、今日は大阪湾の対岸
の泉南や和歌山方面がはっきり見渡せました。

「都市別人口の推移と過去の都市人口ランキング」についてのメッセージも有難うござい
ました。苦労して作成した甲斐がありました。
「スターリングラード」は小生が生まれる前の年に、地図上から姿を消していますので、
リアルタイムでは存じません。
ただ、「ツァーリツィン」とか「ノヴォニコラエフスク」とか「エリザヴェトグラード」
になると、何れも今の名称では名の知れた大都市ですが、これらの旧名は知られておらず
、またリアルタイムでご経験の方は相当なご高齢です。時代を意識して故意に当時の都市
名を並べ立てましたが、判り難かったかもしれませんね。
つまらない小生の「こだわり」として、ご容赦下さい。
No.224 ツァリーツィン ニジェガロージェッツ [2004/04/24(土)23:23:49]
現在の「ヴォルゴグラード」の旧名「スターリングラード」のもう一つ前の旧称を拙サイ
トでは「ツァーリツィン」と表記しておりますが、厳密にはこれは間違いで「ツァリーツ
ィン」というのが発音に近い表記です。
検索サイトで検索してみると、「ツァリーツィン」と「ツァーリツィン」のヒット数はほ
ぼ互角で、その表記はどれが正しいと言えないかもしれませんが、発音辞典などにははっ
きりと「ツァリーツィン」と書かれています。
   #近いうちに拙サイトの方は訂正しておきます。
都市名の由来は、この地を流れるヴォルガの支流「ツァリーツァ(Царица)川」と
いう河川名によるものですが、この「ツァリーツァ」はロシア語で「女帝」または「皇后
」を意味することから、この都市名を「皇后の町」と解釈する場合が多いようです。しか
し、この地は元々がロシアの版図ではなく、ロシア領になる以前から「ツァリーツァ川」
と呼ばれていたとの説もあり、とすればタタール系の他言語地名との偶然の一致と見るべ
きで、「皇后・・」は的外れになります。

ところで、「スターリングラード」も実際には「スタリングラート」です。但し、こちら
は「スターリングラード」が日本語の表記として確立しており、これを踏襲したく思いま
す。
「レーニン」を冠したものが「レーニングラード」ではなく「レニングラード」、一方で
「スターリン」はそのまま「スターリングラード」と言い、「スタリングラード」とは言
わない。
これはあくまで日本語のトラブルですが。
No.225 食べるだけ食べたら飲む господин Ондрей Заков [2004/04/25(日)00:26:41]
ペリメニやガルショーク、シャシルィクの御話を伺っていたら
妙に腹が減って来ました。後でゴキブリ亭主するとしましょう。

さて食い物が出れば次は飲み物。ロシアとの関連性が最も強い
印象の飲料といえばウォッカでしょうね。酒精度数が高いのは
寒冷地ならではの陣容(中国東北部土産の白酎も強さにおいて
半端ではなかったですね)ですが、時として「ウオトカ」なる
仮名表記も散見され、本来の発音ないし表記は一体どうなって
いるのでしょうね。

うろ覚えですが、ある美食薀蓄によると、ワインが主流をなす
仏国にあっても、世界三大珍味の一角であるキャビアを食する
時だけは、ウォッカを飲むのだそうです。その理由はワインを
飲みつつイクラ(この語も露語由来だそうですね)をつまむと
私自身も実感するところですが、それにしてもワインの代替で
ウォッカが登場するとは、仏露間の文化的関連性やいかに?

例えばバレエも仏露ならではの名物ですね。元々様々な分野で
両国では関連が深いとも聞きます。そういえば、かつて仏国の
政府要人を務めた御仁の家系がウクライナ(NHKニュースの
英語版の場合「ユクレイン」という発音ですね)に由来すると
聞いた事もあります。政治体制における符合性を指摘していた
専門家もいた様ですが、さて、どうなんでしょう?

千本桜歌麿さんの「山笑う」という表現ですが、ここ数日来の
我が地元の山容にもある程度当て嵌まりますね。先週でしたか
あちこちで「エザライ」(農業用水濠の掃除)がありましたが
今日から一部の田圃で水引きが始まりました。世の中が急激に
瑞々しい景観に移行する。一年の内では、最も躍動感を覚える
時節ですね。
No.226 Re: 食べるだけ食べたら飲む ニジェガロージェッツ [2004/04/25(日)22:57:31]
Ондрей Заков さん、毎度の面白いお話、感謝です。
露仏間の文化交流については確かに現地でもそれを感じました。文化的にはフランスと、
経済的にはドイツとの繋がりが深いように感じましたが、小生は文化的なものに疎い故、
詳しくレスを差し上げることが出来ません。ご容赦を。

: さて食い物が出れば次は飲み物。ロシアとの関連性が最も強い
: 印象の飲料といえばウォッカでしょうね。酒精度数が高いのは
: 寒冷地ならではの陣容(中国東北部土産の白酎も強さにおいて
: 半端ではなかったですね)ですが、時として「ウオトカ」なる
: 仮名表記も散見され、本来の発音ないし表記は一体どうなって
: いるのでしょうね。

ウォッカですか。露語では “Водка”[ヴォートカ](但し、「ト」に母音成分はな
し)です。「ウオトカ」なる表記も一応納得できます。
ただ、小生下戸故、料理や傷口の消毒に使った以外には縁の無い飲料で、ウォッカの名産
地などの情報は存じませんが、住んでいたニジニでも「スタールイ・ニジニ」とか「アフ
タザヴォーツカヤ」といった銘柄のウォッカが売られているところを見ると、全国的に作
られている飲料との印象を持っています。
知人の呑んだくれのロシア人は、これを「ベールィ・チャイ(白いお茶)」とか言ってが
ぶ飲みしていましたが。

ところで、ロシアの飲料として特筆したいのは、酒類ではありませんが、清涼飲料として
白樺の樹液をジュースにした「白樺ジュース」があります。
露語で “берёзовый сок” [ビリョーザヴイ ソーク]と言いますが、これ
は結構美味いです。(といっても人それぞれですが)
ロシアでは全土に白樺があることから、各地で作られており、ソ連時代には同国を代表す
るジュースだったと聞きます。小生が初めてソ連に行った1989年には、どこの食堂でもふ
んだんに白樺ジュースが置いてあり、街中の商店でも4リットル程の大瓶に入れて売って
いました。
ところが、ソ連崩壊と市場経済化の流れの中で、西側の飲料が大量に流通するようになる
と次第に姿を消し、小生のニジニ在住中(96〜97年)には、ついぞ見ることがありません
でした。タタルスタンの田舎へ遊びに行った時に、村の食料品店で見つけたぐらいです。
あの甘くて口当たりのよいあの味は、今でも忘れられません。
No.227 飲んだら寝ます господин Ондрей Заков [2004/04/26(月)00:26:21]
うーむ、ウォッカほどの高酒精飲料となると、消毒薬としての
効能もあるのですね。しかしこの高酒精性ゆえに、都市部では
アル中が大きな社会問題となり、ソフトドリンクが国策として
奨励された事があるのだとか。或いは御指摘の白樺ジュースも
そうした産物なのかも知れませんね。

件のアル中はまた、離婚誘引の大きな要因になっているそうで、
以前読んだ週刊誌記事によると、婚姻届を提出する場合、一年
経過しても気が変わらなければ役所が認める制度があったとか。
私の場合、幾ら飲んでもマターリアには勝てないのですが(汗)

さて、今回は少し真面目な地理の話。

中学時代の社会科の授業で、欧州とアジアに跨る国はトルコと
ソ連だと習った事があります。その境界線となるのは、前者が
ボスポラス海峡、後者がウラル山脈との事。鉄道誌で一読した
シベリア鉄道の取材試乗記によれば、境界を示すオベリスクが
線路際にあるそうな。

比較的緩やかとされつつも厳然と続く山脈が、大きな文化圏の
境界になっている事は感覚的に判りますが、ウラジオストクや
ナホトカなど、極東の主要都市の映像でも白系ロシア人の姿が
目立つ中にあって、山脈の東西でどの程度、異なるものなのか。
そして、この境界は連邦を構成していた共和国同士の線引きと
合致するのか。結構以前から疑問だったりします。

鉄道といえば、ロシアの線路規格は、国際標準軌と聞く中国の
それより広幅らしく、新疆ウイグル自治区とタシケント方面を
結ぶ路線の場合、国境駅では台車交換の為、乗客を乗せたまま
クレーンで車両を吊り上げる、という物凄い話も聞くのですが
どこまで本当やら?
No.228 仏露の文化的関連性? господин Ондрей Заков [2004/04/26(月)23:45:51]
タイトルの程に必然性があったか否かは定かではありませんが、
ロシア音楽界における五人組の一人と賞され「禿山の一夜」で
知られるムソルグスキーが、画家兼建築家の友人ガルトマンの
遺作展を題材に作曲したピアノ曲「展覧会の絵」を、一層世に
知らしめた御仁が「ボレロ」「ダフニスとクロエ」で知られる
モーリス・ラヴェルなのですね。

かかる編曲版は、実に十数種類に及ぶそうで、かのリムスキー・
コルサコフの場合は、ピアノ曲の段階でも改訂版を書いたとか。
チャイコフスキーと同様に、リムスキー・コルサコフの作風を
好感する者として、一度聴いてみたいものですが、いかんせん
花の御江戸に赴かないと、CDの入手が覚束ないのです(笑)

リムスキー・コルサコフと言えば、交響組曲「シェエラザード」
序曲「ロシアの復活祭」及び「スペイン奇想曲」が有名ですが、
私が挙げたいのは、最終稿に基く交響曲第二番あらため交響詩
「アンタール」ですね。「シェエラザード」に比べると地味な
感じは否めませんが、共に中東方面の題材に基く作風で、丁度
今頃の時期に、田圃が広がる中を一直線に進む農道を走りつつ
東洋的行進曲風の第三楽章なぞ聴くと、ハマリ捲りの世界です。

「ロシアの復活祭」も、過去ログにて言及した「コスモス」で
引用されています。ボロディンやムソルグスキーの未完成曲を
オケ仕様に整えるなど、面倒見の良さにも惹かれます。
No.229 欧亜の境界 ニジェガロージェッツ [2004/04/27(火)00:16:02]
Ондрей Заков さん、こんばんは。

シベリア鉄道線路際に立つ、欧亜の境界を示すオベリスクとは、スヴェルドロフスク州ピ
ェルヴォウラリスク地区にある、シベリア鉄道1777km地点に立つ、「オベリスク“ヨー
ロッパ=アジア”」、露語でОбелиск“ЕВРОПА=АЗИЯ”ですね。
ロシアのサイトを探したら、欧亜両側から写した写真がありました。
http://prvregion.narod.ru/data/hstpm/0/0obl_1777.htm

さてОндрей Заковさんの仰る「白系ロシア人」とは、本来の「赤化ソ連の支
配を拒み、海外へ生活を求めたロシア人」という意味ではなく、単に人種としての「白人
系のロシア人」ということで、スラヴ系民族を中心としたヨーロッパ人(非アジア系人種
)と理解して宜しいでしょうか。
だとすれば、ウラル山脈を境として民族分布の特異的な変化はないでしょう。
この「欧亜の境界」と共和国等の行政区画界との一致部分では、北ウラルのアジア側ヤマ
ロ=ネネツ、ハンティ=マンシ両民族管区と、ヨーロッパ側ネネツ自治管区、コミ共和国
の境界部分は一致、南ウラルではこの「欧亜の境界」を縫うようにスヴェルドロフスク州
、チェリャビンスク州、バシコルトスタン共和国、オレンブルク州の境界が走り、ここで
はアジア側のスヴェルドロフスク州の北部とヨーロッパ側のペルミ州北部の境界線と一致
する以外では、現行の行政区画界とは一致しません。
更に、ウラル山脈以南、カスピ海に至る「欧亜の境界」は、ウラル川をその線としますが
、これも現在のロシア=カザフスタン国境線とは一致しません。

更に南、カフカス地域ではこの「欧亜の境界」は“流動的”と言わざるを得ません。とい
うのは、ロシアとトルコの間に存在する「外カフカス3国」つまり、カフカス山脈の南に
あるグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンのことですが、これを欧州諸国の一角とす
るか、アジアの国々に数えるかは、まちまちです。
では、ロシアと外カフカス3国の境界をなす大カフカス山脈以北にある、ロシア領北カフ
カス地域は完全にヨーロッパと見て良いかといえば、これも絶対にそうだとは言えず、小
生の手元にある中学時代に使った帝国書院「中学校社会科地図・初訂版」(昭和50年発行
、震災で家が全壊しても、こういったものをしっかり持ち出す神経は異常)によると、こ
の部分の境界は、山脈からはるかに北、カルムイキヤ共和国とロストフ州をかすめていま
す。

話が長くなりましたが、この「欧亜の境界」とは、概念上のもので、実際の境界線として
は、かなり流動的なのもと見て良いと思っています。

極端な話、ウラジオストクなどは完全にヨーロッパ風だし、サハリン旅行のパンフレット
には、「日本に一番近いヨーロッパ」などと書かれている位ですから。一方でヨーロッパ
側に位置するタタルスタンの首都カザンに行った時は、地元のロシア人に「ここはアジア
だから注意しろよ」とも言われました。
No.230 欧亜 господин Ондрей Заков [2004/04/27(火)12:30:17]
>欧亜両側から写した写真がありました。

おお、紹介のサイトがあるのですね。写真を一瞥した限りでは、
峠越えという雰囲気でもなさそうですね。韓国京釜線における
秋風嶺の様な印象を想像していましたが。

>ヨーロッパ人と理解して宜しいでしょうか。

然様です。ロシア革命当時、革命政権側が社会主義を象徴する
色に肖ってか「赤軍」と称したのに対し、守旧側は「白軍」と
呼ばれた様ですね。日本でも「紅白歌合戦」等、拮抗相対する
二大勢力を象徴する呼称に用いられていますが、もしかしたら、
何か文化的関連性があるのか、とも感じます。なお「人造人間
キカイダー」の塗装は、青が正義、赤が悪の象徴です(笑)

>実際の境界線としては、かなり流動的なのもと見て良い

外務省における地域別担当部門の総括に確か「欧亜局長」なる
役職があった様に記憶しますが、単にユーラシア大陸(これは
「ヨーロッパ+アジア」の合造語と考えて良いのですかね)を
一区分とする考え方なのか、或いはもしかして、ソ連崩壊以降、
欧州とアジアの明確な線引きが難しくなった事の反映なのかと
勝手に想像しています。

>「日本に一番近いヨーロッパ」

確かに、映像で見るユジノサハリンスク、ウラジオストク等の
街の印象は、欧州のそれですね。白系ロシア人が極東にも多い
必然の一因として第二次大戦中、日本人と風貌が類似している
アジア系住民が、中央アジアに強制移住させられた事があると
耳にした事があります。 
No.231 Re: 欧亜 ニジェガロージェッツ [2004/04/29(木)01:44:56]
Ондрей Заков さん、早速のレスありがとうございます。

: 外務省における地域別担当部門の総括に確か「欧亜局長」なる
: 役職があった様に記憶しますが、単にユーラシア大陸(これは
: 「ヨーロッパ+アジア」の合造語と考えて良いのですかね)を
: 一区分とする考え方なのか、或いはもしかして、ソ連崩壊以降、
: 欧州とアジアの明確な線引きが難しくなった事の反映なのかと
: 勝手に想像しています。

外務省欧亜局は冷戦時代から存在していたと記憶しています。
1983年9月1日の樺太上空でのソ連空軍による大韓航空機撃墜事件での対応に「外務省欧亜
局ソ連課」が奔走していた様子が、頻繁にマスコミに登場していた記憶にあります。
現在では、省庁再編で「欧州局ロシア課」と名が変わっているようです。

: 白系ロシア人が極東にも多い必然の一因として第二次大戦中、
: 日本人と風貌が類似しているアジア系住民が、中央アジアに
: 強制移住させられた事があると耳にした事があります。

極東ロシアの主要部を占める沿海地方、ハバロフスク地方、ユダヤ自治州、アムール州、
サハリン州の大部分がロシア領となったのは、何れも19世紀後半の愛琿条約(1858年)、
北京条約(1860年)、千島樺太交換条約(1875年)ですが、この当時これらの地域には古
来からの北アジア系の土着民族が住んでいたものの、非常に人口の希薄な地域で、ロシア
領となってからロシア本土からの移民が進み、ヨーロッパ化したということでしょう。
追放とその後の移民によって、一気にロシア人の比率が高くなったのはサハリン南部で、
第二次大戦終結後にソ連領となった樺太からの日本人送還によるものです。

一方で、後のスターリン時代に日本のスパイの予備軍としての嫌疑をかけられ、中央アジ
ア方面へ強制移住させられることとなった朝鮮人がこの地域へ流入したのは、日本の韓国
併合(1910年)による支配を嫌った人々だと耳にしたことがあります。
ロシア革命以前のウラジオストクには、中国人街、朝鮮人街、日本人街が形成され、ロシ
ア治下で共存していたそうです。
No.232 お知らせ ニジェガロージェッツ [2004/04/29(木)02:07:07]
最近、拙「ニジェガローツキー・ドヴォール」での更新作業が滞っておりますが、現在、
更に都市を調べ易くするために、日本語の五十音での市名索引を製作中です。
当面は「市=город」のみを対象に製作中ですが、既存の「1098市一覧」を単にアイ
ウエオ順に並び替えるだけではなく、旧市名なども混ぜて、より多くの人に使いやすいも
のに仕上げようと考えております。
どうぞご期待ください。

また、「1098市一覧」から、現地の公式サイトや案内サイトへのリンクを張る作業が、南
連邦管区の途中でストップしていますが、こちらも追って再開する所存です。今しばらく
お待ち下さい。
No.233 おろしあ国酔夢譚 господин Ондрей Заков [2004/04/30(金)00:37:55]
>ロシア領となってからロシア本土からの移民が進み、

なるほど、極東の欧州化が顕在化したのは19世紀半ば以降の事
なのですね。それより少し前の1783年、駿河沖の遭難で、実に
半年以上かけてアリューシャン列島に漂着した大黒屋光太夫の
資料を見ると、当時の同地は動物の毛皮等を扱うロシア商人の
来訪で、ロシア人町が点在する状況だった様ですね。

当時のシベリア総督府はイルクーツク所在だった様で、帰国の
嘆願目的で滞在先のニジニカムチャッカから同地までの移動に
実に八箇月を要していますね。(シベリア鉄道の開業時期は?)
総督の回答が色好い物でなかった理由として、日本を意識した
対外計画において、日本語の教育を重視した側面が介在すると
聞いた事があります。

この時、光太夫の帰国に尽力した根室来航ラクスマンの父親は
フィンランド出身なのですね。次々と仲間が死亡、脱落する中、
光太夫以下三名は、エカチェリーナ二世の遣日使節の枠に則り
1792年に根室に赴く訳ですが、米の生産調整に関しロシアとの
限定貿易を模索していた老中・松平定信が、光太夫の江戸回航
途上で失脚した為、漸く帰国を果たした光太夫は、鎖国の禁を
冒した咎で軟禁状態に置かれたとの事。

映画「おろしあ国酔夢譚」のダイナミックな映像にも鑑みるに、
「数奇な運命、かくありき」を如実に体現した例かと感じます。
この映画、星勝さんによる背景音楽も良かったなぁ。
No.234 Re:Re: 欧亜 一見の客 さん [2004/04/30(金)02:05:11]
欧亜局が欧州局に衣替えしたのは、文部科学省や厚生労働省が発足したのと同じ、2001年
1月6日です。
どこがどう異なるかは直前直後の課の編成を比べてみれば明らかです。
欧亜局: 西欧第一課 西欧第二課 ロシア課(+NIS室) 東欧課 大洋州課
欧州局: 西欧第一課(+EU室) 西欧第二課 中・東欧課 ロシア課(+NIS室+
ロシア交流室)
一目瞭然でおわかりと思いますが、大洋州課が抜け落ちています。
このとき、同時にアジア局がアジア大洋州局に衣替えされました。

そもそも欧亜局が発足したのは1957年4月のことで、欧米局がアメリカ局と欧亜局に分割
されました。
この時点の欧亜局は、欧州、中近東、アフリカ、大洋州を所管していました。
1961年5月から欧亜局内に中近東アフリカ部が置かれるようになりましたが、1965年5月に
中近東アフリカ局として独立し、それ以降、欧亜局は欧州と大洋州のみを所管するように
なり、2001年1月の中央省庁改革の時期を迎えます。
No.235 ホワイト・ナイツ господин Ондрей Заков [2004/04/30(金)16:23:29]
>大韓航空機撃墜事件

ソウル経由で帰国の途にあった日本人多数も巻き込まれた為に
当時はかなり大々的に報道されましたね。韓国の「北方外交」
推進の大きな契機になったと聞きます。

旧ソ連領で航空機墜落というと、フィクションではありますが
東西冷戦を背景とした映画「白夜」の冒頭シーンを想起します。
あの作中で、西側に亡命するも再びソ連当局監視下に置かれた
バレリーナを演じたミハイル・バリシニコフ自身も、キーロフ
バレエ団に所属していた1974年に、公演先のカナダで亡命した
過去があるのですね。

作中、タップ・ダンサー役を演じるグレゴリー・ハインズとの
共演シーンがカッコ良かったのに感動し「愛と喝采の日々」や
「ダンサー」と、立て続けにレンタル・ビデオを観たのでした。
No.236 海底基地の建設 ニジェガロージェッツ [2004/04/30(金)23:55:50]
こんばんは、またしてもタイトルとは何の関係もないまとめレスで恐縮ですが・・・。
#タイトルの意味を理解する方は、40歳前後で子供心を忘れない方でしょう。

No.233 Ондрей Заков さん
こんどは「おろしあ国酔夢譚」と来ましたか・・(脱帽)

: 1783年、駿河沖の遭難で、実に半年以上かけてアリューシャン
: 列島に漂着した大黒屋光太夫の資料を見ると、当時の同地は動
: 物の毛皮等を扱うロシア商人の来訪で、ロシア人町が点在する
: 状況だった様ですね。

「おろしあ国酔夢譚」は映画だけでなく、原作の井上靖氏の小説も読みました。
映画では漂流民一行のうち、その時点で生き残った6人がロシア人とともに漂着先のアム
チトカ島から、自作の船で直接オホーツク港へ着いたように描かれていますが、実際には
アムチトカ島での生き残りは9人で、ロシア人とともにカムチャツカの東岸に上陸し、当
時のカムチャツカ行政の中心、ニジネカムチャツクで越冬していたようです。そこでも3
名を失い、結局残った6名でニジネカムチャツクから半島を東へ横断し、オホーツク海を
越えてオホーツクへ向かう。
ところで、この当時の極東ロシア領、現在の極東連邦管区の北部に相当しますが、この一
帯は「露米会社」という、表向きは動物の毛皮等を扱う商人ですが、実態はかなり胡散臭
い国策会社のテリトリーで、アラスカからカリフォルニアに至る北太平洋一帯を荒らしま
わっていたようです。


: 当時のシベリア総督府はイルクーツク所在だった様で、帰国の
: 嘆願目的で滞在先のニジニカムチャッカから同地までの移動に
: 実に八箇月を要していますね。(シベリア鉄道の開業時期は?)

シベリア鉄道の完成は更に100年以上後のことで、また極東部分のシベリア鉄道沿線はま
だ清国領で、大黒屋光太夫の18世紀末の時代には、極東の要港オホーツクからイルクーツ
クへ至る街道は、ヤクーツクを経由してレナ河の沿ったもので、相当な所だったようです
。
特に、オホーツクからヤクーツクまでの「オホーツク荷駄街道」なる道は、現在では存在
せず、ユドマ山脈を越える難所もあり、その苦労は想像を絶します。
ヤクーツク以西はレナ河にそって遡り、バイカル湖のはるか北を通りイルクーツクへ入っ
たようです。
ニジネカムチャツクを出発した6人が、中には凍傷を負いながらも1人も失わずにイルクー
ツクに到着したのは、奇跡に思えます。


No.234 一見の客 さん

はじめまして。
外務省の部局についての詳細なフォロー有難うございます。
特に「欧米局」という、おおよそアジア以外の全地球をカバーする巨大な局からスタート
し、「欧亜局」となり「アメリカ」が抜け、更に「中近東アフリカ」が抜け、最後に2001
年1月の中央省庁改革に合わせて「大洋州」が「アジア」と一緒になって、「欧州」だけ
が残ったということですね。勉強になりました。

「一見」と仰らず、またちょくちょくお立ち寄り下さい。
No.237 酔っ払いの呟き господин Ондрей Заков [2004/05/01(土)01:08:21]
先ずは現在、四合ほど酒が入っている事を御断りした上で……

>凍傷を負いながらも1人も失わずにイルクーツクに到着

作中、西田敏行さんが演じた、凍傷で片足を失ったメンバーの
事でしょうか。凍傷というと、旧陸軍歩兵による八甲田山での
遭難事故の生存者の状況にも鑑みるに、襟を正す思いですね。

>シベリア鉄道の完成は更に100年以上後のことで、

帝政時代の事でしょうか。さて、シベリア鉄道(バム鉄道の事
だったかな?)に関するNHKの映像で印象に残っているのが、
タイガを切り開いた傍から線路を敷設していたものです。これ、
開発が進むに従い奥地に分け入る事になるので、週末の帰郷が
覚束なくなる、という世迷言を、作業員の一人が苦笑しながら
語っていましたっけ。

中学時代、社会の教科書において、シベリアの酷寒の地として
ノリリスクという街の写真が紹介されており、その後地図帳で
場所を確認したところ、シベリア鉄道からは完全に孤立しつつ
街周辺の僅かな(とは言え、メルカトル図法の地図では正確な
規模を類推するのは困難でしたが)区間に鉄道の表記が見られ、
どんな必然性があるのか、疑問に思ったものでした。最も寒い
街として、ベルホヤンスクの地名を知ったのは高校時代の事。

イルクーツクといえば、透明度が高い事で有名なバイカル湖を
やはり連想しますね。東西冷戦当時、NHK映像で紹介された
それは、徒にトンネルで短絡するのを避ける様な仕様だったと
紹介されていましたっけ。

BGM)
チャイコフスキー・交響曲第一番「冬の日の幻想」第一楽章
No.238 ノリリスクについて господин Ондрей Заков [2004/05/02(日)01:26:08]
言及序でにノリリスクの事を少し調べましたが、北極圏に入る
この鉱業の街は、元々レニングラードを模した計画都市の様で、
孤立した鉄道の存在意義とは、寒冷期での有用性は不明ながら、
北極海航路の要衝とされるドゥヂンカとの連絡性にある様です。
(両者がどの程度離れているかは不明)検索して見ると、鉄道
写真を載せた頁がありましたが、いかにもという感じのゴツい
電化仕様でした。(2002年に全線が電化されたシベリア鉄道で
電化が最も遅かったのは、沿海州界隈の 200km程の区間とか)

北極圏界隈で鉄道を擁するのは、他には、北方艦隊の戦略原潜
基地の印象が強いムルマンスク程度と聞きます。ノリリスクと
異なり、こちらは他路線と接続していた様に記憶します。

ロシアの鉄道で旅客の花形といえば、過去ログで言及があった
「赤い矢」号なのでしょうね。私自身、ケイブンシャの図鑑の
記事から、幼少時より知っていた列車名です。この名を聞くと
どうしても西武鉄道の「英訳版」を連想するのですが、最近は
我が子と一緒に「鉄道戦隊・レオレンジャー」を高らかに歌う
日々なのでした。(これはハマります/笑)
No.239 ノリリスク鉄道 (略称:НЖД) ニジェガロージェッツ [2004/05/02(日)03:20:36]
No.237,238 Ондрей Заков さん、面白いお話いつも有難うございます。
ノリリスクの鉄道についていろいろと調べているうちに遅くなり、申し訳ありませんでし
た。

このシベリア鉄道本線から遠くはるか北に孤立して存在する鉄道は、「ノリリスク鉄道」
と言い、エニセイ河の河港ドゥヂンカと、ノリリスク、更にその奥に位置するタルナフを
結んでいます。ノリリスクとドゥヂンカの直線距離は72kmです。
この鉄道の誕生は1937年で、1946年に広軌となり、1974年に初めて電化旅客鉄道となった
そうですが、現在では、冶金業「ノリリスク・ニッケル社」の生産貨物輸送線となってい
るようです。
(参考ページ)
http://www.nn.nornik.ru/archive/8/3_print.html

推測ですが、北極海やエニセイ河が航行可能な場合には、ノリリスクから鉄道で運ばれた
貨物は、ドゥヂンカ港から北極海経由で各港へ、またエニセイ河経由で鉄道のあるレソシ
ビルスク河港やクラスノヤルスク河港へのルートがあると考えます。また、冬期にエニセ
イ河が氷結する時期には、氷上がハイウエーの役割を果たし、トラック輸送が可能と想像
します。

ロシア語ですが、写真入りのページを見つけました。
http://www.parovoz.com/stories/norilsk/

ノリリスク市の情報サイトはこちらです。
http://norilsk.net/ru/
No.240 Re: ノリリスク鉄道 (略称:НЖД) アファナーシー=ニキーチン さん [2004/05/02(日)04:32:31]
こんばんは。お久しぶりです。22時を過ぎても明るいサンクトペテルブルクです。

手元のガイドブック『タイミール』(ロシア語)を見てみたところ、ドゥジンカ港と「本
土」との海運は、砕氷船を利用して通年で行われているようです。極夜のバレンツ海を砕
氷船が行くというのはどのような光景なのか、にわかには想像がつきませんが。

このガイドブックによれば、同地の特異な歴史に惹かれてやってくる外国人も少なくない
そうですが、話題のノリリスク鉄道は旅客列車が無く、乗れないようです。ノリリスク・
ニッケル社によって95年頃架線は撤去され、現在は非電化との由。

当地ペテルブルクでも4月10日からネバ川の貨物船の運航が再開され、跳ね橋の上がった
深夜の市内を貨物船の船団が大挙して往来する光景が見られるようになりました。ロシア
で河川通航の持つ重要性を実感させてくれて、なかなか印象深いものです。

ではでは。
No.241 Re2: ノリリスク鉄道 (略称:НЖД) ニジェガロージェッツ [2004/05/02(日)12:29:43]
アファナーシー=ニキーチン さん、おはようございます。

ロシアからの情報にて、早速のフォロー有難うございました。

: こんばんは。お久しぶりです。22時を過ぎても明るいサンクトペテルブルクです。

ペテルブルクはいよいよ白夜の季節ですね。小生のいたニジニも、緯度ではペテルブルク
より南になりますが、それでも6月には深夜1時を過ぎてもヴォルガの彼方に真っ暗にな
らない空が見えたのを思い出します。
ロシアでは3月末の日曜日に夏時間となり、この季節に毎日5分程度は日暮れが遅くなる
のと重なって、一気に日が長くなり、季節の移り変わりを感じました。
 
ノリリスク鉄道ですが、やはり旅客運行はしておりませんでしたか。
以前にアファナーシー=ニキーチンさんや、Отшельникさんに教えて頂いた、ロ
シアの鉄道サイトも調べたのですが、ノリリスクのダイヤ情報はありませんでした。
それにしても砕氷船を利用して通年で運送が行われるなど、この北極圏に位置するノリリ
スク冶金工業地帯の重要性を垣間見るようです。
ところで、このノリリスクと、隣接するカイエルカン、タルナフの3市、更にスネジノゴ
ルスク町を併せた4都市(2001年1月の合計人口225,700人)は、いずれもノリリスク市行
政区に含まれ、地図上ではタイミール自治管区の範囲にありますが、実際には同自治管区
には属さず、いわばクラスノヤルスク地方本体の飛び地になっています。
タイミール自治管区全体の人口が4万人と、地図では人口12万人以上あるノリリスクを含
んでいるのに、何故?・・というのはこう言う事情によるものですね。


: 当地ペテルブルクでも4月10日からネバ川の貨物船の運航が再開され、跳ね橋の上がった
: 深夜の市内を貨物船の船団が大挙して往来する光景が見られるようになりました。ロシア
: で河川通航の持つ重要性を実感させてくれて、なかなか印象深いものです。

ニジニでも、この季節になるとヴォルガ河の結氷が融け、航行可能となると船舶の運航が
頻繁になっていました。
ニジニは工業都市でもありますが、船舶で欧州方面へ輸送するには、ヴォルガを上り、チ
ェレポーヴェッツから運河を経由してオネガ湖、ラドガ湖を通りネヴァ川に入り、ペテル
ブルク市街地を抜けてバルト海へ出る経路のようです。
おそらくモスクワからもモスクワ運河がヴォルガに通じていることから、同じ経路で、跳
ね橋の上がった深夜のペテルブルク市内をバルト海へ抜けていることでしょう。
想像するだけで、壮大な世界ですね。
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