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ホルムスク(真岡)の街並み。
1990年8月12日撮影

サハリン開放2年目を迎えた1990年夏。前年にはユジノ=サハリンスク(豊原)近郊のみの開放だったのが、旧樺太居住者など個々の希望が認められ、パックツアーながらも、さらに奥地への別行動が認められるようになりました。
思い切って最北端の街オハ行きをリクエストしたところ、4万円の別途料金追加で実現。小型飛行機で2時間の空の旅の後には、南部サハリンとは全く趣を異にした、油田地帯の大地が広がっていました。

    1990年8月当時のレート: 1ルーブル(旧) = 30円   

ホルムスク(真岡)の段丘市街

団体観光旅行用にチャーターされた前年と同じソ連船「サハリン9号」は午前10時に稚内港を出港し、夕方にホルムスク(真岡)港に入港。写真は「サハリン9号」から夕日に映るホルムスクの街並みを撮影。ホルムスクは段丘状の土地に発達し、写真からも3段の市街地が見て取れる。
1990年8月12日撮影
海から見たホルムスク市街南部

ホルムスク(真岡)の市街南部。春風山(しゅんぷうざん)の山容に市街が発達。この辺りは5段の市街が見える。
1990年8月12日撮影
旧旭ヶ丘からの市街鳥瞰

ユジノ=サハリンスクの東に連なる鈴谷山脈中腹の旧旭ヶ丘から見た市街の鳥瞰。
かつての豊原の面影はない。
1990年8月13日撮影
都心の繁華街

ユジノ=サハリンスクの賑わい。
写真は鉄道駅に近いレーニン通り(旧・大通り)とサハリンスカヤ通り(旧・真岡通り)の交差点辺り。
前方に見える建物は交差点に建つ中央デパート「サハリン」。
1990年8月13日撮影
駅裏の光景

ユジノ=サハリンスク駅裏の光景。
豊原時代には鉄道官舎が並んでいたというが、ソ連時代も同様か?
1990年8月13日撮影
北樺太のラグーン

サハリン北部のオホーツク海岸は大小無数のラグーンが連なる。
写真のラグーンはオハ市街の北東にあるケトゥ湾。この一帯は油田地帯でもある。
1990年8月13日撮影
北樺太オハ市の市街地

サハリン最北端の市、オハ市の市街。同市は石油産業の都市で、町は近代的な集合住宅が並ぶ。写真は都心に近い「コムソモリスカヤ通り」。市の郊外の丘の上には戦後南樺太よりこの地へ連行され命を落とした64名の日本人墓地がある。
1990年8月14日撮影
オハの小学校にて

オハの街を日本人3人連れで歩いていると、当時はもの珍しいのか、小学校の校庭に招かれて、記念撮影をせがまれた。
このあと数人の子供達が街の案内役を買って出てくれた。
1990年8月14日撮影
    

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