フォトギャラリー もくじハバロフスク地方の人口イルクーツク州の人口ニジェガローツキー・ドヴォール
アンガラ川を行く水中翼船から見たイルクーツク州の大地。
1991年8月17日撮影

1991年夏のソ連。丁度お盆休みの時期をあてた「日ソツーリストビュロー(現・ユーラスツアーズ)」の特別企画、「ウラジオストクと緑のシベリア」と銘打ったパックツアーに参加しました。
8月12日新潟出発の1週間の旅。ハバロフスク空港を離れ、帰国の途についたのは8月19日現地時間の正午のこと。新潟空港に着くや、ものものしい雰囲気の報道陣に囲まれる。何でもこの日、モスクワで保守派のクーデターが勃発し、その直後のソ連からの「一番便」だったとか・・・。

    1991年8月当時のレート: 1ルーブル(旧) = 4.75円    

ハバロフスクの船着場

まだソ連だった時代のハバロフスクの船着場の寸景。ハバロフスク中心街はアムール河とウスリー河の合流点より僅かにアムールを下った所に位置する。市街は右岸のみで、河辺の地形は起伏に富み、坂の多い街である。
1991年8月13日撮影
アムール河遊覧船より

ハバロフスク近郊のアムール河を行き交う船。
この年は上流の中国領松花江流域で洪水が発生しており、アムール河も増水し濁っていた。
中国名「黒龍江」の由来か。
1991年8月13日撮影
ハバロフスク カールマルクス大通り

当時ハバロフスク市内一の目抜き通りだった中央区カールマルクス大通り。
極東アジアとはいえ、街は完全にヨーロッパである。
1991年8月13日撮影
アンガラ河畔に復元された18世紀の町

イルクーツクからアンガラ川沿いの街道をリストヴャンカに向かう途中、「木造建築物陳列公園」として復元された18世紀のイルクーツクの街並み。
実はこの「街」は日ソ合作映画「おろしや国酔夢譚」(公開はソ連崩壊後)の撮影用に、舞台となった1790年代のイルクーツクを再現したものだとか。
1991年8月17日撮影
公園よりアンガラ河を望む

同じく「木造建築物陳列公園」より。アンガラ川はすぐ傍を流れる。
1991年8月17日撮影
リストヴャンカ町とバイカル湖

イルクーツクからアンガラ川に沿ってバイカル湖に出たところにあるリストヴャンカ町。
バイカル湖に臨む観光名所である。湖の対岸にはブリャート共和国の峰々が見える。
1991年8月17日撮影
リストヴャンカの船着場

リストヴャンカからイルクーツクへアンガラ川を下る水中翼船が発着する船着場。
対岸の山々はブリャート共和国カバンスク地区タンホイ町あたりか。
この時は水中翼船の船内はドイツと日本の観光客に占領されていた。2日後にはソ連崩壊の引き金となる保守派のクーデターが発生するとは露知らず。
1991年8月17日撮影
雄大なアンガラ川の光景

リストヴャンカを出港して、しばらくのアンガラ河。
イルクーツクまで水中翼船で1時間の船旅であった。

イルクーツクにはダムがあり、バイカル湖のリストヴャンカに至るアンガラ川は、正式には「イルクーツク人造湖」と呼ばれる。道理で川幅が広い。
1991年8月17日撮影
    

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