フォトギャラリー もくじタタルスタン共和国の人口ニジェガローツキー・ドヴォール (トップページ)
カザンの白いクレムリンは市街地の中に溶け込むように建っている。
1997年7月9日撮影

はじめてタタルスタンに入ったのは、ニジニでの語学留学の合間の1996年7月。その後、97年、2000年8月にも訪れる機会を得ました。ニジニ・ノヴゴロドからわずか300キロ東のヴォルガの大地、タタルスタンはイスラム教徒のタタール人の国。ロシアにありながらも独特の雰囲気の漂うカザンの街、そして共和国東部一帯は油田地帯。おもしろい所でした。
    2000年8月当時のレート: 1ルーブル(新) = 3.92円 

カザン・クレムリン

タタルスタン共和国北西部、首都カザン市中心部にある白いクレムリン。ニジニ・ノヴゴロドのレンガ色のクレムリンとは随分と趣を異にする。
タタルスタン共和国は1552年にロシア(モスクワ大公国)に併合されたカザン汗国に起源をもち、カザンは同汗国の首都であった。カザンのクレムリンはロシアに併合後すぐに建設が始まった。
1996年7月9日撮影
カザン中心街 バウマン通り

カザンの中心街「バウマン通り(ул. Баумана)」。1996年に初めて訪れた時には、ニジニの大ポクロフスカヤに比べて古びた田舎の商店街に思えたが、その後4年間でタタールの首都の顔として、おしゃれな繁華街に様変わりしていた。写真は市民で賑わう夕方の様子。
2000年8月17日撮影
カザン中心街 バウマン通り

同じく、バウマン通り。
写真はクレムリンに近く、商店街の西端にあたる。このあたりはソ連時代の雰囲気がまだ残っていた。
2000年8月17日撮影
落ち着いたレニノゴルスクの佇まい

タタルスタン共和国の南東端に位置するレニノゴルスク市一帯は石油産業の街。
戦後油田の発見で人造的に造られた街だが、住宅街は、いかにも地方都市らしい落ち着いた佇まいである。
1997年7月8日撮影
カラバシ町の風景

レニノゴルスクに近いカラバシの町。
このあたりの原野にも、油田の櫓が数多く見られるが、それ以外は牧歌的な風景が広がる。
2000年8月15日撮影
カラバシ町にて

同じくカラバシ町のスナップ。
夏の菜園では野菜や果実が盛りだくさん。
冬に備えての取り入れ時である。
2000年8月15日撮影
カマ川を渡るフェリー

レニノゴルスクからカザンへは、カマ川の大都市ナーベレジヌイエ・チェルヌイを経由するルートが一般だが、ほぼ直線的にチストポリを経由するルートもあり、後者だと車をぶっ飛ばして5時間、前者のルートより3時間早く着く。ただし、途中のカマ川には架橋がなく、フェリーでの渡船となる。
この写真の1ヶ月後には、車の積み過ぎからフェリーが転覆し、大勢の犠牲者が出たと聞く。
2000年8月17日撮影
    

このページのトップへ▲