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トゥヴァー共和国(地理概況と人口データ)


地理概況
位置 隣接する連邦構成体
シベリア連邦管区
極東連邦管区
名称 トゥヴァー共和国 Республика Тува [リスプーブリカ トゥヴァー]
別称 トゥイヴァー共和国 Республика Тыва [リスプーブリカ トゥイヴァー]
創設 1944年10月11日
首都 クィズィル市
総面積 168,604平方キロ
総人口 2002年10月9日(国勢調査)  305,510人 2008年1月1日   311,619人
都市人口 2002年10月9日(国勢調査)  157,299人 2008年1月1日   159,691人
地理状況 シベリア南部、モンゴル国西部国境の北、サヤン山脈の南側一帯を占める。
共和国の中央部と西部は、北に西サヤン山脈、西にアルタイ山脈、南にタンヌ=オラ山脈に囲まれ
たトゥヴァー盆地が占め、東部では東サヤン山脈の南西斜面やトジァー盆地、東トゥヴァー高原、センギレン高原が占める。最高標高は南西部のモンゴル国境に近いモングト=タイガ山の3970mである。
共和国のほとんど総ての河川はエニセイ河の水系である。主要河川は上エニセイ(ウルグ=ヘム)河と、その左岸支流のヘムチク川があり、キジル市で合流し、エニセイ河をなす大エニセイ(ビイ=ヘム)川、小エニセイ(カ=ヘム)川が流れる。共和国には沢山の湖が存在する。
気候 厳しい大陸性気候。冬期は寒冷で無風。盆地では少雪。夏季は山岳部では適度に温暖なものの盆地では暑い。
1月の平均気温は−28度から−35度。
7月の平均気温は+15度から+20度。
年間降水量は盆地部で約150mm、山岳部では1000mmまで。
資源 非鉄金属、希金属、石炭、アスベスト、鉄鉱、金、水銀など。
主要産業 鉱工業、畜産、毛皮獣捕獲。
交通 鉄道は通っておらず、一番近い鉄道駅はハカシア共和国のアバカンとアバザにある。
首都クィズィル市からは、北西に向かうエニセイ街道でアバカンに出るルートと、共和国を西に進みアク=ドヴラクを経由して北に折れ、アバザに出るルートの2つがある。
上エニセイ河と、大・小エニセイ川の下流域において船舶の航行あり。
行政区画 2002年10月現在
2共和国直轄市、17地区
2008年1月現在
2共和国直轄市、17地区
市町村数 2002年10月現在
7都市(5市、2町)、112行政村
2008年1月現在
6都市(5市、1町)、117行政村


トゥヴァー共和国の都市、地区一覧

人口は2002年10月9日国勢調査結果、2008年1月1日推計による
市・町名 人口 ロシア語表記 [地名発音]
2002年 2008年
共和国直轄市
クィズィル市 104,105 108,070 Кызыл [クィズィール]
アク=ドヴラク市 12,965 14,118 Ак-Довурак [アグ=ダヴラーク]
地区、およびそれに属する都市 (  РЦ  は地区の中心
バイ=タイガ地区
РЦ  テエリ村
12,321 12,395 Бай-Тайгинский кожуун [バイ=タイギーンスキー コジューン]
バルン=ヘムチク地区
РЦ  クィズィル=マジャルィク村
12,683 12,337 Барун-Хемчикский кожуун [バルーン=ヘームスキー コジューン]
スト=ホリ地区
РЦ  スグ=アクスィ村
8,430 8,660 Сут-Хольский кожуун [スート=ホーリスキー コジューン]
ジュン=ヘムチク地区
РЦ  チャダン市
21,361 20,973 Дзун-Хемчикский кожуун [ジュン=ヘームチクスキー コジューンン]
 チャダン市 9,454 10,223 Чадан [チャダーン]
チャア=ホリ地区
РЦ  チャア=ホリ村
6,532 6,521 Чаа-Хольский кожуун [チャーア=ホーリスキー コジューン]
ウルク=ヘム地区
РЦ  シャゴナール市
19,461 19,398 Улуг-Хемский кожуун [ウルーク=ヘームスキー コジューン]
 シャゴナール市 11,008 11,347 Шагонар [シャガナール]
ピイ=ヘム地区
РЦ  トゥラン市
11,431 11,135 Пий-Хемский кожуун [ピィ=ヘームスキー コジューン]
 トゥラン市 5,598 5,307 Туран [トゥラーン]
トジァー地区
РЦ  トオラ=ヘム村
5,931 6,123 Тоджинский кожуун [タジーンスキー コジューン]
クィズィル地区
РЦ  カア=ヘム町
22,678 23,678 Кызылский кожуун [クィズィールスキー コジューン]
 カア=ヘム町 10,463 10,626 Каа-Хем [カアー=ヘーム]
チェジ=ホリ地区
РЦ  ホヴ=アクスィ村
8,081 7,963 Чеди-Хольский кожуун [チェジ=ホーリスキー コジューン]
 ホヴ=アクスィ ’05年村へ改組 3,706 Хову-Аксы [ハヴー=アクスィー]
タンジン地区
РЦ  バイ=ハアク村
13,827 13,498 Тандинский кожуун [タンヂーンスキー コジューン]
カア=ヘム地区
РЦ  サルィク=セプ村
13,071 12,720 Каа-Хемский кожуун [カアー=ヘムスキー コジューン]
テレ=ホリ地区
РЦ  クングルトゥグ村
1,835 1,830 Тере-Хольский кожуун [テレ=ホーリスキー コジューン]?
モングン=タイガ地区
РЦ  ムグル=アクスィ村
5,938 6,249 Монгун-Тайгинский кожуун [マングーン=タイギーンスキー コジューン]
オヴュル地区
РЦ  ハンダガイトゥイ村
7,930 8,029 Овюрский кожуунн [アヴュールスキー コジューン]
テス=ヘム地区
РЦ  サマガルタイ村
8,908 9,394 Тес-Хемский кожуун [テス=ヘームスキー コジューン]
エルジン地区
РЦ  エルジン村
8,022 8,528 Эрзинский кожуун [エルジーンスキー コジューン]


1989年以降の行政組織変更 (都市名をで表示したものは、市の変更を示します)

変更事項 所属 変更のあった都市または旧都市など 地区
1989年1月12日の地区・都市数 14 5 3
1992 地区の新設 チャア=ホリ地区、チェジ=ホリ地区を新設 +2 - -
移管 タンジン地区 ホヴ=アクスィ町をチェジ=ホリ地区に移管 - - -
1996 都市から村へ改組 バルン=ヘムチク地区 クィズィル=マジャルィク - - -1
1998 区画名称の改称 「地区」の称号を「ラヨン район」から「コジューン кожуун」に改称 - - -
199? 地区所属市を共和国直轄市へ バルン=ヘムチク地区 アク=ドヴラク市 - - -
2001 地区の新設 テレ=ホリ地区を新設 +1 - -
2002年10月9日の地区・都市数 17 5 2
2005 都市から村へ改組 チェジ=ホリ地区 ホヴ=アクスィ - - -1
2008年1月1日の地区・都市数 17 5 1
関連ページ: 行政区画別人口 トゥヴァー共和国


都市人口ランキング
1989年1月12日 人口
1 クィズィル市 83,822
2 アク=ドヴラク市 15,028
3 チャダン市 10,567
4 シャゴナール市 10,058
5 カア=ヘム町 7,291
6 ホヴ=アクスィ町 5,990
7 トゥラン市 5,896
8 クィズィル=マジャルィク町 5,658
都市人口合計 8都市 =5市3町) 144,310
2002年10月9日 人口
1 クィズィル市 104,105
2 アク=ドヴラク市 12,965
3 シャゴナール市 11,008
4 カア=ヘム町 10,463
5 チャダン市 9,454
6 トゥラン市 5,598
7 ホヴ=アクスィ町 3,706
都市人口合計 7都市 =5市2町) 157,299

2005年1月1日 人口
1 クィズィル市 108,108
2 アク=ドヴラク市 13,380
3 シャゴナール市 11,212
4 カア=ヘム町 10,010
5 チャダン市 9,539
6 トゥラン市 5,381
7 ホヴ=アクスィ町 3,697
都市人口合計 7都市 =5市2町) 161,327

2008年1月1日 人口
1 クィズィル市 108,070
2 アク=ドヴラク市 14,118
3 シャゴナール市 11,347
4 カア=ヘム町 10,626
5 チャダン市 10,223
6 トゥラン市 5,307
都市人口合計 6都市 =5市1町) 159,691


シベリア南部にあるトゥヴァー共和国は、かつては独立国でした。モンゴル国の左肩に寄り添うように位置するこの共和国は、当然、歴史的にはモンゴルの強い影響下にありました。
紀元前2世紀前半には匈奴の襲来を受け、520年代から8世紀前半まではチュルク可汗国の版図に入り、その後ウイグルの版図(8世紀後半−9世紀半ば)、古代キルギス国家の版図(9世紀−12世紀)を経て13世紀からはモンゴルの支配がはじまり、その衰退後にはウイグルに興ったジュンガル部に入り、そのジュンガル部が18世紀に満州族の清朝に征服されると、トゥヴァーは清国領外蒙古の西北端になりました。清国支配下では「タンヌ・ウリャンハイ(唐努烏梁海)」と呼ばれていました。

1911年の辛亥革命と清朝の滅亡に乗じ、ロシアの影響下で外蒙古は独立を宣言し、その中のトゥヴァーの地は1914年に保護領としてロシア帝国に併合されました。
そのロシア帝国もロシア革命で崩壊し、ここトゥヴァーでも社会主義革命は起こり、1921年に人民共和国(一般に「世界で2番目の社会主義国家」といわれるモンゴル人民共和国は1924年成立)が成立し独立国となりましたが、第2次大戦中の1944年10月11日にソ連と合体し、自治州としてロシア共和国に編入され、1961年10月10日に自治共和国に昇格、ソ連解体後はトゥヴァー共和国となりました。
面白いことに、最近まで(現在でも?)台湾の中華民国政府は外蒙古の独立を認めておらず、台湾で造られた「中華民国全図」ではトゥヴァーを含む外蒙古全域を自国領として表記していたそうです。

民族別人口は1989年の国勢調査では、
総人口 308,558 100.00%
トゥヴァー人 198,448 64.31%
ロシア人 98,831 32.03%
と記録されています。

なお、この共和国の国名は、日本で出版されている地図帳などでは「トゥーヴァ共和国」とか「ツーバ共和国」といった表記が見受けられますが、実際にはアクセントが語末にあり、「トゥヴァー」というのが正しいようです。また、「トゥイヴァー」と表記することも一般的です。

トゥヴァー共和国は地理的にアジアの丁度中心に位置し、首都クィズィル市には、それを示すオベリスクが建っています。

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