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No.320 サハリン州地形図を入手 ニジェガロージェッツ [2004/06/05(土)23:54:36]
No.319 knockeye さん
: レスに関しては、お気楽に。私も、自分のBBSで長い間書かずに、冷や汗をかく時があり
: ます。

お気遣い有難うございます。
knockeyeさんは1999年にサハリン経由で帰国されたようですね。

サハリンといえば、先日「楽天市場」で稚内の「北緯45度31分」というお店でサハリン州
20万分の1地形図(第一部サハリン島、第二部千島列島の2冊構成)が売られていました
ので、早速注文を入れた所、今日届きました。

拙稿No.290でご紹介した地図の現物です。
実のところ、サハリン州の20万分の1地形図(1993年、軍事地図工場極東局版)は、1994
年に現地を旅行した時に入手していたのですが、今回入手した2冊は、1994年サラトフ軍
事地図工場で印刷されたものでした。
サイズ28.1cm×17.3cmで、サハリン島は116ページ、千島列島は48ページのブック形式で
す。
製本は薄表紙に、2箇所ホッチキス留めという如何にもロシア製っぽいところがあります
が、1993年版にはなかった各地の都市の市街図(ユジノサハリンスク、アニワ、ドリンス
ク、コルサコフ、マカロフ、ネヴェリスク、ノグリキ、オハ、ポロナイスク、スミルヌィ
フ、トマリ、トゥイモフスコエ、ウグレゴルスク、ホルムスク、セヴェロクリリスク、紗
那、古釜布)と、それぞれの都市の概況説明文を含め、地形図とも総てロシア語と英語が
併記されており、余白には所々写真も挿入されています。
価格もお手頃で、これはお薦めの2冊です。
参考: http://www.rakuten.co.jp/hokui45/114402/153662/114403/
No.321 Re3: ロシアのドイツ人 господин Сомпин Сомринович Пражний [2004/06/10(木)01:39:49]
No.315 ニジェガロージェッツさん,御教示ありがとうございます.熱中症やら何やらで
御礼が遅れてしまいました……
ところで,ソ連→ロシアの作曲家,Родион ЩЕДРИН (1932--) は父称を付け
ません.Константинович になると思うのですが.

なお,シュニトケの交響曲では #2「聖フロリアン」 と #3 が親しみやすいと思います.
シチェドリンでは #2「管弦楽のための25の前奏曲」がCD化されているはず.
No.322 Re4: ロシアのドイツ人 ニジェガロージェッツ [2004/06/11(金)00:32:52]
No.321 Сомпин Сомринович Пражний さん、レスに加え交響曲の
情報ありがとうございます。
シチェドリン氏の父称について調べてみましたが、Сомпинさんのご推測どおり「コ
ンスタンチノヴィッチ」でした。
ロシアの検索サイトで調べると、結構父称をつけた表記にヒットしました。
http://www.krugosvet.ru/articles/73/1007393/1007393a1.htm
http://www.classic-music.ru/schedrin.html

: 熱中症やら何やらで御礼が遅れてしまいました……
これから夏へと向かいますが、特にフェーン現象のよく起る地方では、要注意ですね。
どうぞ御身体ご自愛下さい。
No.323 流氷 господин Ондрей Заков [2004/06/11(金)09:41:15]
昨夜遅くにNHK総合で、流氷の季節における知床半島両岸での
結氷の程度差を科学的に分析する番組が放映されており、これが
中々面白かったので、つい夜更かししてしまいました。

知床半島の地図を眺めると、ロシアの実効支配下にある国後島が
喉元に突き付けられた匕首の如き地勢から、政治的にはある種の
緊張状態を覚えますが、この国後島に端を発する千島列島ないし
サハリン、カムチャッカ半島に囲まれたオホーツク海は流入する
アムール川の水により塩分濃度が低目となり、それゆえに結氷が
起こり易いとの事。(小学生時代の理科の実験では、確か食塩を
加えた方が結氷が早いと習った様な気もしますが、記憶違いか?)

知床岬と聞けばつい「♪浜茄子の咲く頃」と続けてしまいますが、
斜里や羅臼から陸伝いに到達不可という点に尚更旅情を感じます。
(斜里側の知床五湖は中々絶景ですね!)当然、映像は船からの
撮影となる訳で、斜里岳から連なる半島の脊梁山脈は、青空の下、
痛々しい程に清楚な雪景色を呈しており、思わずカメラを片手に
飛び出したくなる光景に、手元にある日本酒も杯が進むのでした。
一度、観光船に乗ってみたいものです。

流氷といえば、釧網線北浜駅での俯瞰も観光客には有名で、私も
厳寒期に何度か訪れていますが、何れも、沖合い遠くに後退した
狭間とかち合ってしまい、ことごとく空振りに終りました。駅の
待合室の壁に貼られた夥しい数の寄書きも名物ですが、私と同様
空振りに終わったもどかしさゆえか「赤いお星様(クラスナーヤ・
ズベズダ)の○カ!」という過激な代物もありましたね(笑)

この流氷に乗ってロシアから渡来する動物も少なくない様ですが、
白鳥に象徴される渡り鳥類も含め、冷戦の緊張状態下においても、
大自然の営々たるを思うと何やら感慨深いザーコフでした。
No.324 Re: 流氷 ニジェガロージェッツ [2004/06/12(土)00:27:56]
No.323 Ондрей Заков さん、流氷についての感慨深い記事ありがとうござい
ました。

: 昨夜遅くにNHK総合で、流氷の季節における知床半島両岸での
: 結氷の程度差を科学的に分析する番組が放映されており、これが
: 中々面白かったので、つい夜更かししてしまいました。

これは残念!つい見逃してしまいました。

: 知床半島の地図を眺めると、ロシアの実効支配下にある国後島が
: 喉元に突き付けられた匕首の如き地勢から、政治的にはある種の
: 緊張状態を覚えますが、この国後島に端を発する千島列島ないし
: サハリン、カムチャッカ半島に囲まれたオホーツク海は流入する
: アムール川の水により塩分濃度が低目となり、それゆえに結氷が
: 起こり易いとの事。

結氷が始まるのは10月中旬のオホーツク海北西部、アムール河口の北に位置するシャンタ
ル諸島(Шантарские острова)周辺からだそうです。
ここから東樺太海流に乗ってサハリン東岸を南下し、北海道沿岸に着氷するのですが、少
しロシア側のサイトでこの流氷についての面白いものを探しましたが、これといったもの
は見つけられませんでした。

とりあえず、衛星写真から結氷した3月のオホーツク海の画像を2枚。
(2002年3月16日、オホーツク海北東部)
http://d902.iki.rssi.ru/data/i_sample/noaa/sea&like/260302kamch.jpg
(2002年3月19日、北海道周辺)
http://d902.iki.rssi.ru/data/i_sample/noaa/sea&like/190302oh.jpg

流氷の「故郷」、シャンタル諸島についての地図、画像
(ハバロフスク地方行政府サイトより)
http://adm.khv.ru/invest2.nsf/pages/sights/shant_ru.htm
参考: http://d902.iki.rssi.ru/images/sea&like/l_samp_r.htm
No.325 流氷を追って YSK さん [2004/06/13(日)00:51:41]
こんばんは、YSKです。

私は一度だけ2月の北海道に流氷を見に行ったことがあります。
建国記念日が月曜日となり連休だったので、札幌の雪祭りと合わせて
行ったオホーツク沿岸は、流氷の全く無い海面が続き、流氷観光船ガ
リンコ号IIも港内にはった「道産子」の氷を割って進むばかり。全面
結氷したサロマ湖や能取湖の風景は圧巻でしたが、やはり流氷に会え
ないのは物足りないものがあったのでした。

しかし、知床半島の付け根、ウトロでやっと流氷に出会うことができ
たのでした。ウトロではレーザー光線による幻想的なショーを観たり、
野生のエゾシカに出会ったりと、たいへん楽しい時間を過ごせました。

詳しくは、私のページ「Japan Regional Explorer」に掲載してい
ます。ご覧いただけますとありがたく思います。
参考: http://www.chiikibun.com/hokkaido2/hokkaido2.html
No.326 アムール川の悲劇 господин Ондрей Заков [2004/06/13(日)08:59:51]
>アムール河口の北に位置するシャンタル諸島周辺から

この話は私も別の報道番組にて一瞥した事があります。さて
「アムール」と聞くと、私なぞは、東大の前身の一つである
旧制一高の記念寮歌や、そこから派生した多くの旧制の高校、
中学の応援歌を連想します。

東大寮歌が作られた前年の1900年、義和団事件を契機に満州
制圧を目論んでいたロシアは、北清事変で清国兵がロシア領
ブラゴべシチェンスクを襲撃した事に対する報復措置として、
自国領内にいた清国人を老若男女問わず数千人規模で虐殺し、
アムール川へ遺棄するという衝撃的事件がありました。後年
日露戦争の一伏線ともなったこの事件が日本の学校関係歌で
取り沙汰されている背景には、衰退した中国に取って代わり
今後は日本がアジアの盟主たるべし、という思惑があったと
考えられているそうです。

日航の「ジェット・ストリーム」など手掛け、癒し系として
人気が高いピアニスト・倉本裕基さんの作品にも「遥かなる
アムール」なる曲があり、どうやら、上記の事件を目撃した
大陸浪人・石光真清の生涯を描いたドラマ等のサントラ盤と
思われます。購入した記憶はあるのだけれど、さて、どこに
紛れたかな?
No.327 初めまして! ケイ さん [2004/06/13(日)15:57:05]
とてもお勉強になるサイトでした。
父親が樺太出身なので、最初は樺太の写真を眺めるつもりだったのですが、
非常に細かいデータばかりでうなるばかり・・・夢中で読みました。
フィンランド人と知り合えば樺太の話をするんですが(日本語でですよw)、やはり冬戦争
の影響からか、同情してくれるフィンランド人が多く(別で、トルコ人もですが。。)地図
を見ても改めてそう感じましたね。ある小説でカレリアについてフィンランド人とロシア
人のやりとりが出てくる作品もあったりしましたが☆
親戚は冷戦終結あたりから樺太に行ってますが、家のあった場所は畑になってたそうです
(笑)
いつか、父親の故郷である樺太には行きたいですねえ・・・昔に比べれば自由に行けます
からねえ。とはいえ、個人的感情としては複雑ではありますが。。
またお邪魔しまーす♪
No.328 江東六十四屯の悲劇 ニジェガロージェッツ [2004/06/14(月)21:41:47]
こんばんは、YSKさん、Ондрей Заковさん、流氷についてのレス有難うござい
ます。

No.325 YSK さん、貴サイトに掲載されている「北海道の風II」拝読させて頂きました。
ウトロでの流氷との感動の出会いが見事に再現されて、興味深いものでした。
小生は冬の北海道を訪れた事はなく、稚内に3度、旅行の出発点として立ち寄ったことが
ありますが、いずれも夏のことで、見慣れた筈の稚内の駅前が冬には全く違った光景にな
っていることに個人的に感動しています。


No.326 Ондрей Заков さん、流氷つながりでアムール河についてのレス、有
難うございます。ご言及の「アムール川の悲劇」はその時代の日本にあった「恐露症」と
「反露感情」を大いに刺激したものと聞きます。
平凡社の「ロシア・ソ連を知る事典」にはこの事件についてやや詳しく述べられており、
若干ここに引用します。
===========
「中国東北地方における義和団の蜂起に対し、ロシア軍は1900年7月15日午後2時黒龍江の
渡航を禁止し、ロシア領内に在留した多数の中国人を捕らえ、これを虐殺した。(中略)
その数3000と書いているが、5000あるいは6000ともいい、なかには10万という説もある。
」
===========

この事典には記述がありませんでしたが、この事件当時、アムール河の左岸ロシア領には
「江東六十四屯」という清国人の居留地がありました。もともと1858年の愛琿条約までは
アムール河の両岸は清国領で、同条約によって清国はアムール左岸をロシアに割譲したの
ですが、今のブラゴヴェシチェンスクの南、丁度中国領黒河市愛輝の対岸あたりは、ロシ
ア領内にあって、清国人の居留が認められていました。これを「江東六十四屯」と呼んで
いたのですが、小生は詳しくは存じませんが、おそらく清国人の自治のようなものが認め
られていたのではないでしょうか?
1900年の「アムール河の流血」事件で、清国人の虐殺犠牲者が多数に及んだのには、江東
六十四屯の破壊という背景がありました。
No.329 Re: 初めまして! ニジェガロージェッツ [2004/06/14(月)23:36:22]
No.327 ケイ さん
はじめまして。ようこそヤールマルカへいらっしゃいました。
数字ばかり並べて無機質なことばかりやっておりますが、拙サイトには勿体無いお言葉、
恐縮です。

ケイさんのお話、ともにロシア(ソ連)に領土を奪われたフィンランドやトルコ人の感情
も伺えて面白く拝読しました。
お父様が樺太のご出身とのことですが、小生は1989,90,94年の3回に渡って樺太旅行を楽
しんだ経験があります。過去の樺太ツアーでは、戦前に樺太にお住まいだった人々が半数
ぐらいを占めていた記憶があります。
初めて見た樺太は、当時まだソ連時代のことで、日本とは遮断された地域で、大地と自然
は北海道のそれに酷似しながらも、住む人種、社会体制、経済状況が全く日本の対極にあ
るような所に、頭の中ではそうと理解しながらも、少なからずショックを受けました。
ソ連の参戦を迎える前に大東亜戦争が終結し、そのまま樺太が日本の統治下にあれば、街
並み一つとっても、こうはならなかったであろうという印象を強くもちました。当時の日
本は所謂「バブル経済」の最盛期でした。

今では樺太も随分と開かれた島となり、日本企業も数多く進出していると聞きます。ネッ
トには樺太での体験談や現地情報を掲載したサイトも多く、随分と時代は変わったものだ
と感じます。

お父様のふるさとということで、樺太に「ルーツ」をお持ちのケイさんの渡樺のご希望が
実現することを期待致します。先人達の苦労を考えると色々と想うところはあるでしょう
が、「でかい顔」をして現地を見られてはと思います。

: またお邪魔しまーす♪
これからもどうぞ宜しく御願い申し上げます。
No.330 フィンランディア господин Ондрей Заков [2004/06/16(水)17:57:09]
>ロシア(ソ連)に領土を奪われたフィンランド

ロシア統治を暗喩した重苦しい短調の「苦難のモチーフ」に
始まり、一転して民族意識を鼓舞する「闘争の呼びかけ」が
勇壮に展開、勝利を象徴しつつ大団円的に収束する、という
シベリウスの代表作「フィンランディア」が民衆の熱狂的な
支持を受けた辺り、然もありなんという感じですね。

シベリウスの楽想は、エリアス・ロンリョート医師が19世紀
ロシアに接するカレリア地方で紀元前より続く口承詩を収集
体系化した一大叙事詩「カレワラ」に依拠しており、神話を
基調とした内容に、ロシアと一線を画した文化性を感じます。
これに「森と湖の国」という地勢的な印象を重ねる時、私の
北欧に対する憧憬は否応無く高まるのでした。(兄貴の場合、
北欧出張を終えて最も印象が良かったのは、ノルウェーとの
事でしたが。)そういえば「ムーミン」も、フィンランドの
名物ですね。

一大出世作と謳われ、私が大好きな作品である交響曲第一番
「クレルボ」のフィン語による合唱部分は、アルファベット
表記ですが、ロシアの影響を受けた、あるいはロシアないし
ソ連に併合された歴史を持つ周辺国において、モンゴル同様、
後天的にキリル文字での表記法が定着した地域は、どの程度
あるのでしょうね。そもそも、フィンランドで実効的に通用
するのは何語だろう?
No.331 Re: フィンランディア господин Сомпин Сомринович Пражний [2004/06/17(木)18:52:49]
No.330 Ондрей Заков さん
: 一大出世作と謳われ、私が大好きな作品である交響曲第一番
: 「クレルボ」のフィン語による合唱部分は
クレルヴォ交響曲,作品7 (1892) は第1番ホ短調作品39 (1899) とは異なる曲ですね.初
演の翌年から作曲者により演奏・出版を禁じられていたとのこと.聴いてみたいと思いつ
つ未だに手を出せずにおります(最近はすっかり重金属なものですから).
No.332 Re2: フィンランディア ニジェガロージェッツ [2004/06/18(金)00:56:14]
No.330 Ондрей Заков さん、No.331 Сомпин Сомринович П
ражний さん、いつも面白いお話有難うございます。

小生この分野には、とんと疎いもので、シベリウスの生い立ちとか作風といったことを知
らず、日本シベリウス協会さんのサイトを読んでみました。
フィンランド(露語でФинляндия[フィンリャンヂヤ])のロシア帝国からの独立
宣言が1917年12月6日ということで、1865年12月8日生まれのシベリウスは51歳までを祖国
を愛しながらも「ロシア領フィンランド」という、19〜20世紀初頭にかけての帝政下の苛
酷なロシア化の中に暮らし、独立後も祖国は市民戦争やインフレが続き、大変だった様子
が紹介されていました。

ロシア治下のフィンランドでは、フィンランド語そのものまでキリル文字で書いていたか
は存じません。
また、ソ連解体後の各国でも、バルト3国、モルドヴァは勿論、アルメニア、アゼルバイ
ジャン、ウズベク語さえ、今ではキリル文字を使っていないようです。
キリル文字の系統にあるのは旧ソ連諸国では、ロシア語の他に、ウクライナ、ベラルーシ
、カザフ語といったところですか?
(各国のサイトを一瞥しただけで、詳しくは存じませんが)
参考: http://www.sib-jp.org/
No.333 カレリア господин Ондрей Заков [2004/06/18(金)07:43:01]
>第1番ホ短調作品39 (1899) とは異なる曲ですね.

あ、そうでした。すみません、何を勘違いしていたのやら(汗)
アシュケナージ指揮で「カレリア組曲」がセットになっている
盤を持ってます。シベリウスというと、二番が有名なのですが
個人的には一番の方が完成度が高い様に感じています。

カレリアはロシア国境一帯の地域名でしたか、色々考察すると
奥の深さを感じますね。工藤静香さんの歌にも「カレリア」を
名乗るものがありました。作曲が確か「ガンダムF91」などを
手掛けた門倉聡さんで、何となく、シベリウスの作風ないしは
北欧風味を意識した曲調だった様に記憶します。
No.334 湖水地方 господин Ондрей Заков [2004/06/19(土)09:32:05]
> ソ連解体後の各国でも、バルト3国、モルドヴァは勿論、
> アルメニア、アゼルバイジャン、ウズベク語さえ、今では
> キリル文字を使っていないようです。

これも民族主義の産物なんでしょうかね。中央アジア諸国の場合
ソ連台頭以前の表記体系はどうなっていたのやら?

さて、先のログで言及した「カレリア地方」とは、湖水地方とも
呼ばれ、フィンランドが「森と湖の国」と称されるのは、ここに
由来するそうです。過去、多くの芸術家を魅了したとされますが
過去ログで言及した館野泉さんも、そうした一人なのでしょうか。

歴史的には、スウェーデンとロシアの領土的葛藤の狭間にあって
国境の線引きが何度も改められた歴史がある様です。シベリウス
「カレリア組曲」第三楽章の明るく軽快な旋律を聴くと、かかる
歴史も想像しにくいのですが。
No.335 Re: 湖水地方 ニジェガロージェッツ [2004/06/20(日)23:09:49]
No.333,No.334 Ондрей Заков さん、カレリア地方についてのお話、有難うご
ざいました。

: さて、先のログで言及した「カレリア地方」とは、湖水地方とも
: 呼ばれ、フィンランドが「森と湖の国」と称されるのは、ここに
: 由来するそうです。(中略)

1940年の冬戦争の結果、ソ連に割譲されたヴィボルク市を中心としてカレリア地峡がフィ
ンランドにとって、日本に例えれば奈良・京都のようなところであると仄聞したことがあ
りますが、お話がこれを裏付けるようにも感じられます。

: 歴史的には、スウェーデンとロシアの領土的葛藤の狭間にあって
: 国境の線引きが何度も改められた歴史がある様です。

諸侯国に分かれていたロシアがモスクワ大公国のもとで統一された16世紀中ごろのロシア
とスウェーデン領フィンランドのカレリアにおける国境は、だいたい今の国境線からヴィ
ボルク周辺をフィンランドに入れ、カレリア地峡の東にあるラドガ湖の周囲沿岸はロシア
領という線引きでした。
その後、主にポーランドを相手としたりヴォニア戦争にロシアは敗れ、ポーランド側に与
したスウェーデンはラドガ湖北岸とエストニア北部から現在のレニングラード州のフィン
ランド湾南岸を得ます。
更に1617年には現在のペテルブルク一帯までスウェーデン領となり、ロシアはバルト海へ
の出口をすべて失いますが、ピョートル1世の時代になり、1700年にバルト海への出口を
求めてスウェーデンに宣戦したことに始まる北方戦争に勝利したことから、1721年のニス
タット和約によって、ラドガ湖周辺からカレリア地峡、フィンランド湾南岸からエストニ
ア、ラトヴィアのリガ市に至るバルト海一帯がロシア領となりました。
後に現在のフィンランド領キュミ県にあたる地域をロシア領ヴィボルクの一部とし、1808
年には再びスウェーデンと戦争となり、翌1809年にはフィンランド全域をロシアが併合し
ました。このとき、ロシア皇帝アレクサンドル1世はカレリア地峡一帯からラドガ湖北岸
を領域としていたヴィボルク県をロシア領フィンランドに「返還」しています。
1917年のフィンランド独立では、ヴィボルク県が含まれており、レニングラード防衛に危
機感を覚えたスターリンのソ連は、1940年の冬戦争でカレリア地峡を入手し、この地域の
現在の国境線となりました。
No.336 Re2: 湖水地方 アファナーシー=ニキーチン さん [2004/06/21(月)12:32:36]
お久しぶりです。連邦構成主体別の人口データ、更新の度に毎回楽しみに拝見しておりま
す。

: カレリア地峡がフィ
: ンランドにとって、日本に例えれば奈良・京都のようなところであると

ビーボルクやラドガ湖沿岸のプリオジョールスクなど元フィンランド領の地域を見に行っ
たことがありますが、実際なかなか風光明媚な湖水地帯です。フィンランド時代の建物や
城塞も、さすがに傷みが目立つとはいえ各地に残っており、現在でもフィンランド人の行
楽客は多いようです。駅や博物館等随所でフィンランド語併記の表示を見かけました。ロ
シアは日用品や食品の物価は安いため、国境に近いビーボルクの市場が買い出しに来た「
FIN」ナンバーのクルマで賑わっていたのが印象的でした。
 
: レニングラード防衛に危
: 機感を覚えたスターリンのソ連は、

戦間期の国境線や行政区分を記載した地図(『カレリア地峡』2003年 ディスカスメディ
ア発行 www.mapserv.ru)を見ると、フィンランド独立後はСестрорецк市とС
олнечное町の間(Сестра川)に国境が引かれていたようです。現在はいず
れの自治体とも連邦構成主体としてはサンクトペテルブルクに含まれており、都心からク
ルマで1時間弱の距離であることを思えば、当時のレニングラードがいかに国境に近接し
ていたかが分かります。
No.337 Re3: 湖水地方 ニジェガロージェッツ [2004/06/22(火)02:12:31]
アファナーシー=ニキーチン さん、待望のご登壇、有難うございます。

: お久しぶりです。連邦構成主体別の人口データ、更新の度に毎回楽しみに拝見しておりま
: す。

有難うございます。たいへん励みになります。とはいえ、二キーチンさんの地元ぺテルブ
ルクまでは、とてもとても・・・。
シベリア管区の各州に関しては、以前に他板に纏めたことがあり、わりとやり易いのです
が、いつになるか分りませんが、なんとかウラル山脈あたりまでは続けたいと思っていま
す。

さて、カレリア地方のことが話題になっていますが、ペテルブルク絡みのこととなると、
二キーチンさんからのレスは本当に助かります。

: ビーボルクやラドガ湖沿岸のプリオジョールスクなど元フィンランド領の地域を見に行っ
: たことがありますが、実際なかなか風光明媚な湖水地帯です。フィンランド時代の建物や
: 城塞も、さすがに傷みが目立つとはいえ各地に残っており、現在でもフィンランド人の行
: 楽客は多いようです。

フィンランド国民が強く返還を望む(政府は放棄しているようですが)カレリア地峡が、
今やフィンランドからの観光客や買い出し客に賑わう様子は、陸上国境を持たない今の日
本人にとっては新鮮なものに感じます。

: フィンランド独立後はСестрорецк市とСолнечное町
: の間(Сестра川)に国境が引かれていたようです。現在はいず
: れの自治体とも連邦構成主体としてはサンクトペテルブルクに含まれており、都心からク
: ルマで1時間弱の距離であることを思えば、当時のレニングラードがいかに国境に近接し
: ていたかが分かります。

ロシアの歴史教材用の地図を見たときに近いと感じましたが、実際の生活圏としては、も
っと近い印象ですね。
今のペテルブルクのように大都市圏を形成すると、昔の国境線が不自然に感じられるかも
しれませんが、それにしても、自国の都市が国境に近く防衛が困難だからといって、他国
に領土よこせとは、恐ろしく強引です。

ところで、今日6月22日は対独開戦の日ですね。
実際には戦場にならなかったニジニ・ノヴゴロドでさえ、この日は街中の至る所に半旗が
掲げられていたのを思い出します。
No.338 Re4: 湖水地方 アファナーシー=ニキーチン さん [2004/06/22(火)22:19:15]
: 自国の都市が国境に近く防衛が困難だからといって、他国
: に領土よこせとは、恐ろしく強引です。

領土の変遷とも関係しますが、レニングラード州の地図を眺めていて面白いのは、州内2
箇所にフィンランドによる租借地が現存する点です。フィンランド内陸部のサイマー湖と
ビーボルク湾を結ぶサイマー運河というのがありますが、この運河と国道A127号線とに挟
まれた部分、及びビーボルク湾口の小ビソツキー島の2箇所が1962年のソ連・フィンラン
ド間の租借条約(http://www.businesspravo.ru/Docum/DocumShow_DocumID_1965.html)
に基づいてフィンランドに租借されています(地図によっては通常のロシア領として表示
されています)。

フィンランドのサイマー運河はロシア支配時代からある古いものだそうですが、冬戦争で
下流部分をソ連に占領されてしまったようです。その後船舶の大型化などの事情で大規模
な改修工事が必要となり、上記62年の条約によりフィンランドが運河下流部沿岸を租借、
翌63年から同国が独力で改修工事を行って完成させたのが現在のサイマー運河。ビーボル
ク湾口の小ビソツキー島は、上記条約によれば、貨物の積替や倉庫の用地として租借した
ことが分かります。

その後冷戦の終結によって観光地としても脚光を浴び、フィンランド側からは運河の閘門
やビーボルク見物の観光クルーズ船が運行されるようになり、ロシア側も観光船の客に対
してビザ無し上陸を認めるなど柔軟な措置が取られてきたようですが、例のカリーニング
ラード問題でEUとの関係がギクシャクする中、サイマー運河のビザ無し通航も交渉のカー
ドとして使われたのか、2001年からは観光ビザの取得が義務付けられているようです
(http://www.autotransinfo.ru/tr_news.asp?MsgID=-445328350&q=&Type=0&m=0&p=1)。

運河や租借地の現状についてはロシア語で検索してもあまりヒットせず、日本語ではJussi
さんという方のHPに同運河のクルーズ記が出ていた程度です
(http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/
)。

地図の上だけで見ても、同運河の租借地のほか、レニングラード州の国境近接地域には無
数の廃村の存在が記載されており、複雑な両国関係を垣間見るようで興味が尽きません。
領土請求の有無という決定的な差はあるとはいえ、侵略された土地や島を租借して運河を
維持しているというのは、日本人にはある意味驚きですね。
No.339 Re5: 湖水地方 ニジェガロージェッツ [2004/06/24(木)00:22:34]
No.338 アファナーシー=ニキーチン さん、ロシア領内のフィンランド租借地の情報、有
難うございました。

: フィンランド内陸部のサイマー湖とビーボルク湾を結ぶサイマー運河というのがあります
: が、この運河と国道A127号線とに挟まれた部分、及びビーボルク湾口の小ビソツキー島の
: 2箇所が1962年のソ連・フィンランド間の租借条約に基づいてフィンランドに租借されて
: います

こんな所があるとは正直言って全く知らず、大変勉強になりました。
リンクを張って下さった1962年9月27日付「フィンランド共和国へのサイマー運河のソビ
エト部および小ビソツキー島の租借譲渡についてのソビエト連邦とフィンランド共和国間
の条約」を拝見しました。

条文にある「ヌイヤマ(国境のフィン側)=ブルスニチノエ(運河の入り口)」間の道路
というのが、二キーチンさんのレスにある「国道A127号線」というのも、ロシアの道路地
図で確認しました。

ただ、小生の手元にあるロシアの地図のいずれもが、二キーチンさんのご指摘どおり、通
常のロシア領として表記されております。また、ロシア地理事典で関連地名を引きました
が、サイマー運河そのものが出ておらず、この租借地に関する部分を探せませんでした。
レニングラード州の詳細な地図を入手していない事が悔やまれます。

: 例のカリーニングラード問題でEUとの関係がギクシャクする中、サイマー運河のビザ
: 無し通航も交渉のカードとして使われたのか、2001年からは観光ビザの取得が義務付
: けられているようです

元々フィンランド領だった租借地に、しかも運河開削工事もフィン側でやったにもかかわ
らず、対EUの交渉で使うなど、Хитрый!(狡猾だ!)と言わしてもらいましょう。
#Россияは女性名詞だから、正しくはХитрая!ですか。

Jussiさんのホームページも面白いものでした。
運河のいかにも「湖水地方」といった趣の写真に惹かれたのもありますが、それ以上に「
東郷ビール」の嘘や、日露戦争当時のフィンランド人の対日感情への日本人の幻像を論破
した綿密な考察の数々には、食い入るように見入ってしまいました。
No.340 図們江付近 господин Ондрей Заков [2004/06/24(木)14:40:12]
先刻、仕事で那珂湊に行って参りました。那珂川河口は海門橋の
袂で昼飯休憩。ここは河口直前で那珂川と涸沼川が合流しており、
両河川に挟まれた水戸市(旧常澄村)川又地区方向を見ていると、
僅かのところで日本海に面し得ない、豆満江河口付近の中国領を
連想するザーコフでした。あの一帯は、中国領に関しては外国人
立入が制限されているそうですが、ロシア側はどうでしょうか。

その後に立ち寄った取引先にて

「あー雑魚ちゃん、倉庫片付けだらこっだ本が出て来たんだげど、
 おめ、こんなの好ぎそうだがら、良がったら持ってんけ?」
「おおお、是非に!!!」(狂喜)

新人物往来社発行の別冊歴史読本「皇女アナスタシアとロマノフ
王朝」大津事件やラスプーチン、果てはプーシキン、トルストイ、
チャイコフスキー、ドストエフスキー、チェーホフなど、文学や
音楽に関する言及もてんこ盛りです。明日は元気に寝不足だ!
No.341 ハサン町 ニジェガロージェッツ [2004/06/24(木)23:29:40]
No.340 Ондрей Заков さん

: 僅かのところで日本海に面し得ない、豆満江河口付近の中国領を
: 連想するザーコフでした。あの一帯は、中国領に関しては外国人
: 立入が制限されているそうですが、ロシア側はどうでしょうか。

豆満江(中国名・図們江)河口左岸のロシア領(河口から19キロまで)
一帯ですが、ここは沿海地方ハサン地区に属しています。
ハサンという街は、豆満江に接し北朝鮮との鉄道が通じた鉄橋のある街です。そして、す
ぐ北西に矢先のように尖った中国領と接しています。

ハサン Хасан 周辺の20万分の1地図です。(画面上が西、右が北です)
http://green.bdk.com.ru/map/primorye/096.jpg

さて、ここへの立入についての可否ですが、小生には分りません。どなたかご存知の方か
ら情報のご提供があれば良いのですが・・・。

ハサンについてロシアの検索サイトにかけると、この街の様子についての面白い記事があ
りました。
http://ptr-vlad.ru/news/11/11122_1.shtml
「沿海テレビとラジオ」という放送局のサイトからのレポートですが、「3つの国境が交
差するハサン町には、テレビ放送さえない」と題する2003年7月16日付の記事よると、ハ
サンの人口はこの15年で3分の2に減少し、最近の人口調査では800人が暮らしていますが
、この街には救急車さえなく、毎月のように起るこういった問題にも、地区の予算不足か
ら解決できずにいます。ハサンへの路線バスは運行しておらず、未舗装の道路は凸凹で、
これらの区間の自動車道路の修理は5年間の計画にありません。
1chと2chの放送局は中継局がなく、ハサン住民は満足にテレビも見られないことが紹介さ
れています。

 
: 新人物往来社発行の別冊歴史読本「皇女アナスタシアとロマノフ
: 王朝」大津事件やラスプーチン、果てはプーシキン、トルストイ、
: チャイコフスキー、ドストエフスキー、チェーホフなど、文学や
: 音楽に関する言及もてんこ盛りです。明日は元気に寝不足だ!

これは儲け物ですね。また面白いお話を期待しております。
No.342 Re6: 湖水地方 Bradshaw さん [2004/06/29(火)19:46:10]
 初めまして。Bradshaw と申します。内外・新旧の鉄道に興味があり、時刻表や地図等
も集めております。ロシア語はやっとキリル文字が判読できるレベルですから、このHP
の圧倒的な情報量にはただ感心しておりました。先日は御紹介のサハリンと千島の20万分
1地形図も入手させて戴きました。

 さて、アファナーシー=ニキーチン さんからの租借地の話題についてですが、手持ち
の鉄道地図や道路地図にもそのような記載はありませんでしたので、なんとか情報がない
か探してみましたらこんなものが見つかりましたので、ご紹介させて戴きます。

 http://topmap.narod.ru/ には旧ソ連全域の各種縮尺の地図があるようです。必ずしも
全てが揃っている訳でもなく、またダウンロードは異常に時間がかかるので、なかなか全
貌が掴みにくいのですが、この中にカレリア地峡の5万分1と10万分1地形図を見つけま
した(http://mapkarelian.narod.ru/)。

 5万分1では生憎と国境付近の図が見当たらないのですが、Цветочное(これ
は括弧書きで нежил. とありますので、ニキーチンさんのお話にあった廃村なので
しょうか)から Брусничное まで運河と道路に挟まれた部分(http://mapkarelian.narod.ru/23.html)
、それからビーボルク湾口の МАЛ.ВЫСОЦКИЙ島 (http://mapkarelian.narod.ru/50.html)
は赤い点線で囲まれ、更にその領域全体に斜線がつけられています。特に注記はありませ
んがこれがフィンランドへの租借地を表しているのでしょう。
 10万分1図では国境の Нуйямаярби湖から小ビソツキー島までを2枚で見るこ
とができます。(http://mapkarelian.narod.ru/100k/07.htmlhttp://mapkarelian.narod.ru/100k/16.html)

カラープリンタに出力すると様子がよく分かります。
 以上、取り合えずご報告まで。
No.343 Re7: 湖水地方 ニジェガロージェッツ [2004/06/29(火)22:52:15]
Bradshaw さん、はじめまして。管理人のニジェガロージェッツと申します。
数字だけをずらずら並べている拙サイトへの好意的なご感想、恐縮です。

サハリン州の20万分の1地形図(1994年版)をご入手された由、如何でしたでしょうか。
10年前に現地で入手した1993年版のものと見比べてみると、時期的には1年しか変わらな
いのですが、例えば旧樺太庁鉄道・豊真線に沿って走る豊真山道の
清水(Чистоводное)―瀧ノ沢(Перевал)間
が1993年版では未舗装の
田舎道(грунтовая просёлочная дорога)で表示されている
のが、
未舗装道路(дорога без покрытия)
に「格上げ」されていたりと、細かなところで変わっているのが伺えます。

Bradshawさんは鉄道にもご関心がお持ちのようで、ご存知のことと推察しますが、サハリ
ン鉄道の現状はこの1994年版地図とでは、随分と違うようです。一番の違いは旧豊真線の
大部分が廃線になったことで、他にも
・栄浜支線(Стародубское)
・旧南樺鉄道線・新場(Дачное)―留多加(Анива)間
・95年の震災で破壊された北サハリン軽便鉄道のネフチェゴルスク線
などが廃線となっているようです。

また、ロシアの地形図に関して貴重な情報を有難うございました。
リンクを張って下さいましたフィンランドの租借地の地形図、まだダウンロードに成功せ
ず、拝見出来ずにいますが、マシン環境の良いところで改めてダウンロードを試したく思
います。
興味が尽きません。

これからもお付き合いの程、どうぞ宜しく御願い申し上げます。
No.344 Re7: 湖水地方 アファナーシー=ニキーチン さん [2004/06/30(水)02:11:53]
Bradshawさん、重箱の隅をつつくような話題にも関わらずご関心と貴重な情報をお寄せい
ただき、ありがとうございます。地元で入手できる地図でも明確に「フィンランド租借地
」と記載されているものはごく少なく、ましてやネット上での検索にはご苦労なさったも
のと思います。
 
: Цветочное(これ
: は括弧書きで нежил. とありますので、ニキーチンさんのお話にあった廃村なのでしょうか)

以前の書き込みで触れたディスカスメディア社の「カレリア地峡」という地図(2003年)
では、レニングラード州とフィンランドとの国境地帯には Цветочное をはじめ
約30の廃村の存在が記載されています。領土の変遷だけが廃村化の理由ではないのしょう
が、おそらくは冬戦争に伴い住民の追放や強制移住があったであろうことが地図の上から
想像できます。

未確認の話ですが、ソ連時代には国境から5km圏内を「国境地帯」として立入や住居の建
設などを禁じた法律があったような事をどこかで見聞きした記憶があります。実際、上の
廃村群の大半は5km圏内のもので、その法律が地図に残した爪跡といえるかもしれません
。
No.345 Re8: 湖水地方 Bradshaw さん [2004/06/30(水)22:02:10]
ニジェガロージェッツ さん、アファナーシー=ニキーチン さん、早速にお返事有難うご
ざいます。こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。

 サハリン州の20万分1は届いたばかりで、まだあまり目を通しておりません。10年ほど
前に神保町ナウカだったかで沿海州の同縮尺地図帳を手にしています。
http://green.bdk.com.ru/map/primorye/index.htm と同様なのですが、英語版になって
います。今回のサハリン州の方はすべての標記が露・英2ヶ国語になっており、感心しま
した。ホッチキス留めは相変わらずですね。

 サハリン鉄道の現状については恥ずかしながらご説明のところまでは認識しておりませ
んでした。慌てて検索して「樺太の鉄道データベース」(http://www.glin.org/prefect/arc/arc.cgi?N=78)
を見つけました。改めて熟読させて戴きます。

 No.342 でご紹介した http://topmap.narod.ru/ ですが、本当にダウンロードに時間が
かかるのです。ダウンローダを介しても1Mバイト程度の画像ファイルに数十分もかかる
有様です。どうか気長になさってみてください。

 廃村については、なかなか歴史に残らない様々ないきさつがあったのでしょうね。運河
を「租借」していることと合わせ、とても考えさせられます。

#当方、生まれも育ちも新潟ですが、ソ連末期の1987年に海路ナホトカに渡り、列車でハ
バロフスクへ、ここから空路レニングラード(当時)へ向かい、列車でモスクワ、空路で再
びハバロフスク、ナホトカ、新潟と2週間の旅をしたことがあります。
 今夏はこれまたツアーですが、新潟からまずイルクーツクへ飛び、そこからはモスクワ
、サンクトペテルブルクを再訪するつもりでおります。
No.346 Re9: 湖水地方 ニジェガロージェッツ [2004/07/02(金)00:13:10]
遅くなりましたが、やっとのことでNo.342でBradshawさんに教えて頂いたサイマー運河周
辺の5万分の1地図のダウンロードに成功しました。

確かにご指摘の通り、運河と道路に挟まれた部分と小ヴィソツキー島に赤色の斜線が施さ
れており、間違いなくNo.338にて二キーチンさんが紹介下さった1962年の租借条約の条文
にある範囲です。
ここまで明確に租借地の範囲が図示されたロシア側の地図があったとは正直驚きました。

面白い地図を有難うございました。
(実は以前にご紹介下さった地図のサイトに行き着いたことはありましたが、1時間以上
もダウンロードにかかるとは考えず、いつまで経っても画面が出ないことを何かのエラー
だと思って諦めていました)


:  サハリン鉄道の現状については恥ずかしながらご説明のところまでは認識しておりませ
: んでした。慌てて検索して「樺太の鉄道データベース」
http://www.glin.org/prefect/arc/arc.cgi?N=78
: を見つけました。改めて熟読させて戴きます。

何所かで聞いた事のあるタイトルだと思ったら、小生の仕業でした。
2年前にグリグリさんの「落書き帳」に投稿させて頂いたもので、戦前の「樺太5万分1地
形図」復刻版と、1993年の「サハリン州20万分の1地形図」を対比して纏めたものでした
が、当時はネットに初めて接続した頃で、「ネチケット」など弁えておらず、恥ずかしい
限りです。

サハリンの鉄道の現状については、JTBのワールドガイド「サハリン」徳田耕一氏著、に
詳しく紹介されています。ご参考まで。

 
: #当方、生まれも育ちも新潟ですが、ソ連末期の1987年に海路ナホトカに渡り、列車でハ
: バロフスクへ、ここから空路レニングラード(当時)へ向かい、列車でモスクワ、空路で再
: びハバロフスク、ナホトカ、新潟と2週間の旅をしたことがあります。
:  今夏はこれまたツアーですが、新潟からまずイルクーツクへ飛び、そこからはモスクワ
: 、サンクトペテルブルクを再訪するつもりでおります。

それは楽しみですね。小生などまだペテルブルクに行ったことがなく、ニキーチンさんを
はじめ、羨ましい限りです。差し支えなければ、楽しい帰朝報告も期待したいところです
。
No.347 教えて下さい。 ミー さん [2004/07/06(火)19:41:36]
ロシア ハカシア共和国のプリスコーヴィとはどこに位置していますか。どなたか分かる
方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
No.348 Re: 教えて下さい。 ニジェガロージェッツ [2004/07/06(火)22:04:01]
ミーさん、はじめまして。ようこそお越し下さいました。

: ロシア ハカシア共和国のプリスコーヴィとはどこに位置していますか。

お尋ねのハカシア共和国の「プリスコーヴィ」ですが、調べたところ該当する集落はロシ
ア語で“Приисковый”と表記されるものと推測します。
拙HPの「ハカシア共和国の人口」というページには「プリイスコーヴイ町」と書いており
ますが、実際の発音では、二つ重なった“И”が引っ張られて「プリスコーヴィ」の方が
近いかもしれません。

この集落の位置ですが、ハカシア共和国北西端に位置する「オルジョニキーゼ地区」の西
端、ケメロヴォ州との境界近くのクズネツキー・アラタウ山脈の東斜面の山中、標高880
mの所に位置しています。
金・銀の採掘が行われているようです。

手持ちの地図で測ったところ、位置は北緯54度40分、東経88度42分です。

ロシアの検索サイトで詳しい地図を探して見ましたが、適当なものにヒットしませんでし
た。
ところが、ロシアをバイクで横断されたknockeyeさんが、ご自分のホームページにロシア
の地図をアップされたことをお知らせ頂いた(No.277をご参照下さい)地図を確認しまし
たところ、詳しく出ていました。

行き方は下の「参考」欄にknockeyeさんのホームページのトップを出しておきますので、
そこから
トップページ >ロシアの地図(ロシア国旗をクリック) >クラスノヤルスク >アバカ
ン
の順序でページを開いていって下さい。

「アバカン」の地図の北西端(左上端)の黄色い線で書かれた道路の終点に
 ПРИИСКОВЫЙ
と書かれているのが、お尋ねの「プリスコーヴィ」です。

#knockeyeさん、お断りなく貴サイトをご紹介させて頂きましたが、どうぞご理解の程、
宜しくお願い致します。
参考: http://knockeye.hp.infoseek.co.jp/index.html
No.349 本当に助かりました。 ミー さん [2004/07/07(水)12:37:26]
ニジェガロージェッツ様
親切丁寧に大変分かりやすく教えていただきまして、ありがとうございます。
本当に助かりました。
重ねてお礼申し上げます。
No.350 H.H. くま さん [2004/07/07(水)21:45:23]
こんにちは。はじめまして。
驚きと同時に懐かしさがこみ上げてきました!
私は仕事の関係でニジニに1997年5月から1998年3月まで住んでおりました。
言語大の寮から徒歩5分以内のところです!
そちらはいつごろまで滞在されてたのですか?
いやーほんとに世界は狭いです。
No.351 Сити НН ニジェガロージェッツ [2004/07/08(木)01:59:55]
くまさん、こんばんは。ようこそお越し下さいました。
(No.350 H.H.というタイトル、よく目にしたニジニ・ノヴゴロドの略です。懐かしい!
小生はそこから連想するのは、地元の民放テレビСити ННです。)

それにしても、奇遇です!
小生、もの凄いタイミングでくまさんとニアミスをしておりました。

当方のニジニでの長期滞在は、1996年2月〜7月と、1997年2月〜7月の2回ですので、97年
5月〜7月の間には、くまさんと思わぬニアミスをしていたことになりますね。

97年5月当時では、日本人の現地滞在者は小生の他には、同じ語学留学をされていた女性
、言語大学で日本語と経済学の教鞭をとっておられた先生、「オーペルヌイ・チアートル
」の若い女優さん、ニジニでの生活をはじめられたばかりの東京のビジネスマン(確か岡
山のご出身だとか)さんの5人だけだと仲間内では言われていましたが・・・。他にくま
さんがいらっしゃったとは!

ただ、小生もそうでしたが、あまり日本人同士が寄り合うことはなく、現地のロシア人と
の付き合いのほうが濃かったので、当時のニジニでの日本人滞在者の全貌は、全く知る由
もありませんでした。

: 驚きと同時に懐かしさがこみ上げてきました!

もう、お恥ずかしい限りです。(滝汗)
ロシアの都市人口データを中心に、このホームページを作ったのですが、どうしてもニジ
ニでの体験を忘れられず、自身を「ニジェガロージェッツ」とふざけて名乗ったり、ホー
ムページのタイトルにしたり、掲示板に「ヤールマルカ」と名つけたりしましたが、そこ
までした以上、何かニジニのことを書かなくてはバチが当ると思い、写真入で拙いことを
書いております。
それでも懐かしく思って頂けるとは、光栄です。

くまさん。是非、ニジニでの想い出などをお聞かせ下さい。

: いやーほんとに世界は狭いです。

全くです。実は1996年6月に、モスクワに留学中の日本人女性2人をニジニにご案内する
機会があったのですが、なんとその中の1人は同じ神戸の同区内、同町内の人でした。
当時は町内の大半が震災で焼失していたので、全町の人口は500人ぐいしかいなかった筈
で、まさかこのご町内の人とニジニで知り合うとは、予想だにしない世界の狭さにびっく
りしたことがあります。


No.349 ミー さん。

丁寧なご挨拶、有難うございます。
お尋ねの「プリスコーヴィ」の位置、それで宜しかったでしょうか。
またちょくちょく遊びにいらして下さい。
No.352 Н tosh さん [2004/07/08(木)21:18:53]
ご無沙汰しております。
ノヴォシビルスクのtoshです。

インターネットが使えない時期が続いたため書き込みから遠のいていましたが、この間も
元気に生活していました。

: あまり日本人同士が寄り合うことはなく

日本人はそうですね。ノヴォシのアカデムゴロドクにも現在語学留学などで日本人が総計
3名おりますが、生活・居住とも別行動です。市街の人たちはうわさに聞くばかりです。
それに比べて韓国人は30人以上います。さらに20人ほどが韓国文化普及のためやって
きました。ロシアでは日々、韓国の影響力の大きさを感じます。ノヴォシビルスクでは東
洋文化への関心が非常に高いです。

: : : いやーほんとに世界は狭いです。

これから2ヶ月の予定でモスクワに行きます。
2年前モスクワにいたとき、街を歩いていたらイタリア人とスイス人の知り合いにばった
り出くわしました。別々の時期にサンクトで知りあった人たちでしたが、彼らはモスクワ
で知り合いになったそうです。

(以下の文面は参考までに。ニジェさんの権限で削除して頂いてかまいません)

さて閉鎖的な都市の話ですが、興味深いことがいろいろと分かってきました。
掲示板に書き込むのはためらわれますが、ソ連では人口湖や運河、地下石油タンク、地下
基地の建設に原爆が使われたようです。
このうち前3者は旧原子力省が公的に認めています。

現在機密の度合いが高いのは原子力より石油関連の都市ではないかと思いますが、ニジェ
さんはどう思いますか?
No.353 Re: Н ニジェガロージェッツ [2004/07/09(金)00:00:54]
toshさん、お久しぶりです。お元気でノヴォシビルスクでお暮らしの由、何よりです。
#「Н」とは、ノヴォシビルスクの略ですか?

: 日本人はそうですね。ノヴォシのアカデムゴロドクにも現在語学留学などで日本人が総計
: 3名おりますが、生活・居住とも別行動です。市街の人たちはうわさに聞くばかりです。

ノヴォシビルスクと言えば、チュメニなど西シベリア各地の油田を背景に好景気に沸いて
いると仄聞したことがあります。
toshさんのお話によると、それでも日本人は少ないようですね。
日本人と言うと、団体ツアーのイメージもあって、集団で行動しているように思われるフ
シがありますが、ロシアの地方都市へ語学留学に出る人は、結構個性的ですね。
確かに、わざわざロシアで日本人同士がいつも一緒にいて、日本語で生活していても、何
のための語学留学か分らない面もありますから。

: それに比べて韓国人は30人以上います。さらに20人ほどが韓国文化普及のためやって
: きました。ロシアでは日々、韓国の影響力の大きさを感じます。ノヴォシビルスクでは東
: 洋文化への関心が非常に高いです。

東アジアの不幸な歴史もあって、ソ連には1989年の国勢調査で439,000人のコリアンがい
ました。今のロシア連邦でも2002年調査で148,000人を数えています。こういった在露コ
リアンの存在が、韓国の影響力が及び易い背景にあるのかも知れません。
それにしてもロシアでの韓国パワーは凄いです。

: これから2ヶ月の予定でモスクワに行きます。

ノヴォシビルスクからモスクワですか。
地方都市からモスクワを見ると、また違ったロシアの一面が見れて面白いと思います。
モスクワを見ずにロシアは分りませんが、モスクワだけでロシア全体を推し量るのも的外
れと聞きます。
かく言う小生にとってモスクワは、ニジニノヴゴロドへの通過点ぐらいにしか立ち寄って
いないので、偉そうな事は全く言えないのですが。

: 掲示板に書き込むのはためらわれますが、ソ連では人口湖や運河、地下石油タンク、地下
: 基地の建設に原爆が使われたようです。
: このうち前3者は旧原子力省が公的に認めています。

具体例は存じませんが、如何にもソ連らしいといえばソ連らしいですね。

: 現在機密の度合いが高いのは原子力より石油関連の都市ではないかと思いますが、ニジェ
: さんはどう思いますか?

残念ながら、小生には何とも。(汗)
石油関連の地域といえば、タタルスタンの南東部に何度か言った事がありますが、そこで
は機密の都市のようなものの存在は聞きませんでした。
とはいえ、ロシアは何でもありのようなところがありますから、もしかすると・・・とも
思います。
何とも頼りない意見で申し訳ありません。
No.354 シベリアのインフラ? ハラ-シヤ バーダ さん [2004/07/13(火)09:50:02]
大学時代にロシア語を選択した地理好き人間です。凄い情報量
満載のサイトですね。

ところで、シベリアは資源が豊富とか言われますが、インフラ
の方はどうなんでしょう。架橋は少ないみたいですが。道路、
高速道路とか。以前見たテレビで、オイミヤコンに行くのに、
道路の上でなく、車が河の上を走っていました。氷結した河の上
の方が走りやすいとか。

サハ共和国はインド並みの広さで100万人も住んでいない
ようですね。ちゃんと道路とかあるのだろうかと思いました。
参考: http://www.hi-net.zaq.ne.jp/nizhniy-kobe/subekt.yakut.htm
No.355 Re: シベリアのインフラ? ニジェガロージェッツ [2004/07/14(水)00:04:56]
ハラ-シヤ バーダ さん、はじめまして。ロシア語の解る地理好きさんは大歓迎です。よ
うこそいらっしゃいました。

ところで「ロシア語」と「地理好き」の2つのキーワードに合致する人は、結構少ないと
思いますがどうでしょうか?
「ロシア語」と「文学好き」とか「芸術好き」などは結構いるようにも感じますが。

さてシベリアの、それもサハ共和国の道路状況ですが、小生は現地へ行ったことがないの
で、あくまで地図での情報になりますが、このインドに匹敵する面積の共和国で、一端の
道路と言うに相応しいのは、アムール州スコヴォロジノ近郊の「ネヴェル町」から北へ、
ネリュングリ、トンモトを経てヤクーツクに至り、そこから東に向かいハンドゥイガ、ス
スマンを経てオホーツク海のマガダンに至る「M56号線」があります。

このうち、ネヴェル―ヤクーツク間1160キロを「レナ街道」と言い、ヤクーツク―マガダ
ン間1878キロを「コリマ街道」と呼んでいます。
但し、ヤクーツク市街がレナ河左岸(西岸)に位置しているのに対して、どちらの街道も
レナ河右岸を通っているために実際にはヤクーツクに至っておらず、レナを渡る架橋もあ
りません。

道路地図を見る限り、サハ共和国のこれ以外の道路は各地に途切れ途切れある程度です。
これらは、ヤクーツク市郊外に数本と、共和国西部のダイヤモンド都市ミールヌイからレ
ンスクやヴィリュイスク、ウダーチヌイに伸びる道路が確認出来ます。

そして、これで「すべて」と言いたくなるぐらいしか表記されていません。

そうなると、冬期(一年のほとんど)に結氷した河川が如何にインフラとして重要である
かは分るような気がします。
このあたり一帯は地下資源の宝庫といわれていますが、こういったインフラの整備状況は
ネックのように思います。

サハ共和国の美しい地図を見つけました。
http://lensk-st.narod.ru/map.html

この掲示板に度々レスを下さったknockeyeさんはオートバイでこの「レナ街道」を走破さ
れています。「露西亜ツーリング報告」では写真入りで読み応えのある紀行文を掲載され
ていますので、もしまだのようでしたら是非、knockeyeさんのサイトも訪ねて見てくださ
い。
参考: http://knockeye.hp.infoseek.co.jp/index.html
No.356 サハ共和国の地図 ユーラ さん [2004/07/15(木)23:41:02]
いつもお世話になっております。(*^_^*)
「ロシアのバレエ団情報」のユーラです。
毎日、日課のようにヤールマルカをロムさせて頂いておりますが、とても専門的な内容の
投稿ばかりなので、こちらにご挨拶したくとも尻込みばかりしておりました。

本日「サハ共和国」が話題になっておりましたのでちょっと関心を持ちました。サハ共和
国って寒いシベリアの中でも特に寒い地域なんですよね。(ていうかこの程度の知識しか
ありません。←ゴメンナサイ。)
でも、こんな極北シベリア(ヤクーツク)にもオペラ・バレエ劇場があるんです。ちょっ
とビックリ!でした。ヤクーツク市の人口は19万5000人なのに、オペラ・バレエ劇場があ
るのは広いロシア全土を考えても驚異的!の範疇に入ります。
インドとほぼ同じ面積を持つサハ共和国ですから、オペラやバレエが好きな(ヤクーツク
市在住でない)国民は飛行機(?)に乗って観劇にやって来るのでしょうか!?
考えれば考えるほどに謎です。

サハ・オペラ・バレエ劇場を紹介しているサイト<sakha.ru>のURLを掲げておきます。

ニジェガロージェッツさん、美しいサハ共和国の地図を見せて下さってありがとうござい
ました。
地理に関してはまったく専門外で、???だらけではありますが、また遊びに来させて下
さいね。
これからもどうぞよろしくお願いします。
参考: http://www.sakha.ru/sakha/culture/teatr/opera/index.html
No.357 Re2: シベリアのインフラ? アファナーシー=ニキーチン さん [2004/07/16(金)01:45:49]
: 道路地図を見る限り、サハ共和国のこれ以外の道路は各地に途切れ途切れある程度です。

こんばんは。肌寒いペテルブルクからです。

ゴスコムスタット(ロシア連邦統計委員会)の統計年鑑の中に関連するデータがありまし
た。「面積1000平方km辺りの舗装された公道の密度」というものです。面積は分かってい
るので、この密度をかけると各地の舗装道路延長を知ることが出来ます(2002年末のデー
タ)。

サハ共和国の場合、舗装道路密度は2.4km/千平方kmとあります。面積は3103.2千平方kmな
ので、共和国内の舗装道路は、計算上、7447kmということになります。

この統計集を見る限り、ロシア国内で一番舗装道路密度が低いのは、エベンキ自治管区の
ようです。サハ共和国の100分の1にも満たない0.02km/千平方km。面積は767.6千平方kmな
ので、日本の約2倍の面積がある同管区内の舗装道路は、約15kmのようです。

ちなみに全国平均は32km/千平方km、シベリア連邦管区は18km、極東連邦管区が5.3kmとな
っています。

ロシアの統計は信用できないとよく言われますが、面白かったのであえて紹介してみまし
た。 
No.358 ヤクーツクのオペラ劇場の謎 ニジェガロージェッツ [2004/07/16(金)02:03:48]
ユーラさん、こちらこそ毎度お世話になっております。
貴サイト「ロシアのバレエ団情報」に於かれましては、益々メニューの充実が進み、訪問
者数の着実な増加には、お気に入りの常連さんが増えていることを雄弁に物語っています
ね。ご同慶の至りです。

: 毎日、日課のようにヤールマルカをロムさせて頂いておりますが、とても専門的な内容の
: 投稿ばかりなので、こちらにご挨拶したくとも尻込みばかりしておりました。

ここにお越しの皆さん、仰るとおり凄いですね。本当に勉強になります。
小生などは地理の専門でもなく、ただの物好きの類であることを顧みず、一通りレスをお
返しするように心掛けているのですが、最近はしどろもどろ状態で恥ずかしい限りです。
ですが、敷居を高くする積りは全くありませんので、どうぞ遠慮なくお越し下さい。

: でも、こんな極北シベリア(ヤクーツク)にもオペラ・バレエ劇場があるんです。ちょっ
: とビックリ!でした。ヤクーツク市の人口は19万5000人なのに、オペラ・バレエ劇場があ
: るのは広いロシア全土を考えても驚異的!の範疇に入ります。

確かに驚異ですね。リンク頂いたヤクーツクの劇場案内も拝見しました。
ユーラさんのサイトにも「自治共和国の威厳保持のためでしょうか?」と説明されていま
すが、小生もそういう一面はあるような気がします。
他に考えられるとすれば、ヤクーツクはシベリアでも古い都市の一つですが、都市の発展
や資源開発のためには、この極北の地に移民を呼び込む必要があるわけで、それには各種
施設の充実が必須で、オペラ劇場のような文化度の高い娯楽施設は「ソ連」というお国柄
もあって、欠かせなかったのではないでしょうか?

それにしても、広い共和国全土からどうやって観劇に来るのでしょうね?

: 地理に関してはまったく専門外で、???だらけではありますが、また遊びに来させて下
: さいね。
: これからもどうぞよろしくお願いします。

ユーラさんのご来場、楽しみにしております。小生も貴サイト掲示板にまた遊びに寄らせ
て下さい。皆様も是非!
参考: http://www.geocities.jp/yura_ballet/
No.359 感謝 ハラ-シヤ バーダ さん [2004/07/16(金)09:31:09]
面白い情報を紹介していただきありがとうございます。

私の地理とロシア語好きの関連について。幼少の頃から本を読んだり見たりするのが好き
でした。
小学生の頃は1日1冊本を借りていたこともあります。で親が百科事典を買ったのですが
、
地理の図鑑が絵が多くて見ているのが楽しかったというのがあります。ロシア語を専攻し
た
のは受験時代にロシア文学を読み漁って、ロシア語に惹かれました。理系でしたが、入試
に
国語があり、本は沢山読んでいましたが、国語の点数は低く、多分もっとテクニック的な
こと
をやるべきだと思いつつ、現実逃避的な意味合いでもロシア文学を読み漁りました。大学
に入
ってロシア語を猛勉強し、自分の英語より喋れるくらいになりましたが(語彙数は英語が
上
ですが3千語くらい例文テープで覚えました)、今ではすっかり忘れています。

日本の2倍の面積で舗装道路が15キロしかないというのは凄いですね。一辺30キロ強
四方
あたりでロシア全国で32キロ、サハ共和国だと2.4キロというのはやはり相当少ない
ですね。

東京特別区だけでサハ共和国にある舗装道路を上回りますね。

私は音楽はさっぱり何ですが、ロシア語には音楽的な響きがあって好きでした。
No.360 Re3: シベリアのインフラ? ニジェガロージェッツ [2004/07/16(金)21:35:08]
No.357 アファナーシー=ニキーチン さん、こんにちは。

: こんばんは。肌寒いペテルブルクからです。

今年の欧露部の夏は雨がちのようですね。
日本は空梅雨のところが多かったですが、新潟県と福島県の一部では豪雨となり、一部に
堤防が決壊して大変な災害が起っています。

さて、舗装道路密度とそれに基づく舗装道路延長距離のお話、大変興味深いものがありま
す。

: サハ共和国の場合、舗装道路密度は2.4km/千平方kmとあります。面積は3103.2千平方kmな
: ので、共和国内の舗装道路は、計算上、7447kmということになります。
: 
: この統計集を見る限り、ロシア国内で一番舗装道路密度が低いのは、エベンキ自治管区の
: ようです。サハ共和国の100分の1にも満たない0.02km/千平方km。面積は767.6千平方kmな
: ので、日本の約2倍の面積がある同管区内の舗装道路は、約15kmのようです。

エベンキ自治管区全体の舗装道路延長がわずか15kmとは、驚くべきデータです。
早速、手持ちの道路地図で確認しました。CIS諸国のほぼ全域をカバーする道路地図帳で
すが、エベンキ自治管区は全域が300万分の1で4ページに跨って収録されています。

これを見ると、エベンキ内を通るすべて(といってもわずか数本ですが)の道路が細かな
破線で表記されており、まるで獣道か林道の扱いのようです。舗装道路の表記は一切あり
ませんでした。
15kmの舗装道路は主要集落(といっても唯一の都市トゥラーに加えて、ヴァナヴァラとバ
イキトぐらいか?)内部の街路に限定されるのかと推測します。

ところで、ヴァナヴァラの北、およそ60キロの森林地帯で1908年6月20日に巨大隕石の落
下による大爆発が起りました。このような希に見る人口希薄地域だったからこそ、大事に
は至らなかったのでしょう。
人口の多い地域は言うに及ばず、たとえ海上であっても、巨大津波の発生で大打撃を被っ
たことでしょう。

: ロシアの統計は信用できないとよく言われますが、面白かったのであえて紹介してみまし
: た。

面白過ぎです。(笑)
いつも的確なフォローと情報ご提供に心より感謝しております。
No.361 Re4: シベリアのインフラ? アファナーシー=ニキーチン さん [2004/07/16(金)23:39:55]
: エベンキ自治管区全体の舗装道路延長がわずか15kmとは、驚くべきデータです。

自分自身、目を疑いました。計算間違いではないかと思って(笑)。クルマやバイクなら
30分で全区間踏破できそうですね。

: いつも的確なフォローと情報ご提供に心より感謝しております。

こちらこそ、ハラーシヤ バーダさんの書き込みのおかげで楽しませてもらいました。

逆に、舗装道路が充実している地域ですが、2003年版統計集によれば、
@モスクワ州(モスクワ市含む) 349km/千平方km
Aカリーニングラード州 305km
B北オセチア共和国 286km 
の順でした。
北オセチアは人口密度が非常に高いところとはいえ、意外な気もします。

この統計集の面白い所は1970年以後の過去のデータも併記してある点で、それを見ると90
年前後まではカリーニングラード州が首位を独占、特に70〜80年代に限ればずば抜けてい
たことが分かります。周知の通り同州は元ドイツ領なので、ドイツ時代から道路の整備が
進んでいたのでしょうね。
No.362 Re5: シベリアのインフラ? ニジェガロージェッツ [2004/07/17(土)01:44:09]
No.359 ハラ-シヤ バーダ さん、レス有難うございます。

: 地理の図鑑が絵が多くて見ているのが楽しかったというのがあります。ロシア語を専攻し
: たのは受験時代にロシア文学を読み漁って、ロシア語に惹かれました。

確かに子供の頃に見た地理図鑑は、当時の日本の都市の風景とは全く違った外国の都市や
、地図などが美しくて、それだけでも地理好きになってしまいました。
小生の場合、ロシア語との出会いは89年に樺太南部を旅行した際、現地のロシア人の話す
ロシア語に、意味がわからないものの「黒光り」したような魅力に惹かれたのと、現地で
買い込んだ地図類が読めるようにアルファビートを覚えたのがきっかけとなりました。


No.361 アファナーシー=ニキーチン さん、またまた面白い追加情報有難うございます。

ソ連時代にカリーニングラード州の舗装道路の充実度が群を抜いていたのは確かに頷けま
す。(現地に行ったことはありませんが・・・)
旧ドイツ領オストプロイセンがソ波2国に分割された際、ソ連側は州都ケーニヒスベルク
を含む北部のバルト海沿岸の比較的都市化の進んだ地域を入手したのに対し、ポーランド
には南部のマズーリ湖沼地帯などが
与えられました。

旧オストプロイセンの地図です。
(ソ波分割線が書き込まれていることからすると、戦後のものでしょう)
http://www.preussenweb.de/opr/grenze2.jpg

今ではモスクワがトップというのも、郊外の都市化の影響があってのことでしょうか。

北オセチアについては、この共和国の南半が急峻なカフカス山脈の北斜面を成しているこ
とを考慮すると、実質の「可住地」に限れば舗装道路の充実度は更に倍増しそうですね。
No.363 Moskva dayori toshi さん [2004/07/21(水)00:00:25]
latenmoji de sumimasen.

kinou moskva ni tukimashita.
plazkarta [3tou ressha] de kimashita.
Snezhinsk no hito to isshoni narimashita.
Sugou guuzen desune!

toshi
No.364 大津事件 господин Ондрей Заков [2004/07/21(水)18:58:09]
ちょっと御無沙汰気味で恐縮です。本掲示板のネタ振りの強力な
武器になるかと期待された「別冊歴史読本/皇女アナスタシアと
ロマノフ王朝」を勤務先に持ち帰った途端に盗難の憂き目に遭い
少々凹んでおりましたところ、なぜか社長室に(爆)

「ん、何だ、おめーの本げえ。中々面白がっだど?」(←怒)

という訳で、気を取り直して読んでおりますが、中々に奥が深く
一朝一夕に読破できるものでもなし。取り敢えず読み応えありと
感じたのは、大津事件を巡る、その後の日露間の外交顛末ですね。
鎖国制度を廃して間も無い当時の日本にとって、どれ程の外交的
試練だったか、改めて精読するとその奥深さに唸らされます。
No.365 Re: Moskva dayori ニジェガロージェッツ [2004/07/21(水)23:08:34]
No.363 toshi さん

無事モスクワご到着の由、何よりです。
今年の欧露部の夏は異常に雨の日が多いようですね。一方、日本では東京を中心に40℃近
くまで気温が上がる一方、新潟や福井では豪雨による激甚災害。地球規模で何かが狂って
いるみたいです。

: Snezhinsk no hito to isshoni narimashita.
: Sugou guuzen desune!

これはビックリです。もっとも相手のほうがビックリしたかも知れませんが。

小生のニジニ在住中、寮の隣の部屋にサロフから来た人が一時投錨したのですが、「サロ
フ」と聞いて即座に「アルザマス16ですね」言うと、どうして知っているのかと不思議が
られました。
ロシア人に言い当てられたことはなかったそうです。なんたって、「秘密都市」ですから
ね。
こちらは、たまたまNHKの特集番組で見たのを覚えていただけだったのですが。
No.366 Re: 大津事件 ニジェガロージェッツ [2004/07/21(水)23:53:31]
No.364 Ондрей Заков さん、お久しぶりです。
件の「別冊歴史読本」が思わぬところで発見され、ご同慶の至りです。(笑)

ロシア皇太子ニコライがウラジオストクのシベリア鉄道起工式に出席する際に日本に立ち
寄ったところ、1891年5月11日、滋賀県大津町にて警護中の巡査に斬りつけられ負傷した
「大津事件」ですが、日露政府間で交わされた犯人を死刑にする約束を司法権に対する干
渉として、大審院は犯人に対し無期刑を言い渡し、司法の独立を守ったとする話ですね。

: 鎖国制度を廃して間も無い当時の日本にとって、どれ程の外交的
: 試練だったか、改めて精読するとその奥深さに唸らされます。

実は一説によると、ロシアの思惑としては、犯人に死刑を宣言したところで、ロシア側よ
り減刑を申し出る事で、事件を日露親善の契機にしようという考えもあったようです。
これが本当であれば、結果として大審院の判決はロシアにその機会を永遠に失わせ、1894
年にはこの皇太子がロシア皇帝ニコライII世となり、最終的には日露戦争へと時代が移る
のですが、この事件が伏線になったかどうかは別として、当時の世界史的な大きな時代の
流れとはいえ、考えさせられます。
No.367 自粛ムード господин Ондрей Заков [2004/07/24(土)09:03:45]
>滋賀県大津町にて警護中の巡査に斬りつけられ負傷

天皇謁見に先んじて視察を行った事が非礼に当たる、との義憤や
来日目的が侵攻の布石たる下調べと思い込んだ凶行だそうですね。

皇太子来日の実現に奔走したのは青木外相ですが、フランスとの
歴史的な繋がりを重んじる駐日公使・シェーヴィチにして見れば、
親独派の外相は今ひとつ信用に足る存在ではなかった様です。

仏露間の歴史的、文化的関連性については、以前言及しましたが、
美術館として知られる「エルミタージュ」も、フランス風発音と
感じましたが、やはり ermitage なる仏語に由来するのだとか。

>大審院の判決はロシアにその機会を永遠に失わせ、

謝罪の中にも、相手に極力主導権を与えまいとする、ギリギリの
駆引きがあったのでしょうか。一方ペテルブルクでは地元新聞の
論調に関する報道管制を巡って、ギールス外相と西公使との間で
これまた色々とあった様です。

一方、日本国内では株式取引所や米商会所が謹慎目的で取引停止、
銀行、遊郭、芝居小屋、学校なども軒並み休業と、国を挙げての
平身低頭状態だった様ですね。
No.368 領土問題 господин Ондрей Заков [2004/07/24(土)17:34:59]
日露間の最大の懸案といえば、やはり北方領土問題ですね。さて
この北方領土を地図サイト「マピオン」で表示して見ると、最大
縮尺表示は 1/75,000 でして 1/21,000、1/8,000 が効く通常
表示よりも粗くなっています。

実効的支配下にない為かと思い、同様の領有問題を抱える竹島や
尖閣諸島魚釣島を見ると、ちゃんと 1/8,000 で表示されており、
北の海の謎は一層深まるのでした。

この手合いで、海外を含め「ゼンリン住宅地図」程に詳細表示が
効く地図サイトが登場したら…………地理好きの究極願望ですね。
(スパコンでも動員しないと無理でしょうけれど。)
No.369 Re: 領土問題 ニジェガロージェッツ [2004/07/24(土)23:38:50]
No.367,368 Ондрей Заков さん、大津事件顛末の詳細レス有難うございまし
た。

: 謝罪の中にも、相手に極力主導権を与えまいとする、ギリギリの
: 駆引きがあったのでしょうか。一方ペテルブルクでは地元新聞の
: 論調に関する報道管制を巡って、ギールス外相と西公使との間で
: これまた色々とあった様です。

当時の日露両国家間の駆け引き、想像するに大変だったと推測します。
ロシア帝国は所謂大国意識が強く、一方の日本はまだ日清戦争前のことで、当時のロシア
から見て日本がどのように映っていたのか。
当時のロシアの庶民レベルでは、日露間の緊張など、殆ど気にすることはなく、「日本」
など遠国でエキゾチックなだけの、実体の無い存在だったようです。

当時の世界地図といえば、両極地方が極端に大きく図示ざれる「メルカトル図法」が一般
的で、高緯度に位置するロシア帝国は、全ユーラシアを押し潰しそうなぐらいの巨大大国
に描かれ、これが日本人の「恐露症」を大きく刺激したとの説もあるようです。


: 日露間の最大の懸案といえば、やはり北方領土問題ですね。(中略)
: この手合いで、海外を含め「ゼンリン住宅地図」程に詳細表示が
: 効く地図サイトが登場したら…………地理好きの究極願望ですね。
: (スパコンでも動員しないと無理でしょうけれど。)

あれば凄いけど、「住宅地図」など平和国家の象徴です。
数年前、件の「ゼンリン」が海外進出で、韓国の住宅地図を手掛けようとしたところ、分
断国家の現状で、常に戦時になる危険があるため、住宅地図の発行など論外とのことだっ
たそうです。
(テレビで社長さんが話しておられました)

北方領土の紙の詳細地図といえば、拙稿No.320に紹介した「千島列島」20万分の1地形図
の付録に、国後島の古釜府と択捉島の紗那、北千島幌筵島の柏原の簡単な市街図がありま
したが、入手出来るのはその程度でしょうね。 
No.370 メルカトル図法 господин Ондрей Заков [2004/07/25(日)00:31:48]
>両極地方が極端に大きく図示される「メルカトル図法」

私が初めて接した世界地図もこの図法仕様で、旧ソ連は勿論の事、
グリーン・ランドもかなり「誇張」されており、対欧米空路での
アンカレッジ経由の必然性は、どうにも理解に苦しんだものです。
他方、蜜柑の皮を剥いたかの如き表示も見難かったですね。

>「住宅地図」など平和国家の象徴です。

軍司偵察衛星による空撮データが、将来、平和利用で住宅地図に
……… 今のところ、先ず無理そうですね(汗)
No.371 「落書」改め「自由広場」 ニジェガロージェッツ [2004/07/25(日)15:43:55]
こんにちは、酷暑真っ只中の神戸です。

さて、拙「ニジェガローツキー・ドヴォール」がサイト開設から1周年を迎えました。皆
様の日頃のご愛顧に深く感謝申し上げます。

これを機にトップページを全面リニューアルしました。今まで新コーナーの立ち上げの度
に、継ぎはぎ的にボタン等を付け加えて見苦しくなっていたので、スッキリさせたく思っ
ていました。

また、合わせて掲示板「落書ヤールマルカ」を「自由広場ヤールマルカ」と改称してみま
した。
掲示板を立ち上げた時に「見本市」の意味を持つニジニ・ノヴゴロドの歴史的定期市「ヤ
ールマルカ」に肖って名付けましたが、それだけでは意味不明なので「落書」を付けまし
た。
ただ「落書」という単語が、どうもロシアっぽくないというか、しっくり来ない様に常々
感じていました。

そこで丁度ニジニを回想して街の紹介文を書いているときに、ふと日常的に訪れていた
「自由広場」(площадь Свободы)
という広場を思い出し、これに変えてみました。
(名前からして、ロシアのどこの都市にもありそうな地名ですが、モスクワには無いみた
いです。)

とはいえ、これは小生の個人的な「こだわり」です。
掲示板は皆さんで盛り立てて頂くものなので、もし「落書」のほうが良いというご意見が
あれば、もとに戻すのもやぶさかではありません。

それと「どことなく暗かった」掲示板の背景画像も変えてみました。
一層の事、黄色系の暖色に変えたかったのですが、見ていて目がチカチカするようなので
、ブルー系にまとめました。
なお、背景画像には「自由広場」を
свободная ярмарка [スヴァボードナヤ・ヤールマルカ]
と書いていますが、この本来の意味は「フリーフェア」です。

今後とも「自由広場ヤールマルカ」に変わらぬご愛顧を頂ければ幸甚です。
No.372 Re: メルカトル図法 ニジェガロージェッツ [2004/07/25(日)16:44:02]
No.370 Ондрей Заков さん
メルカトル図法についてレス有難うございます。

: 私が初めて接した世界地図もこの図法仕様で、旧ソ連は勿論の事、
: グリーン・ランドもかなり「誇張」されており、対欧米空路での
: アンカレッジ経由の必然性は、どうにも理解に苦しんだものです。

日本ではそうですね。
小生が通っていた(昭和40年代)小学校でも、黒板大サイズの教材用世界地図がメルカト
ル図法だったのを記憶しています。
小さなオーストラリア大陸に、巨大なグリーンランド島。虚構です。
(どんな図法にしろ、球体の地球を平面に描く以上、必ずどこかに歪みがあるのですが)

所変ってロシアでは、さすがにメルカトル図法にお目にかかったことがありません。書籍
や博物館などで紹介されている古地図にもメルカトル図法のものは見ませんでした。
あれだけ歪んだ「ロシア像」ですから、実用性が全くなかったのかも知れません。

: 他方、蜜柑の皮を剥いたかの如き表示も見難かったですね。

正確な上に、なるべく形も正しく表そうとして、海洋の部分を断裂させた図法ですね。
あれもロシアでは見ませんでしたね。探せばあるかも知れませんが。
No.373 Re: No.371 господин Сомпин Сомринович Пражний [2004/07/26(月)00:15:58]
トップ・ページもヤールマルカも明るい印象になりましたね.以前の落ち着いた色合いも
すてきでしたが,現在のパステル調も良いなあ.
ロシアというと,どちらかといえば重苦しい印象があります(Шостакович な
どを愛聴しているせいか?)が,そんな印象を吹き飛ばすような書込を楽しみにしており
ます.
No.374 Re: メルカトル図法 ハラ-シヤ バーダ さん [2004/07/26(月)16:32:25]
メルカトル図法が話題になっていますが、国によってよく見る地図が違いますよね。自国
が
中心になった地図を見る。ロシアは確かに国土は広いが領海では日本に負けているのです
よね。
アメリカ、オーストラリア、インドネシア、ニュージーランド、カナダ、日本、旧ソ連の
順。

排他的経済水域 単位1万平方キロ
日本    451(海保の調査では447)
旧ソ連   449(実行支配している領域で北方領土を含む)
北方領土を減らすと 420万平方キロ前後。またこれはバルト3ヶ国も含む。
ロシアは千島列島、南樺太を日本に返すと領海はキリバス共和国(国土面積は対馬ぐらい
)より
小さくなるのではないかな。キリバス共和国の領海面積は約350万平方キロ。

私が面白く感じる地図は正距方位地図でしょうか。メルカトル図法に見慣れていると日本
の東
にはカリフォルニアだけど実際はハワイ、しかしハワイの西に日本はない。日本の西はイ
ンドー
イランのように見えるが、実際はインドータンザニア。
No.375 ロシアの血は「ラテン系」か?? ニジェガロージェッツ [2004/07/27(火)00:30:01]
No.373 Сомпин Сомринович さん、メッセージ有難うございます。

: 以前の落ち着いた色合いもすてきでしたが,現在のパステル調も良いなあ.

そう言って頂けると手間をかけてリニューアル(というほど大袈裟ではありませんが…)
した甲斐があります。
小生も前のグレー系の落ち着いた色合いが気に入ってはいましたが、ZAQのレンタル掲示
板の標準仕様のままで、何か芸が無いように感じていました。

: ロシアというと,どちらかといえば重苦しい印象があります(Шостакович な
: どを愛聴しているせいか?)が,そんな印象を吹き飛ばすような書込を楽しみにしており
: ます.

確かに冷戦時代に育った小生らの年代では、「ソ連」のイメージが先行して、「強制収容
所」とか「密告社会」というような重苦しい印象があるのですが、実際にロシア人と付き
合って見ると、連中の本性は「ラテン系」ではないかとさえ感じることが多いです。

特に現地の結婚式などを見ると、皆さん本当に芸達者というか、ロシア人のパフォーマン
スの凄さには驚かされます。それでいて、決して悪酔いしての大騒ぎのような無粋なこと
はなく(二次会、三次会となると保証の限りではありませんが)、一人ひとりが「立派な
役者」です。

冬期は寒い北国であることは間違いないのですが、ロシアの「底抜けの明るさ」の意外性
に、「南の国」かと勘違いするぐらいです。
No.376 Re2: メルカトル図法 ニジェガロージェッツ [2004/07/27(火)01:18:07]
No.374 ハラ-シヤ バーダ さん、排他的経済水域についての面白いデータをご紹介頂き
、有難うございました。

日本では「国連海洋法条約」に沿って、沿岸12海里(約22キロ)以内が領海、200海里(
約370キロ)を排他的経済水域と規定しているようですが、これは国によって違うようと
いうことを聞いた事があります。
ロシアの場合も、領海=Территориальные воды は12海里、
排他的経済水域=Исключительная экономическая зона
 は200海里のようです。
http://www.glossary.ru/cgi-bin/gl_sch2.cgi?RSlwwoyuwogr;t:l!iuk:
 
: 排他的経済水域 単位1万平方キロ
: 日本    451(海保の調査では447)
: 旧ソ連   449(実行支配している領域で北方領土を含む)
: 北方領土を減らすと 420万平方キロ前後。またこれはバルト3ヶ国も含む。

ソ連解体で失った水域はバルト3国沿岸のほかに、黒海と(ウクライナ・グルジア)、カ
スピ海(アゼルバイジャン・カザフスタン・トルクメニスタン)の大部分ですか。

ロシアには長大な北極海沿岸の排他的経済水域があるのですが、日本のそれに比べて、意
外に小さく思うのは、やはりメルカトル図法で考えてしまうからでしょうか。(笑)

: 私が面白く感じる地図は正距方位地図でしょうか。メルカトル図法に見慣れていると日本
: の東
: にはカリフォルニアだけど実際はハワイ、しかしハワイの西に日本はない。日本の西はイ
: ンドー
: イランのように見えるが、実際はインドータンザニア。

東京の北西が、大体
ウラン=ウデ、ノヴォシビルスク、ヴォルゴグラード、イスタンブール、トリポリ
の線になるのですが、感覚で頷けるのはウラン=ウデぐらいで、確かに面白い地図です。
日本を中心とした正距方位地図では、極端に歪んだ南アメリカが印象的です。
参考: http://www.kaiho.mlit.go.jp/shitugi/faq/faq15.html
No.377 メルカトル図法の落とし穴 господин Ондрей Заков [2004/07/27(火)16:27:15]
メルカトル図法の特徴は、経線と緯線で方眼を形成する表示法に
ありますね。これだと、任意点から見た真東、真西は同緯度上に
あるかの如くに思われますが、実際に経線と緯線が直交するのは
赤道上のみ。従って、任意点での「地球の裏側」は赤道を隔てた
領域となる訳ですが、これも、球体を経線・緯線という二元的な
概念にて表現しているがゆえの妙味ですね。

……などと考えていたら、立体座標を巡る数学の試験で困憊した
忌まわしき高校時代を思い出してしまいました(滂沱)
No.378 「はじめてのニジニノブゴロド」を読んで господин Сомпин Сомринович Пражний [2004/07/31(土)00:54:31]
「前編」
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/nizhniy-kobe/nizhny1.htm
から「ニジニ・ノブゴロド国立言語大学」のリンクを辿ったら,本文以外のメニューが総
て「漢字」になってしまいました(わはは).困ったものです.
それはさておき,「中編」でのキオスクに関する話など,思わずニッコリですね.
No.379 Re2: 教えて下さい。 knockeye さん [2004/07/31(土)23:23:21]
ご無沙汰です。
: #knockeyeさん、お断りなく貴サイトをご紹介させて頂きましたが、どうぞご理解の程、
: 宜しくお願い致します。

こちらこそ、たまに立ち寄るだけで申し訳ありません。
あの地図も、西半分を作らなければです。(^^;)
No.380 まとめレス3題 ニジェガロージェッツ [2004/08/01(日)01:43:06]
今晩は。最近平日は昼夜ともに時間が取れず、亀レスの上まとめレスの形で恐縮です。

No.377 Ондрей Заков さん

: メルカトル図法の特徴は、経線と緯線で方眼を形成する表示法に
: ありますね。

確かに方眼で形成された図法は「わかりやすい」ですね。
さて、メルカトル図法で正しく表されているのは角度ですが、このことから航海用に適し
ていると言われ、海図に広く使用されているようです。
日本でメルカトル図法の世界図が最もポピュラーなものの一つになった背景は、周りを海
洋で囲まれた国柄がゆえんでしょうか??


No.378 Сомпин Сомринович Пражний さん

拙「はじめてのニジニ・ノヴゴロド」へのメッセージ有難うございます。
「もの書き」は不得手で地名を列挙しただけのような拙文に目を通して下さって、お恥ず
かしい限りです。
書きながらも、例えば「ニジニノヴゴロド城塞」を、一般にはモスクワのソ連やロシア政
府を表す「クレムリン」と同一の表記としたことに違和感もあったのですが、ロシア語で
はともに“Кремль”と書かれていることから、敢えて歴史的建造物「クレムリン」
はモスクワだけではないことを強調する観点から、「クレムリン」としました。

: 「ニジニ・ノブゴロド国立言語大学」のリンクを辿ったら,本文以外のメニューが総
: て「漢字」になってしまいました(わはは).困ったものです.

確認しましたが、小生のマシンでは正常に表示されました。エンコードを見ると「キリル
言語(Windows)」でしたので、一度お試し下さい。

: それはさておき,「中編」でのキオスクに関する話など,思わずニッコリですね.

現地のキオスクには随分とお世話になりました。特に旅情を掻き立てるのはCDや音楽テー
プを売っているキオスク。結構大きな音でメロディーを流していたりして、「今かかって
いるのを頂戴」とか言って度々衝動買いしたことを思い出します。今でもその時に買った
歌謡曲を聴くと当時を懐かしく想い出します。
#「キオスク」ではなく、「キヨスク」とすべきかも揺れるところです。


No.379 knockeye さん

お久ぶりです。
こちらの勝手なリンク出しを大目にみて頂いて本当に助かります。
小生も貴サイトへはちょくちょくお邪魔させて貰っております。実際に現地を走破された
紀行文には教わる事が数多く、いつも勉強になります。これからも面白いお話、お聞かせ
ください。
No.381 お久しぶりです YSK さん [2004/08/10(火)22:28:00]
こんばんは、いつもお世話になっております。

さて、たいへん遅くなってしまって申し訳なかったのですが、
「はじめてのニジニ・ノヴゴロド」を興味深く拝見いたしまし
た。都市を美しく彩る通りや建造物などの描写が巧みで、臨場
感のある文章になっているように思いました。

写真を拝見しますと、いっそうニジニ・ノブゴロドの街のたお
やかさ、鮮やかさ、そして穏やかさが実感できますね。方角に
関係なく、建物の多くが道路に「顔」を見せているのは、都市
としての美学を感じるところです。日当たり重視の日本では、
通りの南側の建物がしばしば通りに「背中」を向けていますね
・・・。

今後とも、地域の姿を感じさせる文章や、ロシアの地理雑学の
数々を期待しております。
No.382 都市としての美学 господин Ондрей Заков [2004/08/11(水)07:46:09]
>都市としての美学

日本より高緯度での展開度が大きなロシアでは、燃料事情にも
鑑みるに、日照は切実な問題かと思われます。そうした状況で
かかる美学が存在するとなると、これは文化の域ですね。
No.383 都市のうらおもて ニジェガロージェッツ [2004/08/12(木)02:00:14]
こんばんは。ロシア再訪を夢見て最近また夜間アルバイトをはじめました。その影響で、
お返事レスを差し上げるのが遅れがちになりますが、どうかご容赦の程。

No.381 YSK さん
こちらこそ、いつもお世話になっております。
「地域文」の達人YSKさんに拙「はじめてのニジニ」をお目通し頂き、全くお恥ずかしい
限りです。
何分にも7〜8年前を回想しながら、同じ時期の2月に書き始めたのですが、発表が夏まで
ずれ込みました。
季節外れの雪の積もった写真を笑ってやって下さい。

: 写真を拝見しますと、いっそうニジニ・ノブゴロドの街のたお
: やかさ、鮮やかさ、そして穏やかさが実感できますね。方角に
: 関係なく、建物の多くが道路に「顔」を見せているのは、都市
: としての美学を感じるところです。日当たり重視の日本では、
: 通りの南側の建物がしばしば通りに「背中」を向けていますね
: ・・・。

確かに言われてみればそうかもしれません。
ただ、拙文でご紹介させて頂いたのはニジニの都心や繁華街のことですので、住宅地に行
けばそうでもないとは思います。

特にソ連時代に建てられた集合住宅は大量生産された建材を用いた画一的なものです。
1995年のサハリンのネフチェゴルスク地震で「フルシチョフカ」と呼ばれる4〜5階建タイ
プの集合住宅がトランプで出来た家が倒れるが如くあっけなく倒壊した事で、当時は日本
の報道番組にも紹介されていました。
また、ニジニで住んでいた9階建ての「大学寮」は写真にも出していますが、それと同じ
建物を何度か目にしたことがあります。まるで同じ図面で施工したのでは??と思うほどで
す。
こういった地域では「美学」より「方角」を優先しているかもしれません。
No.382にてザーコフさんが仰るように日照は切実な問題なのでしょう。
  
さて、話を繁華街に戻しますが、表通りには方角に無関係に建物の「顔」が面しています
が、一方でその「裏の顔」は如何でしょうか?

ニジニの都心の場合は、裏通りも明るく穏やかな表情のところが多いですが、地方都市の
カザンやヤロスラヴリでは、表通りの華麗さに比べ「ウージャス(酷い)」だか「ナルマ
ーリナ(普通だ)」だか知りませんが、結構廃れたところを目にしました。

No.382 Ондрей Заков さん
: かかる美学が存在するとなると、これは文化の域ですね。

ロシアの都市は「写真になるところ」には深い文化を感じますが、案外「一点豪華主義」
のようなところはあるかも知れません。
とはいえ、モスクワやペテルブルクとなると、規模が違いますが・・・。
No.384 Re: 都市のうらおもて アファナーシー=ニキーチン さん [2004/08/13(金)01:38:30]
: とはいえ、モスクワやペテルブルクとなると、規模が違いますが・・・。

ペテルブルクにしても、一歩中庭(ドボール)に入ればウージャスですよ(苦笑)。

日本人在住者から見るとロシア人の住宅は日当たりや水周りが軽視されすぎです。
現在帝政時代の古い家に部屋を借りてますが、小さな二重窓しかないため、南向きなのに
暗いのは理不尽です。
古い住宅の場合、暗い上に不衛生で殺風景なドボール側に面した部屋も多いのですが、と
ても日本人には住めるものではありません。
ただその反面、分厚いレンガ造りで開口部が小さいために熱を通さず(通気性は悪いです
が)、夏でも室内気温が上がりにくいのはメリットと言えるかもしれません。
皮肉にもロシアの住宅で「通気性」を実感するのは冬の木製窓枠。お決まりの窓の「目張
り」、おそらくニジェガロージェッツさんも寮で経験なさったのでは?

雑談のような話ですいません。肌寒いサンクトペテルブルクからでした。 
No.385 Re2: 都市のうらおもて ニジェガロージェッツ [2004/08/14(土)12:00:47]
No.384 アファナーシー=ニキーチン さん
ロシアの住宅状況についてのご教示有難うございます。

: ペテルブルクにしても、一歩中庭(ドボール)に入ればウージャスですよ(苦笑)。

やはりそうでしたか。小生はあの殺風景なドヴォールを見るとロシアを実感するのですが
、あの空間は日本語の「中庭」とは全く趣を異にした雰囲気がありますね。
かといって「ゴミ捨て場」でもなければ「廃材置き場」でもないのですが、一部にそのよ
うな利用箇所もなきにしもあらずといったところでしょうか。

: 日本人在住者から見るとロシア人の住宅は日当たりや水周りが軽視されすぎです。
: 現在帝政時代の古い家に部屋を借りてますが、小さな二重窓しかないため、南向きなのに
: 暗いのは理不尽です。

確かにロシアの住居には窓が少なく感じられるかもしれません。
大体が石材を積み上げて建てたもので、構造的に大きな開口部が取れないのか、また二キ
ーチンさんの仰るように熱通過率の大きい開口部を小さくすれば、室内温度が保ちやすい
メリットもあり、案外あの国の「文化」に即しているのかも知れないですね。

: 皮肉にもロシアの住宅で「通気性」を実感するのは冬の木製窓枠。お決まりの窓の「目張
: り」、おそらくニジェガロージェッツさんも寮で経験なさったのでは?

懐かしい〜!「窓の目張り」もちろん経験しました。但し外窓の目張りだけでしたが。
外壁は50〜60センチ位の厚みがあり、外窓と内窓の間の空間は、冬期には「冷蔵庫」の役
目も果たしていました。(笑)
部屋には冷蔵庫もありましたが、しばしば故障する上に、稼動している時は運転音が非常
にうるさい代物でした。
馴れないうちは、夜中に突然動き出す冷蔵庫のコンプレッサーの騒音に驚いて目を覚ます
日々でした。
No.386 はじめまして 西牟田靖 さん [2004/08/20(金)03:10:08]
ライターをやっている西牟田という者です。サハリンの人口を調べていて貴頁にたどり着
きました。ロシアには4度行ったことがあります。
92年末の日ソ旅行社のツアー。ハバロフスク、イルクーツク、モスクワ、ペテルブルグ
。
2000年はサハリンへ原付きバイクを持ち込んでの完全自由旅行(宿泊は野営)。
2002年はウラジオストック。飛行機の乗り換えのみ。
2003年はサハリン経由でユジノ・クリリススク。

とそんな感じです。ときどき顔を出させていただくかも知れません。よろしくお願いしま
す。
参考: http://www.doblog.com/weblog/myblog/5973
No.387 Re: はじめまして ニジェガロージェッツ [2004/08/22(日)00:17:41]
No.386 西牟田靖 さん、はじめまして。ようこそお越し下さりました。

サハリンの人口についてお調べの由、拙ページで何かお役に立ちましたでしょうか。

ご披露頂いたロシアのご訪問歴からすると、極東を主眼に置かれていらっしゃるように察
しますが、実は小生も元はと言えばサハリンを中心とした「極東派」でした。「日本の国
境の向こうを見てみたい」というのがそもそもの始まりでした。
89年、90年、94年・・・サハリン
91年・・・ハバロフスク、ウラジオストク、イルクーツク
92年・・・ウラジオストク
と、5〜8日程度のパックツアーばかりですが、既に10年以上も前の話で、その後の現地の
変貌振りを聞く度に再訪したい衝動に駆られますが、実現には至っていません。

また、ご紹介頂いた西牟田さんのサイト「斜め下45度」、楽しく拝見させていただきま
した。
まだ全部を拝見できていませんが、「ロシア・サハリン」のページはスーパーカブでサハ
リン1000キロを縦断されたご苦労もさることながら、テーマ写真毎に面白いエピソードが
添えられ、興味が尽きません。
特に、白浦の高台からオホーツク海を背景に撮影した鳥居の写真は見事ですね。感動しま
した。

サハリンの鳥居では、かつて豊原の樺太神社に大鳥居がありました。戦後サハリンに初め
て日本の取材陣が入ったとされるのは、丁度東京オリンピックが開催中だった1964年の秋
にNHKの取材班だったと記憶しますが、その時にはまだ大鳥居が残っていました。1965
年にNHKより「シベリア」という書籍が出版されましたが、写真入りで紹介していまし
た。これがいつ頃撤去されたのか存じませんが、今でもあれば日本人の観光名所になって
いたことでしょう。

ところで、貴「真岡と呼ばれた街へ」でホルムスクの1995年人口を66,772人とご紹介され
ていますが、これはホルムスク市のみのデータではなく、周辺のホルムスク地区を含めた
データのようですね。

: ときどき顔を出させていただくかも知れません。よろしくお願いします。

こちらこそ、これからもどうぞ宜しく御願い申し上げます。
No.388 水の都 господин Ондрей Заков [2004/08/22(日)15:57:05]
関東圏では、先刻「水の都・サンクトペテルブルク紀行」という
TBSの番組が放映されました。田中美奈子・竹内海南江の女優
御二方が、エルミタージュ美術館や市場などを訪ねる内容ですが、
この街が「水の都」と形容される所以が漸く得心できた映像美が
印象的でしたね。

様々な食材を摘み食いした市場における品揃えの豊かさを見ると、
別の意味で「行列ができる」旧ソ連時代の経済状況と比べ隔世の
観がありますが、それだけ経済が安定したという事なのでしょう。
世界でもここだけとされるウォッカの仕込みと試飲が体験できる
博物館は、飲兵衛としては食指が動く内容でした。とは言っても
日々愛飲する清酒の感覚で煽ったら昇天間違い無し……と思えば
出演者は中々の飲みっ振り。ハラショー。

伯爵付のコックが、老いた主君の為に確立した肉料理が、伯爵の
名を取って広く普及したという「ストロガノフ」の薀蓄は、宛ら
50ヘェというところでしたね。
No.389 Re: 水の都 ニジェガロージェッツ [2004/08/23(月)00:14:32]
No.388 Ондрей Заков さん

: 関東圏では、先刻「水の都・サンクトペテルブルク紀行」という
: TBSの番組が放映されました。田中美奈子・竹内海南江の女優
: 御二方が、エルミタージュ美術館や市場などを訪ねる内容ですが、
: この街が「水の都」と形容される所以が漸く得心できた映像美が
: 印象的でしたね。

これは残念、見逃してしまいました。と思いきや、こちら関西圏では放映されていません
でした。
後日の放映(TBS系の毎日放送)を見逃がさないようにしましょう。情報有難うござい
ました。

: 様々な食材を摘み食いした市場における品揃えの豊かさを見ると、
: 別の意味で「行列ができる」旧ソ連時代の経済状況と比べ隔世の
: 観がありますが、それだけ経済が安定したという事なのでしょう。

小生がロシア在住当時の96〜97年頃には、ソ連解体期の「物のない商店」と「長蛇の行列
」は既に消滅して数年を経ていました。
ソ連時代にはニジニ・ノヴゴロド(当時はゴーリキー)でも物不足は深刻だったようで、
比較的物資が安定して供給されていたモスクワへ向かう列車はまるで「買い物列車」の様
相を呈していたと市民から聞きました。「物のない商店」を生んだ背景には物流体制の破
綻もありましたが、一方では「低価格で供給されて、よく売れていた」のも事実だったよ
うで、今(96年当時)商品が並んでいるのは「高価で買う人が少ないからだ」と皮肉った
見方を庶民はしていました。
No.390 はじめまして オリンピックマニア さん [2004/08/23(月)16:21:18]
ちょっとオリンピックで気になる選手がロシアのUSSR出身になってるんですけどどこ
の都市ですか??
No.391 Re2: はじめまして 西牟田 さん [2004/08/23(月)17:29:47]
>サハリンの人口についてお調べの由、拙ページで何かお役に立ちましたでしょうか。

大日本帝国を巡る旅というのをここ4年ほど続けていまして、このたびそれをまとめたも
のが書籍として出版されることになりました。サハリン以外には台湾、韓国、北朝鮮、旧
満州、ミクロネシア。元領土にはあたらないですが竹島のことも書きました(北方領土も
訪れましたが、本のまとまりが悪くなるので削除しました)。その書籍の中に使用させて
いただきました。

> ご披露頂いたロシアのご訪問歴からすると、極東を主眼に置かれていらっしゃるよう
に察しますが、実は小生も元はと言えばサハリンを中心とした「極東派」でした。「日本
の国境の向こうを見てみたい」というのがそもそもの始まりでした。

サハリンを訪れた動機はまったく同じです。対馬から釜山、石垣から台湾というのも同じ
動機です。

>また、ご紹介頂いた西牟田さんのサイト「斜め下45度」、楽しく拝見させていただき
ました。

恐れ入ります。

> まだ全部を拝見できていませんが、「ロシア・サハリン」のページはスーパーカブで
サハリン1000キロを縦断されたご苦労もさることながら、テーマ写真毎に面白いエピソー
ドが添えられ、興味が尽きません。

興味が多岐にわたっているので支離滅裂な内容となってしまいました。

> 特に、白浦の高台からオホーツク海を背景に撮影した鳥居の写真は見事ですね。感動
しました。

この鳥居の前に立ったとき、僕も感動しました。元日本の領土というテーマで旅をしよう
と思い立ったのはこの鳥居を目にしたからです。まもなく出版の元日本領土の書籍のカバ
ーにはこの写真を使用する予定です。

貴頁のPHOTOギャラリーに掲載されているトマリ(泊居)の二つの鳥居の写真感動しまし
た。神明鳥居が高台に並んでいるなんて!!次サハリンに行くときはウグレゴルスク(恵
須取)とあわせて見にいきたいですね。

>サハリンの鳥居では、かつて豊原の樺太神社に大鳥居がありました。戦後サハリンに初
めて日本の取材陣が入ったとされるのは、丁度東京オリンピックが開催中だった1964年の
秋にNHKの取材班だったと記憶しますが、その時にはまだ大鳥居が残っていました。1965
年にNHKより「シベリア」という書籍が出版されましたが、写真入りで紹介していまし
た。これがいつ頃撤去されたのか存じませんが、今でもあれば日本人の観光名所になって
いたことでしょう。

知りませんでした!でももし今も鳥居が残っていて、僕がそれを見ていたら、元日本の領
土の旅をしようとは思わなかったかも知れません。ところでユジノ・サハリンスクの博物
館前の狛犬ですが、靖国神社と同じタイプなんですね。この前気がつきました。

>ところで、貴「真岡と呼ばれた街へ」でホルムスクの1995年人口を66,772人とご紹介さ
れていますが、これはホルムスク市のみのデータではなく、周辺のホルムスク地区を含め
たデータのようですね。

すいません。データが曖昧で。
ご指摘ありがとうございます。
No.392 ロシアのUSSR出身? ニジェガロージェッツ [2004/08/24(火)02:01:18]
No.390 オリンピックマニア さん、はじめまして。

ロシアのUSSR出身のオリンピック選手ですか?
現在のロシアにある89連邦構成体で、USSRという略称になるものはありませんので、
これは「ソ連」を意味するものと推測します。
都市名でも、「ウスリースク」Ussuriysk が近いかも知れませんが、それをUSSRとす
るのは苦しいでしょう。

実際の選手の名前(アルファーベット)でも解れば、検索サイトで出身地の情報に辿り着
く事が出来るかもしれませんが・・・。
No.393 Re: ロシアのUSSR出身? オリンピックマニア さん [2004/08/24(火)14:26:40]
そうなんですか。ソ連て事なんですか。オリンピックの公式サイトでUSSRて書いてあ
ってStanislava KOMAROVAて選手なんですけど、自分で検索してもロシア語とかで出てき
たりして全然読めないんです(笑)
No.394 国境を越える旅のロマン ニジェガロージェッツ [2004/08/25(水)01:05:21]
No.391 西牟田 さん、こんばんは。レスをお返しするのが遅れて恐縮です。

大日本帝国を巡る旅ですか。なんともスケールの大きい、そして奥の深いテーマですね。
是非拝読したく、今から貴書籍のご出版が待ち遠しい限りです。

: サハリンを訪れた動機はまったく同じです。対馬から釜山、石垣から台湾というのも同じ
: 動機です。

国境線を跨ぐ旅には、ロマンがあります。宗谷海峡だけでなく、朝鮮海峡と台湾へも行か
れたとは、感服です。
「海外旅行」といえば、ロシアで例えれば成田からモスクワへ飛行機で直行するのが多い
のですが、それだといきなり首都から首都へ移るために、何か味気ないものがあります。

小生の場合は初めての国外旅行が1989年に稚内発のソ連統治下のサハリンへの旅でした。
しかし、その落差は今の北海道―サハリンの比ではなく、ペレストロイカの時代だったと
はいえ、当時はまだガチガチの共産主義のソ連の片田舎とバブル経済絶頂期の日本。人種
・言語だけでなく、社会体制、経済状況、インフラなどが全く違うまさに別世界でした。
平成日本の影響などはまず見当たらず(ホルムスクの合弁レストラン「くしろ」は唯一の
例外だったでしょうか)、時々顔を出す「日本の影」と言えば、樺太庁博物館や王子製紙
真岡工場など、「戦前の顔」でした。
この時代のサハリンに訪れることが出来たのは幸運でした。

: 知りませんでした!でももし今も鳥居が残っていて、僕がそれを見ていたら、元日本の領
: 土の旅をしようとは思わなかったかも知れません。ところでユジノ・サハリンスクの博物
: 館前の狛犬ですが、靖国神社と同じタイプなんですね。この前気がつきました。

戦前の樺太の写真集は(恐らくご存知とは思いますが)国書刊行会から数冊出版されてい
ました。今でも大きな図書館に行けば置いているかも知れません。
前稿でNo.387触れたNHK出版の「シベリア」も図書館で見ました。

なお、樺太の人口データについては、他板ですが、実はグリグリさんの「都道府県市区町
村落書き帳」に「国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935」と題して、データを書き込
んだことがあり、今でもその時の拙稿がアーカイブ化されて残っています。
もし戦前期のデータをお持ちでなければ、何かのご参考にでもなれば幸甚です。

下の参考欄に「都道府県市区町村」のリンクを出しておきます。
行き方は
都道府県市区町村 > 
落書き帳アーカイブス > 地域別カテゴリー(海外) > 樺太(サハリン)・千島列島ATLAS
の順に辿ってみて下さい。
参考: http://www.glin.org/prefect/index.html
No.395 Re2: ロシアのUSSR出身? ニジェガロージェッツ [2004/08/25(水)01:35:02]
No.393 オリンピックマニア さん、お知らせ頂いた選手のお名前から検索してみました。

: Stanislava KOMAROVAて選手なんですけど、自分で検索してもロシア語とかで出てき
: たりして全然読めないんです(笑)

この選手ですね。
http://www.ozerki.ru/pressa/komarova-2002-01.html
1986年生まれの若い選手ですが、どうしてUSSRとなっているのか謎です。

ロシアの水泳選手のチャンピオン・タイムレコーダの記事に出身地が書いてありました。
それによると、モスクワのご出身のようです。
http://scripts.online.ru/sport/news/00/03/02_327.htm
No.396 ありがとうございます☆★ オリンピックマニア さん [2004/08/25(水)02:17:04]
凄くうれしいです!!ロシア語が読める気配がないのがショックですけど↓でも少しは選
手の情報が分かって嬉しいです☆何かロシアでモデルもやってるらしいんですけどオリン
ピックでメダルも獲って凄い選手ですよね(><)
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