ニジェガローツキー・ドヴォール掲示板 ヤールマルカ

過去ログ8

過去ログ7 へ 記事番号No.593〜668 2014 年 3 月 18 日 更新

No.593 掲示板が移転しました ニジェガロージェッツ [2006/11/01 (水) 23:42]
No.588にて、旧掲示板「自由広場ヤールマルカ」が閉鎖になる旨をお書きしましたが、
10月31日を最後に予定通り閉鎖になりました。
8月31日でZAQとの契約が切れましたので、2ヶ月の猶予を頂いていたことになりま
す。ZAQさんに感謝です。

旧「自由広場ヤールマルカ」には、皆様より多くの話題をお寄せいただき、「見本市」
を賑わせることが出来ました。心より御礼申し上げます。
この度、新たに「掲示板ヤールマルカ」として再出発することになりました。既に旧
板は閉鎖されて閲覧できなくなっていますが、旧板にNo592まで頂いた記事はすべて過
去ログ7にお移ししておりますので、ご覧下さい。
http://dvor.jp/yarmarka07.htm

これからも今までに変わらぬご愛顧のほど、宜しくお願い申し上げます。
No.594 リンク許可のお願い める さん [2006/12/09 (土) 14:14]
ニジェガロージェッツさんこんにちは。
ロシアンぴろしきに常駐しているめると申します。
最近はロシぴろでニジェガロージェッツさんのお名前を拝見する事がないようですが
私は個人的に露国都市往来記を頻繁に利用させて頂いているヘビーユーザー(笑)であ
り、ニジェガロージェッツさんに大変感謝しておる次第です。

私が管理を引き継ぎました「ウラジオストク日本人会」のサイトにこちらのサイトを
リンクさせて頂いてよろしいでしょうか。
会員と旧会員や公館関係以外のロシア関係のサイト様はリンクしだすときりがなくな
るのでほとんどしないのですが私自身がとても役に立ってありがたいと実感しており
ますので是非紹介したいと思いました。
公の顔があるとはいえ会員・旧会員の親睦会のような小規模サイトですのでニジェガ
ローツキーさんのサイトへのヒットに貢献できるとは思えず心苦しいのですが・・

どうか宜しくお願い致します。
No.595 Re: リンク許可のお願い ニジェガロージェッツ [2006/12/10 (日) 17:03]
めるさん、はじめまして。
管理人のニジェガロージェッツです。拙「露国都市人口往来記」をご愛顧下さり、ま
た、うれしいお言葉を賜りありがとうございます。数字ばかりの無機質なサイトだけ
に、恐縮です。
小生はロシぴろさんの掲示板へはもう2年以上ご無沙汰を重ねて失礼しておりますが、
掲示板をはじめ、ロシぴろさんのサイトは時折拝見しております。音楽CDを何度か
ご注文させていただいたり、お世話になっております。
ロシぴろさんにはロシア在住の皆様をはじめ、ロシアを相手に生活をしておられる達
人が多くご参加され、新鮮な生きたロシア情報満載で、感服しております。

めるさんはウラジオストクにご在住ですか。ロシぴろさんにてウラジオ発めるさんの
日記を面白く拝見させていただきました。
地理的なところでは、中露国境のハンカ湖についての記述で、琵琶湖の6.5倍の面積
4190km2を誇りながら、水深が浅いために貯水量では18.3km3と、琵琶湖の27.5km3に
及ばないというデータをご紹介いただきました。
日本周辺の地図を眺めていて大陸に目をやると、まず飛び込んでくるのがあの巨大な
ハンカ湖です。それが琵琶湖より水量が少なく、よって汚染が酷いというのは意外で
した。

: 私が管理を引き継ぎました「ウラジオストク日本人会」のサイトにこちらのサイト
: をリンクさせて頂いてよろしいでしょうか。

リンクのお申し出ありがとうございます。
喜んでリンクをお受けしたく存じます。貴「ウラジオストク日本人会」のページは下
記のアドレスでよろしかったでしょうか。
http://www.geocities.jp/urajionihon/top.htm

もし、差し支えがなければ、相互リンクを希望しますが如何でしょうか?
こちらこそ、どうぞ宜しく御願い申し上げます。
No.596 ありがとうございます める さん [2006/12/12 (火) 15:00]
ニジェガロージェッツさん、この度はリンク許可ありがとうございます。
早速リンクさせて頂き、掲示板にリンク追加の案内をしました。といっても何の凝っ
たレイアウトもないそれこそ無機質なページでお恥ずかしいのですが(汗)

日本人会サイトは・・恥ずかしついでにもしよろしかったらリンクしてやって下さい、
ページはこちらでお願いできますか。
http://www.geocities.jp/urajionihon/index2.html

ハンカの汚染は以前から沿海州の懸念事項でありますがアムール川などと同じく2国
間に渡っている為、中国側の意識に頼る部分も多く上手く行っていないようで残念で
す。
ところでこの夏に、私の家族が長い間住んでいたマガダン州の北の村からお客がやっ
てきて我が家に滞在しました。
その村はウラジオあたりでは誰も知らないというかマガダンでもあまり知られていな
い超僻村で、今では廃れてしまい最盛期の半分程度の人口になってますます忘れ去ら
れています。
ところが私がこちらのサイトでその村の人口を調べて「去年の人口は2002人!」
と言ったところ、その2人というのは何だ、なんでそんなところまで日本人がわかる
のか、どういう日本人なんだ、スパイじゃないのか、と大騒ぎになりました。
ニジェガロージェッツさんはご本人のご存知ないところでいつの間にかスパイ容疑を
かけられていたわけです(笑)

この話をいつかニジェガロージェッツさんにお聞かせしたいとずっと思ってましたが
やっと願いが叶いました。
どうか寿司バーやイタリヤ人の友人などにご注意下さい。

ただただウラジオに住んでおるだけでロシア語もおろおろの私ですのであまり役に立
つような事は無いと存じますが、もし何かございましたら遠慮なく日本人会でもロシ
ぴろさんでもご連絡下さいませ。
これからもニジェガローツキー・ドヴォールさんが発展されますように願っておりま
す。 
No.597 リンク御礼 ニジェガロージェッツ [2006/12/13 (水) 00:02]
めるさん、貴「ウラジオストク日本人会」より拙サイトへのリンク有難うございます。
印象に残る紹介文も併記していただき、改めて気持ちを引き締めねばと思いました。

貴サイト、「お恥ずかしい」とはとんでもない。ウラジオストクでのご生活やご活動
が伝わる、本当に貴重な情報だと感じます。
拙サイトからもリンクを張らせていただきました。若干の紹介文も添えていきました
が、ご都合が悪いようでしたらご一報ください。
謹んで貴「ウラジオストク日本人会」の更なるご発展を祈念致します。

: ニジェガロージェッツさんはご本人のご存知ないところでいつの間にかスパイ容疑
: をかけられていたわけです(笑)

恐ろしいことです(笑)
まあ、人口データなどは国家の統計局がネットや出版物で公開しているものばかりな
ので、「スパイ」などとはとんでもないことですが。
それにしても、今度ロシアへ行く機会があれば、入国審査はちょっと緊張しそうです
ね。

: どうか寿司バーやイタリヤ人の友人などにご注意下さい。

ご忠告有難うございます(爆)
スシは「臭くて不味い食い物」だと認識して以来、苦手にしており(…不味いだけな
ら食わなければ害はないのですが、酢臭は非常に傍迷惑です)、またイタリア人の友
人も居りませんので、心配はございません。

 
: ただただウラジオに住んでおるだけでロシア語もおろおろの私ですのであまり役に
: 立つような事は無いと存じますが、もし何かございましたら遠慮なく日本人会でも
: ロシぴろさんでもご連絡下さいませ。

お気遣い有難うございます。
訪露・訪「浦」の機会があれば、是非ご連絡させていただきたく存じます。
ウラジオストクへは拙フォトギャラリーにもありますが、ソ連末年の1991年と新生ロ
シア誕生直後の1992年に訪れたことがありますが、うちの写真はもう「歴史」の範疇
に入りますね。何せ「ミンスク空母」が写っているぐらいですから。
#因みに2度とも宿泊は「アムールスキー・ザリーフ」でした。

機会があれば国際都市に変貌したウラジオストクを見てみたく思います。
No.598 新・クラスノヤルスク地方の誕生 ニジェガロージェッツ [2007/01/01 (月) 19:54]
いよいよ2007年に突入です。旧年中は拙「ニジェガローツキー・ドヴォール」をご愛
顧いただき、誠に有難うございました。

さて、新年早々ですが、ロシアでは本日付で「クラスノヤルスク地方」と「エヴェン
キ自治管区」、「タイミール自治管区」が合体し、新しい『クラスノヤルスク地方』
が誕生しました。
面積にして234万平方キロに及ぶ、日本の6.2倍の広さを持つ巨大自治体の誕生ですが、
ロシアではサハ共和国310平方キロに次いで2番目の広さです。

今後は、今年7月1日に「カムチャツカ州」と「コリャーク自治管区」の合体による
『カムチャツカ地方』の誕生が予定され、更には「イルクーツク州」と「ウスチ=オ
ルダ・ブリヤート自治管区」との統合のお話もあるようです。

取り合えず、拙サイトでは新『クラスノヤルスク地方』の誕生に関する更新作業を行
いました。

それでは、今年も拙サイトを宜しくお願い申し上げます。
No.599 人口データのお礼とお問い合わせ 豆男 さん [2007/01/11 (木) 00:01]
知人から紹介されて本サイトのデーターをロシアでの車関係の仕事に活用させて頂き
大変に重宝しています。他に追随するものが無いので重宝以上の存在です。仕事柄デ
ータの収集や整理は好きな方ですが入手の努力に加えてどのように整理しているのか
興味深い。

今回初めて書き込みしたのは遅ればせながらニジェガロージェッツさんへデーター利
用へのお礼とご存知であれば教えて頂きたいロシアのサイトの問い合わせです。

以前プリントした物を見たのですがサイト名は不明。内容はロシアに於ける地域別の
車両保有台数です。ロシアの地図が表示されていて地域にカーソルを合わせると其の
地域での1000人当たりの車両保有台数が示される仕組みになっています。

ニジェガロージェッツさんのご専門とする人口調査とは少し異なりますが色々な資料
を調べる過程でもしかしたらご存知ではないかと問い合わせをしております。

自分で探せば良いのですがロシア語は初歩的なので偶々開いたページを推測しながら
眺める程度で探し物をする事は到底出来ませんので宜しく。
No.600 人口データの整理 ニジェガロージェッツ [2007/01/14 (日) 16:15]
豆男さん、はじめまして。管理人のニジェガロージェッツです。
ご丁寧なご挨拶、有難うございました。

ロシアの人口データのみに特化したような拙サイトが、御仕事に少しでもお役に立っ
ているとお聞きし、サイトの運営を続けていることへの喜びを感じる一方で、しっか
りとしたデータの提示を心がけねばと、身が引き締まる思いです。

データの収集につきましては、物好きが嵩じて、例えば日本の各県において、市町村
の合計人口が県人口と一致するように、ロシア各地の人口データが纏められないかと
データの収集を始めたのがきっかけでした。
ところが、ロシアの各州の内部の行政区画が日本の市町村制度と違い、きわめて難解
なところがあり、それでも、データを集める上で、直轄市の人口と各地区人口および
閉鎖行政地域の合計が州の人口と一致すること、更に、州内の「市」および都市型集
落「町」の合計人口が、州の都市人口と一致することは、手掛りになりました。
日本の市町村と大きく違うのは、直轄市が「二重市域」とでも表現したくなる様な、
一般にその都市の人口として提示されている人口値と、直轄市行政区域内の人口が異
なる場合でした。

また、収集する人口データにおいてもロシア全体で同一の条件でのデータでなければ
意味がなく、これらがようやく満足に出てきたのが、2002年全ロシア国勢調査の結果
がネット上で公表された時でした。
後は国勢調査のデータを土台にして、以降の人口データの更新を行っているという程
度です。

: ロシアの地図が表示されていて地域にカーソルを合わせると其の地域での1000人当
: たりの車両保有台数が示される仕組みになっています。

それは興味深い内容ですね。
こちらでも心当たりを探してみたのですが、該当するデータを備えたページにはたど
り着きませんでした。
ただ、地図にカーソルを合わせてデータを提示する表現をとっているのは、国家統計
連邦局のサイトでよく見かけます。
形式としては、
http://www.gks.ru/gis/
にある各図です。

また、「ゴスコムスタット」のコーナーにもデータを提示する地図の一覧があります
が、
http://atlas.edu.ru/goskomstat/
こちらにも車両保有台数のものは見つけられませんでした。
今回はお役に立てずに申し訳ございません。
また何か見つけましたら、お知らせいたします。
No.601 人口データの整理 豆男 さん [2007/01/15 (月) 21:22]
ニジェガロージェッツさん、早速調査をしていただき誠に有難うございました。以前、
地域別の1000名毎車両保有台数とニジェガロージェッツさんの地域別人口数と掛け合
わせて地域別の保有台数を割り出す作業をしました。残念ながら全部の作業が終わっ
てはいませんでした。人口当たりの保有台数データーをどこかで見かけることがあれ
ば連絡をお願いいたします。
No.602 閉鎖行政地域一覧 こかたのちは さん [2007/01/30 (火) 14:21]
膨大な資料にびっくりしました。ニジェガコツキードヴォールさんのサイトの『閉鎖
行政地域一覧』のページにある『24メジゴーリエ地域』の建設は1995年です。
最も機密が高いそうですね。「17シハヌィ地域」の旧名は『ヴォリスクー7』です。
その他旧名がご存じないようでしたらhttp://geo.1september.ruをご覧になってもわ
かります。
No.603 Re: 閉鎖行政地域一覧 ニジェガロージェッツ [2007/01/31 (水) 00:28]
こかたのちはさん、はじめまして。
ロシアの地理サイトのご紹介、有難うございました。

実は、ご紹介の地理サイトは以前より存じ上げておりました。帝政ロシアやソ連時代
の古い行政区画の地図や、面積・人口データの一覧があったりして、非常に見ていて
も楽しいサイトですね。
拙「閉鎖行政地域一覧」のページは、昨年の6月に「位置状況」の項目を追加して更
新しておりましたが、この際の確認資料として、このページを参考にさせていただい
ておりました。
#「露国都市人口往来記」の参考サイトの一覧に 

http://geo.1september.ru 

を追加するのを失念しておりました。これはいけません(汗)

: 『24メジゴーリエ地域』の建設は1995年です。最も機密が高いそうですね。

「メジゴーリエ」については、ご案内のサイトにも、1995年建設と明記されており、
他のサイトでも同様の記述があります。ですが、「メジゴーリエ」の市名が与えられ
たのも同年のことで、旧名「ベロレツク15、16」と呼ばれていた時代はもっと古いの
ではとも考え、建設年を1995年と限定するのをためらっていました。
なお、別のサイト
http://www.mojgorod.ru/
にある「メジゴーリエ」のページでは、旧名を「ウファ105」とし、1999年より「ベ
ロレツク16」と紹介されています。
このあたりのぶれも気になるところです。
 
: 「17シハヌィ地域」の旧名は『ヴォリスクー7』です。

情報有難うございます。ご紹介のサイトを再確認しました。『ヴォリスク-17」と明
記していますね。ページを更新する際に空欄を埋めるのが抜けておりました。ご指摘、
感謝申し上げます。
No.604 閉鎖行政地域 こかたのちは さん [2007/01/31 (水) 22:36]
早速お返事ありがとうございます。細かいことですが45のヴルカンヌィ地域は
1992年に閉鎖行政地域になったようですが1999年01月01日にはずされた
ようですね。
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%92%D1%83%D0%BB%D0%BA%D0%B0%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D0%B9
に、出ています。閉鎖行政地域にこだわってしまうのは、その一つにしばらく住んで
いたからです。はじめはよくわからなくて、核原子力関係の10個だけが閉鎖都市か
と思っていたくらいです。
 ニジェガコツキードヴォールさんは、『モイ・ゴーラド』のサイトを参考になさっ
ているようですが、私もたびたび開いています。でも、都市間の距離が、他の資料と
違っているので、どちらが本当かと迷っています。
No.605 Re^2: 閉鎖行政地域 ニジェガロージェッツ [2007/02/01 (木) 20:52]
こかたのちはさん、ヴルカンヌイについての貴重な情報ご提供、有難うございました。
「細かいこと」などとはとんでもないです。
こかたのちはさんは閉鎖行政地域にお住まいだったのですか、道理でお詳しい訳です
ね。以前に、その「隣」の閉鎖都市に暮らされた経験をお持ちのygrさんからもお話を
頂いたことがあります。
本当に勉強になります。

さて、ご紹介いただいたロシア語ウィキペディアのヴルカンヌイ町の記事拝見しまし
た。確かにヴルカンヌイは閉鎖都市から外されたことが明記されています。ロシアで
閉鎖行政地域組織を扱った諸サイトの中には、ヴルカンヌイが「欠落」しているもの
があり、気にはなっていたのですが、これで納得です。

ところで、ウィキペディアの記事の中にある、ヴルカンヌイが外された根拠として「
ロシア連邦大統領令59号」とありますが、この条文がどうしても読みたくて探してみ
たところ、発見しました。
正確には「1998年1月24日付ロシア連邦大統領令59号」でした。
http://www.businesspravo.ru/Docum/DocumList_DocumFolderID_260_CPage_8.html
の中にあります。
大統領令59号のタイトルは「モスクワ州プリオクスク町およびカムチャツカ州ヴルカ
ンヌイ町の閉鎖行政地域組織の廃止について」とあります。
ヴルカンヌイだけではなく、プリオクスクも同じ1999年1月1日に廃止されていました。
(探してよかった〜!)
プリオクスク町は2004年にストゥーピノ市に編入されて、今では存在していませんが、
それ以前から閉鎖行政地域組織からは外されていたんですね。
(つづく)
No.606 ЗАТОから外れた行政地域 ニジェガロージェッツ [2007/02/01 (木) 21:29]
モスクワ州プリオクスク町と、カムチャツカ州ヴルカンヌイ町を拙ページ「閉鎖行政
地域一覧」に掲載していたのは、これらを人口統計から追っていった結果でした。
以下、ちょっと言い訳っぽくなりますが、言及しておきます。

人口統計書において、「市」ではなく「町」の場合には、それらは必ず「地区」また
は近傍の「直轄市」に属しており、どこにも属していない「町」は閉鎖行政地域組織
のものでした。
こかたのちはさんご紹介のウィキペディアのヴルカンヌイ町の記事には、その現在の
所属を「エリゾヴォ地区」としていますが、2002年国勢調査などの人口統計書では、
ヴルカンヌイ町はどの「市」にも「地区」にも属していません。モスクワ州のプリオ
クスク町も同様で、同州内「現役閉鎖都市」のヴォスホート町、モロジョージヌイ町
と同列に扱われています。
閉鎖行政地域組織から外された1999年以降のヴルカンヌイ町およびプリオクスク町は、
「『直轄市』の行政区域でもなく、『地区』にも含まれず、ましてや『閉鎖行政地域
組織』でもない」という、特殊な独立行政区画になっていたことになります。

プリオクスク町がストゥーピノ市に編入されたことが注記されていた2005年1月1日現
在の人口統計書には、もしこれがどこかの「地区」なり「直轄市」に属していたなら
ば、「○○地区のプリオクスク町がストゥーピノ市に編入」とか、「○○市行政区域
内のプリオクスク町がストゥーピノ市に編入」と書かれる筈ですが、単に「プリオク
スク町がストゥーピノ市に編入」としか書かれていませんでした。
今回のこかたのちはさんの情報に接するまで、プリオクスクの件について、全く特殊
な行政機関である閉鎖都市が「一般の市」に編入されること自体、不自然で気にはな
っていたのですが、この点も納得です。

関連ページ(閉鎖行政地域組織一覧、カムチャツカ州、モスクワ州など)早急に訂正
致します。
貴重な情報、重ね重ね有難うございました。
No.607 『シベリアの松』の町 こかたのちは さん [2007/02/02 (金) 22:10]
丁寧な御返事をありがとうございます。プリオクスク町については大分もめていたよ
うですね。そのことがhttp://www.mosoblpress.ru/show.shtml?d_id=4898&type=article
に載っていました。偶然にも見かけた記事ですが。
ニジェガロツキーさんは人口調査に詳しいのでしたね。あなたの綿密なサイトにはた
だ感心するばかりです。あなたに教えてもらった法関係のサイトをあけて見つけたこ
とですが、38のкедровыйもЗАТОではなくなったのですね。2007年
1月1日からです。決まったのは2006年8月3日bW36ですから、お確かめく
ださい。私自身驚いています。ニジェガロツキーさんはそこへ行かれたことがありま
すか?あんなところが、と言う感じです。
No.608 潜入 こかたのちは さん [2007/02/03 (土) 00:53]
(前からの続き)その『隣』の閉鎖都市に暮らされた経験をお持ちの…という『その』
は『どの』でしょう。私が住んでいた都市のことでしょうか。だとすると、その『隣』
と言うと、あそこは閉鎖の程度がかなり高いですね。と言っても入ろうと思えば入れ
るでしょうが。
No.609 Re^3: 閉鎖行政地域 ニジェガロージェッツ [2007/02/04 (日) 00:19]
こかたのちはさん、引き続き情報ご提供有難うございます。
 
: プリオクスク町については大分もめていたようですね。

ご紹介していただいた、プリオクスク町のストゥーピノ市編入に関して州と町とで対
立があったとの記事には、プリオクスク町が9棟半の住棟からなる町であること、そ
のうち「半」と数えられている建物はストゥーピノ市との境界に建ち、市と折半され
ていたこと。また、この町がストゥーピノ市の中心辺りに位置していたこと。
1998年にこの町が閉鎖行政地域組織から除外された時より、これらの事から、州では
この町がストゥーピノ市との統合が採択されながらも、町は賛同せず、住民投票にか
けて結局独立町となった経緯があることなどが紹介されており、面白く拝読させてい
ただきました。

それにしても、人口から言えば「9棟半」の町が6000人を数えていたとなると、かな
り大き目の住棟ですね。なんとなく雰囲気がわかるような・・・。

: ニジェガロツキーさんは人口調査に詳しいのでしたね。

いえいえ、人口調査に詳しいわけではありません。
余談になりますが、単に地図と都市や地域の人口データが好きで、サイトの運営をし ております。ロシア全土の都市や行政区画の人口データを纏める際に、各地に点在す る「閉鎖行政地域」を避けて通るわけにはいかず、地理の雑学としても面白いので、 地理事典やネットで公開されている関連サイトの情報を参考にして「閉鎖行政地域一 覧」のページを作成しました。 「閉鎖行政地域」については、特に研究はしておりませんので、実際に現地に行かれ た経験のある方には、全くご満足頂けるものではないと確信しております。こかたの ちはさんからは大変貴重な情報をいただきまして、感謝致しております。 : 38のкедровыйもЗАТОではなくなったのですね。2007年1月1日 : からです。(中略)そこへ行かれたことがありますか?あんなところが、と言う感 : じです。 ご教示有難うございます。最新の情報ですね。ページに反映させていただきます。 小生は行ったことはありませんが、『シベリア松』の町ですか。何とも広大なシベリ アの大自然を想像させるような、とても「閉鎖都市」とは無縁な世界を連想します。
No.610 Re: 潜入 ニジェガロージェッツ [2007/02/04 (日) 00:19]
 : …という『その』は『どの』でしょう。私が住んでいた都市のことでしょうか。

御意。以前にYahooの「ロシア」のカテゴリーに登録された貴サイトを訪問して、お
住まいになられた都市、クラスノヤルスク地方の諸都市の様子や、ロシア各地の旅行
記が豊富な写真入で掲載されていて、ほとんど日本では接することのない貴重な都市
情報の数々だけに、楽しく拝読しておりました。

こかたのちはさんの記事に張って下さった[URL]より再訪して、びっくりしました。
まさか、「クラスノヤルスク滞在記」の管理人さんが拙掲示板にご登壇いただけると
は・・・。

: だとすると、その『隣』と言うと、あそこは閉鎖の程度がかなり高いですね。

『隣』の都市は、過去ログにもありますがugrさんの記事(No.536)にも閉鎖具合が厳
しい都市だと紹介されていました。
貴重なご体験をされた皆様がうらやましい限りです。
No.611 感激! こかたのちは さん [2007/02/04 (日) 23:09]
жерезногорскにはШкола космонавтики という変な学
校があって、そこの校長のНиколай Николаевич Носковと言
う人が1992年から教科に日本語を取り入れています。そして、その教師は日本人
でなければならないと、日本から講師になってくれる人を次々に招待しています。今、
たぶん名古屋出身の人が教えているのではないでしょうか。
ugrさんという方は1995年頃にいらしたのですか。94年頃、スプートニクのアン
テナ関係で、そこへ日本のNECからだったと思いますが数人が長期にきていましたね。
(ちょっと通訳をしましたが)。
Кедровыйに関しては、暇だった時にそこらじゅうドライブして回って偶然そ
の前に来たのです。確か途中の道に通行禁止とか書いてありましたが。でも、中に入
ろうとは思いませんでした。その後も、郊外バスに乗って、またまた偶然行き合わせ
たことがあります。かなり人里は慣れたところにある町でした。中で生活するのは退
屈だろうなと思ったものです。何もなさそうですから。 だいたい閉鎖都市と言うの
が、始めて住んだ時から納得のいかないものでしたね。企業の敷地が部外者禁止なら
わかりますがね。世界中どこでもそうですし。何をしているかは、世界中が知ってい
ることなのに。
 いくら閉鎖しても、ソ連時代から航空写真は撮られていまた。(上空飛行禁止だそ
うですが、GOOGLEの無料サイトにも、衛星写真で車の影まではっきり写っているのが
載っています。)
 Нижегородецさんの、サイトは2年前日本に戻ってきた時から度々あけ
て、読ませていただいています。ロシア発の情報とは一味違って、とても興味深いで
す。ロシア地名をカタカナ表記になさるのが大変だったでしょう。
 わたしのサイトの方は、ホームページの作り方もパソコンもよく知らないものが自
己流に作ったものです。以前、ロシアから、『デラシネ通信』と言う知り合いのサイ
トに寄稿していたのですが、あまり人に迷惑はかけないでおこうと、帰国後、自分で
サイトを作ってみたのです。だあれも読んでくれないと悲観していたのに、Ниже
городецさんのような著名な方にほめていただいて感激です。もし、よろしか
ったら貴サイトのリンクに載せていただけませんか。
No.612 Re: 感激! ニジェガロージェッツ [2007/02/07 (水) 00:37]
こかたのちはさん、閉鎖都市ジェレズノゴルスクとケドローヴイの実体験も基づいた
貴重なお話有難うございました。

: いくら閉鎖しても、ソ連時代から航空写真は撮られていまた。(上空飛行禁止だそ
: うですが、GOOGLEの無料サイトにも、衛星写真で車の影まではっきり写っているの
: が載っています。)

Google Earth の衛星写真を見ると、閉鎖都市近辺が、周辺より高い解像度で見られる
など、アメリカも注目しているようですね。単に景色を眺めるだけですが、軍港都市
などは見ていて楽しいですね。

: Нижегородецさんの、サイトは2年前日本に戻ってきた時から度々あけ
: て、読ませていただいています。ロシア発の情報とは一味違って、とても興味深い
: です。ロシア地名をカタカナ表記になさるのが大変だったでしょう。

2年も前から拙サイトにお付き合い頂いておられたとは恐縮です。
確かにロシアの都市名のカナ表記は一筋縄ではいきませんでした。日本での表記が、
発音ではなく綴り字に沿ってカナ表記されているので、機械的にカナに変換していっ
たのですが、それだとロシア一般の「アーカッチ」発音には程遠い表記になってしま
います。これが気に入らなくて、一地名後毎に発音辞典で力点の位置を確認して「ア
ーカッチ」に近い表記を「地名発音」と称して併記したのですが、それでも満足のい
くものではありませんでした。
こかたのちはさんのように、ロシア語に精通しておられる皆様が見れば、なんとも的
外れで、ブレの多い表記になってしまい、お恥ずかしい限りです。

: Нижегородецさんのような著名な方にほめていただいて感激です。もし、
: よろしかったら貴サイトのリンクに載せていただけませんか。

小生など著名でもなんでもない小市民ですが、ロシア好きであれば、こかたのちはさ
んの「クラスノヤルスク滞在記」は刺激のある魅力的なサイトと感じられることと推
察します。
リンクの件、喜んで掲載させていただきます。リンクが出来ましたら、貴サイトの掲
示板へご挨拶に上がります。

ところで、わずか1年ニジニに住んだだけでНижегородецは気が引けます。
カタカナであれば洒落で済みそうですが・・・。
ロシア文字で書くと、лженижегородец かな(笑)
No.613 綿密な資料 こかたの ちは さん [2007/02/10 (土) 23:53]
 リンクを張っていただいて本当にありがとうございます。
 ロシア滞在中に、その時々の旅行文などを知り合いに送ったところ、その方がご自分
のHPに載せてくださいました。私の寄稿文がだんだん多くなってしまい、その方に申
し訳なく思っていましたが、ロシアで自分のHPを開くというのは、難しそうでした。
何せ、インターネット回線状況が悪くてメールの送受信がやっとでしたから。
 2年前に帰国して、「ホームページビルダー」などというソフトを買い説明書を読み
ながら、自分で作ってみました。開設してまだ1年もたっていません。内容の文だけで
はなく体裁を整えるのもなかなか大変です。
 2002年頃からの古い紀行文に地図を書き加えて自分のHPに載せてみました。
 また、2005年の『また国境の話2』でモスクワ州のヒムキ市イワノキ村のことを
書こうとしてインターネットで詳細を探していたとき、貴『ニジェガロツキードヴォー
ル』で、イワノキ村はヒムキ市に町村合併されたと知りました。このことをロシア語の
ヒムキ市のページを探していたのですが見つからなくて、貴サイトで見つけました。
 それ以来、たびたび開いて参考にさせていただいてます。自由に加工して使ってもよ
ろしいという白地図をいただいたのも、貴サイトからです。それは加工して私のトップ
ページのミニ地図になっています。(ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません)
 繰り返し、あなたの綿密な資料に感心していること、そのサイトに私のつたないHP
へのリンクを張ってくださってとても感謝していることを申し上げます。
No.614 掲示板が再移転しました ニジェガロージェッツ [2007/02/15(木)23:52:19]
毎度「ニジェガローツキー・ドヴォール」をご愛顧いただきまして有難うございます。
ここ『掲示板ヤールマルカ』にも多数の記事を頂戴し、深く御礼申し上げます。

さて、昨年11月に掲示板の移転を致しましたが、ここ数日、当ホームページと無関係な宣
伝目的の書き込みが続いたため、セキュリティ強化の目的として、再移転することとなり
ました。

旧版にご寄稿いただきました、めるさん、豆男さん、こかたのちはさんには誠に申し訳ご
ざいませんが、管理のため皆様の記事は「過去ログ8」へ移転させていただきました。ご
了承いただければ有難く存じます。

これからも今までに変わらぬご愛顧の程、皆様の書き込みをお待ちしております。
参考: http://dvor.jp/yarmarka08.htm
No.615 Re: 綿密な資料 ニジェガロージェッツ [2007/02/19(月)20:37:57]
No.613 こかたの ちはさん
リンクのご挨拶、有難うございました。
(レスが遅くなり、失礼いたしました)

:2年前に帰国して、「ホームページビルダー」などというソフトを買い説明書を読み
:ながら、自分で作ってみました。 

奇遇ですが、拙「ニジェガローツキー・ドヴォール」も同じく、「ホームページビルダー
」を使って作成しております。小生もHPの初心者で、作成ソフトには不満があるものの
エディタでプログラムするのも難しく感じ、何度も更新を繰り返して現在の状態になりま
した。

:内容の文だけではなく体裁を整えるのもなかなか大変です。

同感です。拙HPの場合は人口データなどサイズの大きな表が多く、いつもレイアウトに
は泣かされます。欲張りなので、あれもこれもとデータを多く取り入れるほど、セルの大
きさが思い通りにならなかったり苦労します。
見た目の仕上がりは文字のサイズ設定だけでなく、PCの機種やプロバイダーの違いで変
わるらしいので、他人のPCでどう映っているのか気になっています。

:2005年の『また国境の話2』でモスクワ州のヒムキ市イワノキ村のことを
:書こうとしてインターネットで詳細を探していたとき (中略)
:貴サイトで見つけました。

意外なところから拙サイトに辿りついたことを伺い、びっくりです。
こちらでも再度確認してみましたが、確かにイワノキ村は2004年にヒムキ市に編入されて
いました。
なお、拙『モスクワ州』のページには、2002年に36,445人いたヒムキ地区の人口が、2005
年には0人になっており、地区内の全集落ヒムキ市に編入されたことを書いていますが、
実際にヒムキ地区の全域が市に編入されたのかは、具体的な面積データを入手していない
ので、不確かです。もしかしたら、人口データに現れない無人の原野に、一部「地区域」
が残っている可能性も考えられます。

それにしても、貴『また国境の話』のページを拝読すると、シェレメチェヴォ出国の際、
とんでもないご苦労をなされたようで、誠にロシアにありがちな「ご災難」と言う外はな
く、ご同情にたえません。
G8の仲間に数えられ、21世紀になった今でも、旧態依然というかなんと言うか。

:自由に加工して使ってもよろしいという白地図をいただいたのも、貴サイトからです。
:それは加工して私のトップページのミニ地図になっています。
:(ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません)

有難うございます。トップページの地図はうちの地図だと一目で分かりました。拙白地図
をテーマに合わせ巧くて味付けされているのを見て、小生の作成した粗末な白地図が役に
立っているのを知り、嬉しくなりました。
貴「クラスノヤルスク滞在記」の各紀行文に添えられている、各地の詳細地図はこかたの
ちはさんのオリジナルですね。文章を拝読する上で大変分かりやすく、読み手に臨場感を
持たせる素晴らしい地図だと感心しております。

最後になりましたが、リンクの件をはじめ、クラスノヤルスクの楽しい話題の数々、貴H
Pの更なるご発展をお祈りしております。
また、これからも拙サイトへのご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
参考: http://homepage2.nifty.com/enisei2580/
No.616 ご登場いただきありがとうございます める さん [2007/02/21(水)10:51:55]
ニジェガロージェッツさんこんにちは。
掲示板移転されたのですね、スパム投稿本当に困りますね。

ロシぴろにご登場頂きありがとうございます^^
ニジニのご質問でしたのでニジェガロージェッツさんを思い出し、
勝手ながらご紹介させて頂きました。

ニジニには行った事がないのですが右岸が素敵そうですね。
ニジニ出身のヒットデュオ「ウマトゥルマン」が自分の町をタイトルにした「Nという町
で」というCDのレビューを書いた時に、彼らについていろいろ知る機会があったのですが
とても自分の故郷を愛している事が伝わってきていいなあ〜と思いました。

それではまた!いつでもご登場お待ちいたしております☆ 
No.617 ロシぴろさんではお世話になりました ニジェガロージェッツ [2007/02/22(木)00:57:12]
めるさん、こちらこそロシぴろさんの掲示板では拙サイトご紹介有難うございました。

さて、ニジニの話題の前に・・・

: 掲示板移転されたのですね、スパム投稿本当に困りますね。

お気遣いとご理解、有難うございます。
本当に困りものでした。旧板はスパム投稿を削除しても記事番号が飛び飛びになり、見た
目にも不安定な掲示板の印象が残り、特定書き込みの拒否設定も出来なかったので、以前
より使い慣れたZAQさんの掲示板サービスと再契約しました。
これからも宜しくお願い申し上げます。


: ニジニには行った事がないのですが右岸が素敵そうですね。

オカ川で二分されるニジニ・ノヴゴロドの市街のうち、やはり見所は右岸ですね。オカ川
右岸のヴォルガとの合流点にそびえる急斜面にクレムリ(城砦)があり、そこを中心に市
街が発展したので、そもそもがニジニは「オカ川右岸の街」と言えるでしょう。
洒落た商店街「バリシャヤ・パクロフスカヤ」もクレムリから放射状に伸びています。
人口では左岸924,440人に対し、右岸365,037人(2005年)で、街の人の流れも左岸の新市
街・工業地帯の方が活気があるように感じますが、やはりニジニの良さを感じるのは右岸
です。

: ニジニ出身のヒットデュオ「ウマトゥルマン」が自分の町をタイトルにした「Nという町
: で」というCDのレビューを書いた時に、彼らについていろいろ知る機会があったのですが
: とても自分の故郷を愛している事が伝わってきていいなあ〜と思いました。

ウマトゥルマン! 意識はしていませんでしたが、ニジニの出身だったのですか。
以前にロシぴろさんより頂いた音楽CDの中、
「サユース34」に「プラスコヴィア」
「サユース35」に「プラスティッツァ」
「XXXL12」に「君は行ってしまった」
が収録されており、よく聞いています。そのいずれもがアルバム「Nという町で」に収録
されていると知り、CDが欲しくなりました。
めるさんご執筆のレビューに、この町がニジニのことであること、めるさんの訳文(?)に
あるフレーズ

: 「N」という街はロシアのどこにでもあるような地方都市のひとつ
: 「N」という街は人口は多いが田舎っぽく古臭い街
:  しかしその街はゴーゴリやナウメンコが好んで小説の舞台にした
:  その街は才能溢れる人物を輩出している。
:  そしてロシアのショービジネスのスターも
(勝手に引用すみません)

この語りが、あまりにも見事にニジニを言い表しているようで、懐かしく、また嬉しくな
りました。

歌のタイトルを地理ネタに強引に結び付けて恐縮ですが(笑)
アルバム「Nという町で」に収録されているうちの一曲
「Стрела(矢)」
とありますが、ニジニのオカ川がヴォルガに合流する左岸先端の地区の名称が
「Стрелка(矢)」です。
「Nという町で」というアルバムのタイトルとの関連で、小生にはあの場所しか思い浮か
びません。

: それではまた!いつでもご登場お待ちいたしております☆

また、遊びに寄らせていただきます。とはいっても、ニジニの関連か、人口データ絡みの
話題にしか反応できないのが辛いですが・・。(汗)

めるさんご執筆のウマトゥルマンのレビュー、感動しましたので、勝手ついでで恐縮です
がリンク張らせていただきます。
参考: http://www.rosianotomo.com/music/uma/umaturman1.htm
No.618 モスクワーニジニ・ノブゴロド高速列車 ツポレフ154 さん [2007/02/22(木)21:38:48]
ニジェガロージェッツさん、 こんばんは。ご無沙汰いたしております。

”ロシアぴろしき”でのことが話題になっておりましたので、この掲示板のことを思い出
し出て参りました。

先月の記事ですが、1月30日の「交通新聞」に”ロシアの鉄道改革”という記事があり、
その中にドイツ・ジーメンスの技術によるモスクワーサンクト・ペテルブルク、モスクワ
ーニジニ・ノブゴロドの鉄道高速化の記事がありました。
モスクワーサンクト・ペテルブルクは09年に開業する(本当にできるのか?)とのことで
、平均時速200〜250km(つまり新幹線”のぞみ”に匹敵)で走るためこの区間を3時間
で結ぶそうです。ちなみ”のぞみ”はモスクワーサンクト・ペテルブルクとほぼ同じ距離
である東京ー岡山を途中6駅に停車して3時間23分です。

手元に資料がないのでモスクワーニジニ・ノブゴロド間の距離はわからず、従って推定所
要時間も見当がつきませんが出来れば相当便利になるでしょうね。
No.619 訂正 ツポレフ154 さん [2007/02/22(木)22:03:59]
モスクワーニジニ・ノブゴロドの距離は439kmと紹介されていましたね。見落として失
礼いたしました。

もしこの区間が”のぞみ”と同程度の高速列車が走るとすれば、”のぞみ”は東京ー京都
476kmを2時間20分で結んでいますからそれと同じくらいの時間になるでしょう。

なお、新幹線の距離は時刻表に載っている営業キロ(在来線の東海道・山陽線の距離)で
はなく新幹線の実際の距離です。モスクワーニジニ・ノブゴロド間を全くカーブなしで建
設できませんから、新幹線東京ー京都間とほぼ同じ距離で建設されると思います。 
No.620 ロシア版新幹線 ニジェガロージェッツ [2007/02/23(金)00:34:08]
ツポレフ154さん、お久しぶりです。
いつも新鮮なロシア情報有難うございます。

モスクワ―ペテルブルク、モスクワ―ニジニ間のロシア版新幹線のお話、どこかで聞いた
ことがありましたが、インフラ整備の遅いロシアとの先入観から、高をくくってあまり気
にしていませんでした。

改めてツポレフ154さんのお話をお聞きし、いよいよ「動く」のか!とびっくりした次第
です。

: モスクワーサンクト・ペテルブルクは09年に開業する(本当にできるのか?)とのことで
: 、平均時速200〜250km(つまり新幹線”のぞみ”に匹敵)で走るためこの区間を3時間
: で結ぶそうです。ちなみ”のぞみ”はモスクワーサンクト・ペテルブルクとほぼ同じ距離
: である東京ー岡山を途中6駅に停車して3時間23分です。

同区間は今ある特急列車で5時間ぐらいですか。2大都市を更に高速で結ぶ、ロシアにと
っては必要な路線ですね。

モスクワ―ニジニ・ノヴゴロド間については、

: もしこの区間が”のぞみ”と同程度の高速列車が走るとすれば、”のぞみ”は東京ー京都
: 476kmを2時間20分で結んでいますからそれと同じくらいの時間になるでしょう。

これは凄いですね。
ただ、2時間余りでモスクワと直結するとなると、首都の喧騒がそのままニジニに持ち込
まれそうで、今ある古い地方都市の雰囲気が損なわれるのではと、ちょっと気懸りです。
ですが、ニジニの繁栄にとっては、欠かせない路線です。

小生個人的には、これが開通してしまうと、今あるお気に入りの味のあるニジニ行きのん
びりロシアの夜行列車、モスクワ・カザン駅発の「ヤールマルカ号」と、モスクワ・クル
スク駅発の「ニジェガロージェッツ号」が廃止に追い込まれそうで、寂しい限りです。
No.621 Re: ロシぴろさんではお世話になりました める さん [2007/02/23(金)18:04:05]
ニジェガロージェッツさん、ツポレフ154さんこんにちは。

私もモスクワーサンクトの高速電車の話は耳にした事がありましたが
ニジニへのラインも作るとは知りませんでした。
ちなみに沿海州ーハバロ州にも高速鉄道を作るという話がありますがものすごーーく眉唾
ものです。
でもモスクワは予算があるのでちゃんと出来そうですね(笑)

ニジェガロージェッツさん
私には知り得なかったストレラーのお話、ありがとうございます!
当時、販売するタイトル候補がいくつか挙がっていた中でウマのあのアルバムが個人的に
イチオシだった為私が書く事になったのですが、ああ〜私でなくニジェガロージェッツさ
んにレビュー書いてもらえたらよかったのに〜!残念です(笑)

今ロシぴろさんは販売ものは休止していますがあのアルバムはほんとによく出来ているの
でもしご希望でしたら今度帰国する時に買って帰ってお送りしましょうか?
インターネットでダウンロード購入したり、日本国内でも売っているところがあるでしょ
うが支払いが不便だったり高かったりしますから。
私の勝手な申し出ですのでご不要でしたらお気遣いなさらず遠慮なくお断り下さい。
※レビューリンクありがとうございました(恥ずかしい;;)
No.622 Re2: ロシぴろさんではお世話になりました ニジェガロージェッツ [2007/02/25(日)01:40:38]
めるさん、レス有難うございます。
ストレラーの話は単なるこじ付けですから、聞き流しておいて下さい(笑)

: 当時、販売するタイトル候補がいくつか挙がっていた中でウマのあのアルバムが個人的に
: イチオシだった為私が書く事になったのですが、ああ〜私でなくニジェガロージェッツさ
: んにレビュー書いてもらえたらよかったのに〜!残念です(笑)

とんでもないです。小生などは意味もなく数字を並べることしか能のないオッサンです。
あのレビューは、めるさんでなければとても書けなかった力作です。
それにしても、「Nという町で」のレビューやロシぴろさんでのニジニの話題を読んでい
ると、何としてでもニジニ再訪を果たしたくなりました。
借金でもして、商売放〜ったらかしで行って来ようかと真剣に考えてしまいそうで、怖い
です。

: でもしご希望でしたら今度帰国する時に買って帰ってお送りしましょうか?

これは願ってもないお申し出ですが、これでは同様の願いがめるさんに殺到しそうで、ご
迷惑になるかと存じます。
お気持ちだけで大変嬉しく、お心遣い感謝申し上げます。
No.623 ロシア連邦の面積拡大 ニジェガロージェッツ [2007/02/25(日)23:31:19]
従来、ロシア各州の面積はソ連時代の1986年1月1日現在における、測地および地図作成総
局発表のデータが用いられていましたが、2006年の新しい人口統計書では2006年1月1日現
在の連邦土地台帳局発表のデータが用いられています。

ロシア連邦全体の新旧面積データを比較すると、
1986年データ 17,075,400km2
2006年データ 17,098,200km2
とあり、20年ぶりの「面積値見直し」により、22,800km2も広くなったことになります。
日本で言えば、福島県に山形県を足したぐらいの面積に相当し、北方領土の4.5倍の面積
になります。

これを受けて、「86連邦構成体と7連邦管区」のページの面積データ(公表値の欄)を新
しいデータに更新しました。
なお、「連邦構成体別地理概況」の各ページに掲載の各面積値はまだ更新出来ずにおりま
すが、2006年1月1日付け人口データへの更新作業とともに順に進めて参ります。
今しばらくは「86連邦構成体と7連邦管区」のページと、「連邦構成体別地理概況」の各
ページの面積データは違っておりますが、ご了解頂きたく存じます。
No.624 人口のカウント める [2007/03/03(土)00:06:47]
調子に乗って無神経な事を書いてしまいました。申し訳ありません。
ウマのCDはニジェガロージェッツさんが近々ニジニで入手されるものと期待します!

さて実は以前からロシアの人口について疑問に思っていた事があるのですがこの機会にニ
ジェガロージェッツさんにお伺いしてみようと思います。

以前小さいお子さん連れでロシアに住んでいらっしゃった方からロシアでは1歳未満の子
供は人口にカウントされていないと伺ったのですが本当でしょうか?ご存知ですか?
1歳になったら初めてカウントされると言われたんだそうです。
ロシアは乳幼児死亡率が高いので1歳まで人口カウントしないのかと当時ひとしきり沸い
たのですがまわりのロシア人に聞いても誰も知らなかったのでなんとなくそのままで気に
なっていました。
もし何かご存知でしたら教えて頂けませんか。
No.625 Re: 人口のカウント ニジェガロージェッツ [2007/03/03(土)21:15:02]
めるさん、ウマのCDの件ではこちらこそ失礼致しました。お気遣い有難うございます。

: 以前小さいお子さん連れでロシアに住んでいらっしゃった方からロシアでは1歳未満の子
: 供は人口にカウントされていないと伺ったのですが本当でしょうか?ご存知ですか?

それは何かの間違いでしょう。
人口統計書にある、年齢階層別の人口や「人口ピラミッド」を見て頂ければ明白なのです
が、0歳児の人口も普通にカウントしています。
参考までに、公式データをリンクしておきます。

2002年全露国勢調査結果の年齢階層別のデータ
http://www.perepis2002.ru/ct/html/TOM_14_07.htm

統計局より、2005年1月1日現在の人口ピラミッド
http://www.gks.ru/free_doc/2006/b06_11/05-03-1.htm

このあたりで、いかがでしょうか?
No.626 Re2: 人口のカウント める [2007/03/05(月)15:36:00]
本当ですね!ただの噂だったのですね〜
分り易い資料までありがとうございました。
それにしてもこのピラミッドを見るとソ連崩壊のゴタゴタ〜ロシアになって出生率がガタ
ンと落ちたのが一目瞭然ですね・・・
どうもありがとうございました。
No.627 人口ピラミッド ニジェガロージェッツ [2007/03/05(月)20:59:24]
めるさん、いつもレス有難うございます。

: それにしてもこのピラミッドを見るとソ連崩壊のゴタゴタ〜ロシアになって出生率がガタ
: ンと落ちたのが一目瞭然ですね・・・

見事に出ていますね。
2005年1月1日現在の人口ピラミッドを見ると、ソ連・ロシアの歴史を垣間見る思いがしま
す。
特徴的なのは、61歳(1943年生)、60歳(1944年生)がガクンと落ちており、近年では16
歳(1988年生)より目立った減少が始まり、11歳(1993年生)あたりからは21歳(1983年
生)の半分ぐらいの人口になっていることです。

前者は大祖国戦争(独ソ戦)による生活の破壊、後者はソ連崩壊によるインフレなどの生
活苦がモロに出ています。
あと、39歳(1965年生)から35歳(1969年生)ぐらいでも少し人口が落ち込んでいます。
時代はブレジネフ政権の初期にあたりますが、これは親の世代が独ソ戦の犠牲になったの
を反映しているのでしょう。ただ、ソ連崩壊前後の出生率激減は、その親の世代が、この
ブレジネフ時代初期に重なることもあり、言わば「ダブルパンチ」を受けた形にも見えま
す。
ですが、ここ3年、2歳児(2002年生)からは人口が増加しており、最近のロシアの好景気
が出生率の増加に結びついているのか、それとも親の世代である1980年前後の人口が多い
のが原因なのか、興味深いところです。
参考: http://www.gks.ru/free_doc/2006/b06_11/05-03-1.htm
No.629 データの更新作業、ようやく終了 ニジェガロージェッツ [2007/04/05(木)22:09:29]
3月初めに開始した連邦構成体別の地理概況と人口の各ページの人口データの更新作業(2005
年1月人口を2006年1月人口に置き換え)および、2006年都市人口ランキングの各表が、よ
うやく完成しました。
やはり丸一月を要しました。

まだ、市一覧の各ページの人口データが2002年国勢調査人口のままになっていたりします
が、これらのページの更新作業も少しずつですが、追って進めていきたく存じます。
No.630 ユジノクリリスク(古釜布)の人口 Rc21 [2007/04/29(日)08:22:42]
いつも大変貴重な情報を有難うございます。
Wikipediaに古釜布(ユジノクリリスク)の項目がなかったので、今回執筆いたしました
。
その際、最新の人口データでニジェガローツキーさんの物を使用させていただき、参考資
料として出典リンクを貼らせていただきましたので、報告させていただきます。
本当にお疲れ様です。これからも、ご無理のない範囲で、どうか情報を提供してください
。
どうもありがとうございました。
参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E9%87%9C%E5%B8%83#.E6.A6.82.E8.A6.81
No.631 Re: ユジノクリリスク(古釜布)の人口 ニジェガロージェッツ [2007/04/29(日)17:14:11]
Rc21 さん、はじめまして。
サイト管理人のニジェガロージェッツです。この度はWikipediaにご執筆された古釜布の
記事のご案内とともに、リンクのご報告有難うございました。

ご案内いただいた記事、早速拝読させていただきました。
古釜布についての歴史的経緯から現状に至るまで、深いご考察とともに分かりやすくご執
筆されており、読んでいて大変勉強になります。

さて、ユジノ=クリリスクの人口データについては、拙「サハリン州」のページにもあり
ますが、人口が急激に減少に向かっているサハリン州の中にあって、近年は人口が増加し
ています。
国後島などへ、コサックを自称する領土返還反対派などがロシア各地から移住していると
いう報道を日本のメディアで見たことがありますが、これがデータに表われているのでし
ょうか。気になるところです。
ですが、人口最盛期に近い、1989年の全ソ国勢調査での結果は、定住人口6,474、現住人
口6,344人となっており、2006年1月の人口よりも多くなっています。

近年のユジノ=クリリスクの人口推移は(00、01、04年は100位まで有効)
2000年1月1日 3,800
2001年1月1日 3,800
2002年10月9日 5,751(国勢調査)
2004年1月1日 5,900
2005年1月1日 5,973
2006年1月1日 6,081
となっています。

なお、拙サイトではユジノ=クリリスクの行政単位を「町」としていますが、ロシア語で
は посёлок городского типа と言われる単位で、直訳すれば「都
市型集落」です。
「市」の称号を得るには至っていない都市、という程度の意味合いで、日本の市町村制度
における「町」とは全く違っていることにご留意いただければと思います。
手持ちのロシア地理辞典を見ると、ユジノ=クリリスクが「都市型集落」になったのは、
1949年のことと記されています。

: 本当にお疲れ様です。これからも、ご無理のない範囲で、どうか情報を提供してください
: 。

お気遣い有難うございます。
最近、ソ連最後の国勢調査であった1989年の人口データのロシア共和国分を入手しました
。1993年ごろより人口減少に向かったロシアにとっては最盛期人口に近く、拙サイトでは
人口減少の激しい極東から順に、各都市の1989年人口と1989年以降の行政組織変遷をまと
める作業をしております。
全ロシアが出揃うまでには、まだまだ時間がかかりますが、無理のない範囲で1日1州ぐら
いのペースで進めてみたく存じます。
今後とも、宜しくお願いいたします。
No.632 お久しぶりです 鮎川(白桃) [2007/05/23(水)00:37:49]
いつのまにか、エカテリンブルクよりも人口が少なくなってしまったのですね。少し淋し
くないですか?
ますますもって、美しく、かつ充実したホームページになっていますね。
私もニジェさんを見習って頑張らなくてはいけません。 
No.633 Re: お久しぶりです ニジェガロージェッツ [2007/05/23(水)02:41:43]
鮎川(白桃)さん、お久しぶりです。

: いつのまにか、エカテリンブルクよりも人口が少なくなってしまったのですね。少し淋し
: くないですか?

偽物とはいえ、「ニジェガロージェッツ」としては淋しい限りです。(笑)
ニジニ・ノヴゴロド市の人口を抜き去った(・・・というより、ニジニの人口の減少が他
都市より激しい)ノヴォシビルスク市とエカテリンブルク市は、エネルギー産業の好況で
沸く西シベリア北部の油田・ガス田地帯へのアクセス拠点になっている面があり、一方で
ニジニの基幹産業である自動車産業は斜陽化しており、これが人口推移にはっきり出てい
るように思います。
2004年にエカテリンブルクとニジニの人口が逆転しましたが、これはエ市が郊外の2町(
合計人口、約15000)を吸収してのことでした。

: ますますもって、美しく、かつ充実したホームページになっていますね。
: 私もニジェさんを見習って頑張らなくてはいけません。

白桃さんこそ、「都道府県市区町村」では人口データの整理を精力的に進められているよ
うで、小生など足元にさえ及びません。
こちらは今、1989年1月12日の全ソ国勢調査のロシア分を入手して、州ごとの各都市の人
口をランキング形式で1日1州のペースで更新作業を進めております。1989年の時点は多く
の地域で(白桃さん好み?)の「最盛期人口」に近く、特に人口減少の著しい極東部では
ほぼ最盛期人口と言っても良いでしょう。
ただ、1989年の全ソ国勢調査では、現住人口と常住人口の両方の数値が出ており、両者に
は微妙な違いがあります。

現住人口 - 常住人口 * 都市など 
147,400,537 - 147,021,869 * ロシア共和国
8,769,117 - 8,677,177 * モスクワ市
4,460,424 - 4,435,167 * レニングラード市
1,438,133 - 1,434,659 * ゴーリキー市
1,436,516 - 1,435,889 * ノヴォシビルスク市
1,364,621 - 1,363,057 * スヴェルドロフスク市
1,254,460 - 1,257,268 * クイビシェフ市
1,148,418 - 1,148,485 * オムスク市
1,141,777 - 1,141,808 * チェリャビンスク市
1,094,378 - 1,085,341 * カザン市
1,090,944 - 1,092,392 * ペルミ市

2002年10月9日の全露国勢調査では、比較対象として89年人口は常住人口が用いられてい
るので、こちらでも常住人口を用いるようにしていますが、「ソビエト連邦の都市人口ラ
ンキング」など一部のページでは現住人口のデータのままになっています。
ところで、日本の国勢調査人口とは現住人口のことでしたね?
No.634 Re2: お久しぶりです 白桃 [2007/05/23(水)06:54:07]
ニジェガロージェッツさん、どうもです。

:1989年の全ソ国勢調査では、現住人口と常住人口の両方の数値が出ており、両者には微妙な違いがあります。
その違いがよくわからないのです。教えていただけますか?

: ところで、日本の国勢調査人口とは現住人口のことでしたね?
日本は常住人口です。
No.635 現住人口と常住人口 ニジェガロージェッツ [2007/05/23(水)21:37:19]
白桃さん、レス有難うございます。
日本の国勢調査人口とは常住人口でしたか。以前に調査員が、例えば入院患者は病院の所
在地の人口に含まれるなどと言ったいたので、てっきり現住人口だと思っていました。
ご教示有難うございました。

さて、1989年の全ソ国勢調査における現住人口と常住人口についてですが、入手した国勢
調査統計書の前文にある説明を念のため和訳してみました。

「国勢調査人口は、1989年1月12日午前0時における、一時的な滞在者を加えたすべての居
住者をさし、その上で、現住人口と常住人口の2つのカテゴリーを算出した」とあります
。
それぞれの定義は、

現住人口(наличное население)
調査時点で、その場所での滞在が定住によるものか一時的なものかを問わず含む人口。
また、居住地とは別の地点に居ながらも、以下のものは現住人口に含まれています。
・滞在地が居住地と同一の市町村領域内。
・調査対象外の場所(鉄道、船舶、航空交通機関の業務任務遂行中、夜勤など)

常住人口(постоянное население)
調査時点で、その場所に定住しているものに、6ヶ月未満の一時的な不在者を含む人口。
また、調査時点で6ヶ月未満の滞在であっても、定住や就業、学業による場合であれば、
常住人口に含まれており、軍務にあるものは、召集場所の常住人口に含まれています。


そうして見ると、No.633に書いた上位10都市の人口のうち、モスクワは現住人口が常住人
口を10万人近くも上回っているのに対し、当時は部外者の立ち入りを厳しく制限していた
オムスクやチェリャビンスクではほとんど差がないなど、状況が窺えて面白いですね。
No.636 Re: 現住人口と常住人口 白桃 [2007/05/24(木)11:18:55]
ご教示頂き有り難うございました。

: 日本の国勢調査人口とは常住人口でしたか。以前に調査員が、例えば入院患者は病院の所
: 在地の人口に含まれるなどと言ったいたので、てっきり現住人口だと思っていました。

3ヵ月以上入院している場合は、病院の所在地にカウントされています。それ以外は、た
とえ3ヵ月以上の見込みでも、居所です。
ついでですが、受刑者の場合、以前は刑期によって区分されていたと記憶してましたが、
今はすべて刑務所等の所在地になっているようです。
No.637 Re2: 現住人口と常住人口 ニジェガロージェッツ [2007/05/24(木)21:12:46]
白桃さん。引き続きご教示有難うございます。

: 3ヵ月以上入院している場合は、病院の所在地にカウントされています。それ以外は、た
: とえ3ヵ月以上の見込みでも、居所です。

成程。これで合点がいきました。
神戸市内のある丁目で、そこには病院しか建っていないのですが、ここの人口が「世帯数
1, 人口41」でした。
入院患者をすべて数えたとしたら余りにも少なすぎ、常駐の職員の人口だとしても年齢層
が70歳以上が圧倒的で、奇妙だと思っていました。3ヵ月以上の入院患者の人口とすれば
イメージ通りです。
No.638 ナタリア・ヴォディアノヴァ ツポレフ154 [2007/06/10(日)02:20:32]
こんばんは。
ファッション雑誌「ELLE」日本版7月号にモデルのナタリア・ヴォディアノヴァの記事が
載っていました。英国貴族と結婚しているモデルですが、この記事によると、ニジニ・ノ
ブゴロドの人なのですね。てっきりモスクワの人だとばかり思っていましたので驚きまし
た。同地が自動車の町などと書いてあります。残念ながらこの町があまりいい町でないよ
うに書かれた記事ですが、日本の雑誌で同地のことが載ることは極めて稀ですので触れて
みました。彼女はロシアのこどものための活動をしたいとも言っていました。
この記事を書いたのは外国人なので、たぶん外国の「ELLE」からの翻訳だと思います。

あるとき、新国立劇場のバレエ「眠りの森の美女」(ボリショイのザハロワが出演)のプ
ログラムを若いロシア女性に見せたところ、裏表紙の広告を見て”モデルのナタリア・ヴ
ォディアノヴァ!”と言っていたのでロシアでは(少なくとも若い女性には)有名な存在
なのでしょう。地元での評判はどうなのでしょうか?
現在発売中の雑誌ですので、よろしかったらぜひどうぞ。

余談ですが私はどういうわけかモデルか元モデルのスラヴ系女性に合わせて10人以上会っ
たことがあり、そのうち3人がロシア人でした。当然皆さんきれいな方ばかりです。以前
モデルエージェンシーの社長さんのブログでスラヴ系モデルが多い理由を聞いてみたとこ
ろ、"肌がきれいだから”とのお答えでした。このモデルエージェンシーの社長さんのブ
ログ記事や現役スラヴ系モデルによると、パリでスラヴ系モデルが流行っているとのこと
。つくづく”スラヴ系美人は得だな!”と思ってしまいます(笑)。

もっとも十数年前まではモデルやダンサーで外国へ行くことはままならなかったわけです
から”いまのスラヴ系美人は得だな!”と言い直したほうがいいかもしれませんね。
参考: http://www.elle.co.jp/home/models/search/model.php?id=7
No.639 訂正と補足 ツポレフ154 [2007/06/11(月)21:51:10]
NO.638の記事で雑誌名を間違えていましたので、訂正します。
(誤)ELLE7月号→(正)VOGUE7月号
です。深くお詫びいたします。

ただし、上記記事で引用したELLEのHPはナタリア・ヴォディアノヴァのプロフィールです
ので、ご参照頂ければ幸いです。他の有名モデル(日本人は冨永愛とアンの2人)のプロ
フィールも見られます。

記事について補足しますと、ナタリア・ヴォディアノヴァはロシアのこどもたちを救援す
るための団体を設立して活動しており、その写真もあります。彼女はこどもの頃は貧乏な
暮らしをしていたので、さしずめ現代のシンデレラでしょうか。ロシアの若い女性の間で
は憧れの存在なのかもしれません。
そんな彼女の活動ですから、ロシアで注目されて多くのボランティアや寄付がでればいい
なと思います。
参考: https://www.vogue.co.jp/issues/200707/
No.640 Re: ナタリア・ヴォディアノヴァ ニジェガロージェッツ [2007/06/11(月)22:47:04]
ツポレフ154 さん、ナタリア・ヴォディアノヴァについてのお話有難うございます。
恥ずかしながら小生、彼女のことを今まで全く存じず、ツポレフ154さんの記事で初めて
知りました。

「ELLE7月号」を見ようと立ち読みをしに本屋へ行ったのですが、しっかりと紐閉じされ
ていたので、見られませんでした(笑)
「VOGUE7月号」とのことで、再度本屋へ寄ってみたく思います。

ネット検索でナタリア・ヴォディアノヴァ(Наталья Водянова)のこと
が書かれているページをいろいろと見ていると、ニジニ・ノヴゴロドでの生い立ちは、家
族の生活苦から学校も最後まで通えずに、市場で果物売りをしていたとか。
母親の愛人の家庭内暴力やら、姉妹の難病の話まであり、郷里とはいえニジニでの思い出
は、暗いものだったようですね。

1998年までニジニで果物売りをしていたとのことで、もしかしたら小生も96〜97年の滞在
時に見掛けたかもしれません。
ネットに掲載されている写真を拝見すると、有名モデルというよりは、ロシアならどこに
でも居そうな女性のように思えてなりません。

「スラヴの女性は肌がきれい」のは、確かに同感です。
ただし、大陸性気候の乾いた大気と、一年間80度の気温差(夏+40度、冬-40度)から、30
歳位から急激に肌が荒れていくように感じます。
一方で、四海を海に囲まれている日本では、大気は湿潤で気温差もロシアの半部程度で、
肌には良いですね。日本で暮らすロシア女性が、本国へ里帰りして同級生に会ったりする
と、その若々しさに驚かれるという話を聞いたことがあり、なんとなく頷けます。
No.641 Re2: ナタリア・ヴォディアノヴァ める [2007/06/16(土)11:49:27]
こんにちは。
久しぶりに覗きましたらナタリアの話題が^^
彼女はロシア国内でも有名です。
シンデレラストーリーという事もありますが高収入のロシア人という話題の時に引き合い
に出されています。
例えば○○の年収は1万ドルだが市場でりんごを売っていたナタリアはそれを10分で稼ぐ
、など。
2000年代の初めからドール系(お人形のような幼げな雰囲気がある顔立)モデルが大ブレ
イクしたのですが彼女の雰囲気はそれの先駆でした。

エリートという有名なモデルエージェンシーのスカウトの方が書いているものの中に、世
界中をスカウトに回るが世界で一番身体バランスのいいのはウラル山脈のふもと辺りの15
歳〜16歳くらいの女性、というのを見た事があります。
ロシアはモデルの宝庫なんですね(笑)

ロシアの乾燥は酷いです、ただでさえ乾燥しているのに暖房の季節の室内は湿度が20%
以下になってしまいます。
資○堂の開発の方から聞いたお話では肌にとって大切なのは冬季の湿度だそうで秋田美人
などという言葉も冬場に湿度が高い日本海側の気候を反映しているという事でした。
乾燥に強い肌を持ったロシア人が湿潤な日本で暮らせばずっときれいな肌を保てるでしょ
うね^^

余談ですが先週ハンカ湖に行きましたら「すっぽん」が釣れました(笑)ロシア人達は見た
ことがなく大騒ぎでした。
さんざんわあわあやった後、ロシアでは禁猟ですので放しました。
すっぽん鍋、さようなら〜〜
No.642 Re3: ナタリア・ヴォディアノヴァ ニジェガロージェッツ [2007/06/17(日)01:44:59]
めるさん、ナタリア・ヴォディアノヴァについてのレス、有難うございます。

ツポレフ154さんよりご紹介のあった、VOGUE7月号のナタリアの記事を拝見しました。
郷里のニジニ・ノヴゴロドについては、ロシアの「デトロイト」と書いていましたね。
本家アメリカのデトロイト市は、最盛期の1950年には185万人に居た人口が、今では90万
人程まで落ち込んでいます。ニジニも人口の減少が激しいのですが、そこまでは行ってい
ません。共に自動車産業の都市ですが、記事からは「衰退型」の都市といった印象を受け
ます。

ナタリア・ヴォディアノヴァについて、先の拙稿No.640では「ロシアならどこにでも居そ
うな女性のように・・・」なんて書きましたが、VOGUE7月号に掲載されている生き生きと
した彼女の写真を見ると、やはりトップモデルの持つ独特のオーラと言うか、光るものが
ありますね。
一方でロシアの子供達を救援するためのナタリアの精力的な活動が実を結ぶことを願わず
にはおられません。


: 余談ですが先週ハンカ湖に行きましたら「すっぽん」が釣れました(笑)ロシア人達は見た
: ことがなく大騒ぎでした。
: さんざんわあわあやった後、ロシアでは禁猟ですので放しました。
: すっぽん鍋、さようなら〜〜

ハンカ湖ですっぽんですか!
なんとも雄大なお話ですが、もし本当にその場で鍋にしたら、ロシア人はもっと大騒ぎし
たかも(笑)
No.643 ロシアでしりとりやってます Juncololin [2007/06/18(月)12:04:32]
はじめまして。こんなにロシアの地理に詳細なHPと出会えて最高にうれしい驚きです。
すごい情報量ですね!

えーと、じつは私、ロシアをテーマにとあるブログで「しりとり」を必死でやっておりま
す。1000ワードに達したら終了します。今やっと200くらいです。

このHPがたいへん参考になります。都市名など勝手に引用させていただいてすみません
。一言だけ訪問の記念に書かせていただきました。

これからも毎日拝見させていただきます。
参考: http://blog.golfdigest.co.jp/user/ernieelsewhere/archive/1860
No.644 市りとり ニジェガロージェッツ [2007/06/18(月)21:16:35]
Juncololin さん、はじめまして。
都市人口データ&ロシアオタクの極みのような、拙HPについて勿体無いお言葉をいただ
き、恐縮しております。

「ロシア」をテーマにしりとりですか。1000ワード目標とは、これまた壮大ですね。
かつて小生が頻繁に出入りしていました「都道府県市区町村」の「落書き帳」にて、日本
の市名をしりとり形式で延々並べ続ける「市りとり」という面白すぎる企画があり、最長
記録は「読み編」で280市、「表記編」で50市に達しています。

「市りとり」で280市、50市の記録をたたき出した、ゆうさんのHPです。
“THE NEVERENDING ShiriTORY”
http://www.geocities.jp/ju_evening/


小生も舞台をロシアに移して、「ロシア版・市りとり」をやってみたく思ったこともあり
ましたが、日本語のカナ表記でやるのか、ロシア語のキリル文字表記でやるのかが問題で
、また第一、他HPのパクリになってしまいますので、やらずじまいに終わっています。

仮にやるとしたら、ロシア語でやるしかないかなと思っています。カナ表記だと、例えば
 Волгоград
というロシアの市名を、「ヴォルゴグラード」「ボルゴグラード」はては「ヴァルガグラ
ート」まで、どう表記するかは、それこそ筆者次第になってしまい、どこからでも「ツッ
コミ」が入りそうです。
ところで、拙HPの「ロシア1098市人口ランキング」の各ページの背景画像が、ちょっと
した「市りとり」になっていることにお気づきでしたか?
http://dvor.jp/city_rank-russia2002-1.htm

前出「落書き帳」の「市りとり」企画は、アーカイブにまとめられています。
参考: http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=8
No.646 Re: 市りとり める [2007/06/19(火)16:59:03]
: ところで、拙HPの「ロシア1098市人口ランキング」の各ページの背景画像が、ちょっと
した「市りとり」になっていることにお気づきでしたか?

あっ!!本当ですね、すごい〜〜!!
今、一生懸命ウラを探してしまいました!ありました(笑)
No.647 Re4: ナタリア・ヴォディアノヴァ 及び海上自衛隊 ツポレフ154 [2007/06/19(火)21:10:59]
こんばんは。
めるさん
ナタリア・ヴォディアノヴァの本国での評判などのご説明ありがとうございます。

金持ちの代表例ですか。なるほどです。シンデレラストーリーで見るのはもっぱら若い女
性なのでしょうね。

日本でもかなりスラヴ系モデルは多いです。うろ覚えですが、だいぶ前の”AERA"による
と、日本の女性は激やせ志向があり、それに合ったモデルはロシアや東欧の未成年モデル
(西欧だと年齢制限があるらしい)なのでスラヴ系モデルが多くなるのだそうです。日本
がファッション市場として大きいので欧州メーカーも無視できないとのこと。スラヴ系モ
デルがはやる一つの理由が日本なのですね。数年前には、来日中のロシア人モデルを取材
したTV番組もありました。

日本のモデルエージェンシーのオーナーさんのブログによると、ウラジオストクにモデル
を仕入れに行っただとか、稼げなくて帰国命令を出したロシア人モデルに”新潟までの新
幹線代は出さない、”ムーンライトえちご”(新宿ー新潟の夜行快速)で帰りしなさい”
と命令したとあるので、極東ロシアから日本へ行くモデルも多いのでしょう。ちなみにダ
ンサーも多いです(ビザは両方とも興行ビザ)。

話が変わりますが、私もウラジオストクに行ったことがあります。湾の奥にある天然の良
港で平地がほとんどないので長崎・横須賀・ベルゲン(ノルウェー)に似ていると思いま
した。横須賀にいたっては軍港ということまで似ていますね。私は’99年に横須賀でウラ
ジオストクを母港とする”アドミラル・パンテレーエフ”に乗ったことがありますが、私
の訪問時に同船が停泊していたのでうれしかったです。

横須賀では同船の公開だけでなく、ロシア海軍音楽隊による演奏会がありました。「軍艦
マーチ」(パチンコ屋や右翼の曲ではなく帝国海軍・海上自衛隊の曲です!)や「カチュ
ーシャ」など日露両国の曲が演奏されました。「軍艦マーチ」を聴いて”やっと日露戦争
は終わった”と思いました(笑)。

一昨年は広島県呉市を母港とする「ひえい」がウラジオストクを訪問し、一般公開や海上
自衛隊呉音楽隊の演奏会(たぶん「瀬戸の花嫁」が演奏されたことでしょう)がありまし
たが、めるさんはお出かけになられましたでしょうか?

慣例どおりなら、今年は海上自衛隊がロシアを訪問する年ですので、ウラジオストクに行
く可能性が高いです。そのときに一般公開が行われるでしょうから、めるさんがご自身の
ブログに書かれた広島県江田島市(呉の沖合の島)の海上自衛隊幹部候補生学校について
尋ねられてはいかがでしょうか。

詳しくは、
海上自衛隊幹部候補生学校HP
http://www.mod.go.jp/msdf/mocs/mocs/
海上自衛隊第一術科学校HP(同じ敷地内にあり、見学可)
http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/

をご参照ください。

なお、ご想像がついたと思いますが、私のHNは航空機由来です。上記のウラジオストク
訪問時に乗ったウラジオストク航空がTU−154だったことによります。私は乗り物好き
なので実際に乗った”アドミリラル・パンテレーエフ”か”ツポレフ154”にしようと思
いましたが、船名が長いので、航空機のほうにしたといういきさつがあります。

大変マニアックな話を長々と失礼しました。
No.648 Re5: ナタリア・ヴォディアノヴァ 及び海上自衛隊 める [2007/06/20(水)02:33:24]
>ツポレフ154さん

こんにちは!
日本女性の嗜好がモデルに影響しているとは知りませんでした。
でも思い浮かべてみたら・・・なるほど、です。
そういう訳だったのですね〜

ウラジオにいらっしゃった事がおありなのですね!
ツポレフさんが挙げていらっしゃる街では長崎しか行った事がないのですが私も最初に訪
れた時、汚い長崎みたいだなあと思いました。
一昨年のひえい訪問時はちょうど日本からお客さんが来ていた事もあり、日本ではなかな
か機会もないだろうというので艦内見学に出掛けました(笑)
この、外国の艦船が来港すると市民に公開するというイベントはウラジオで大変人気があ
りいつも長蛇の列で時間前から並んでいる人も多いです。
乗組員の方の礼儀正しさが印象的でした。
今年も来港するかもしれないのですね!
また行ってみたいと思います。

「江田島の青春」はこの週末に観る事ができました(笑)
ついでに「空挺レンジャー」もです。
それが、私は笑えなかったですよ〜、それどころか背筋が伸びる感じで観終わったあと敬
礼したいほどでした。
ツポレフさんがご紹介下さったサイトも拝見してみました。
江田島はとても広大で組織も複雑なんですね〜

ツポレフさんのハンドルNがどうしてそのお名前なのかやっとわかりました(笑)
ツポ154は国内でもたくさん飛んでいるのでとてもなじみがあります。
ウラジオ航空の日本路線も新型機が就航しはじめていますが
エアバスの新型中距離旅客機の車輪はツポレフに依頼、ツポ154等で使用している形式
という話を聞きました。ほんとかなあ??
整備されていない滑走路に強いからだそうです。
(どこへ売る気でしょうか・笑)
ツポ154はアメリカでは「ケアレス」というあだ名を付けられているそうですねえ。

またツポレフで是非極東へお越しください。
No.649 遅れレスにて、申し訳ございません ニジェガロージェッツ [2007/06/23(土)23:07:17]
Juncololinさん、めるさん、ツポレフ154さん、面白い話題提供、有難うご
ざいます。
以下、亀レスの上、まとめレスにて申し訳ございません。

No.645 Juncololin さん
「ゴルフ」で4000ワード達成とは脱帽です。小生、ゴルフはやらないので、関連用語など
は全く思い浮かばないのですが、文化から軍事まで様々なテーマにつながる「ロシア」が
テーマとなれば、目標の1000ワードはすぐに達成できそうですね。

: 私は同じ関西の琵琶湖大津に住んでいます。琵琶湖畔にいるのですが、最近
: はバイカル湖がすごく身近に感じられてなりません。

その「逆」があれば感動ものですが、バイカル湖周辺の住民が琵琶湖に親近感があるかど
うか。
7年ほど前、日本のテレビドラマ「十津川警部シリーズ」で、ロシア人女優がバイカル湖
のほとりで日本語で「琵琶湖の50倍・・」云々の説明を口走る場面がありましたが(笑)

: しかし・・・本当にこのHPの内容の濃さとアカデミックさ(謙虚さと暖かさも!)は尋
: 常ではありません。

とんでもないです。都市の人口データばかりの、無機質なHPです。
本当はもっと地理雑学のページを充実させていけば、面白くなるのですが、小生にはどう
もその才は無いようです。

: 大学などで教鞭をとっておられる方なのかな

いえいえ、全く違います。ただの下町の商店のバカ倅です。
第一、大学で教鞭をとっておられる先生方は、このような変なHPは作らないでしょう。
マニアックの極みのようなHPですが、これからもご愛顧どうぞ宜しくお願い申し上げま
す。


No.646 める さん
: あっ!!本当ですね、すごい〜〜!!
: 今、一生懸命ウラを探してしまいました!ありました(笑)

お手数お掛けしました(笑)
背景画像ということで、画面に繰り返し表示されますから、一定幅で文字数を揃える必要
があり、また画像サイズを大きくしたくないために「小さな市りとり」に限定しました。
実際の画像はこちらです(5種の市りとりです。)
http://dvor.jp/siritori_ru.gif
 
厳密には、今では市から降格されたものや、他市に編入されたものが混じっていたりして
「市りとり崩れ」になっています。(汗)


No.647 ツポレフ154 さん、No.648 める さん
ロシアのモデルについての話題、海上自衛隊の話題、面白く拝読させていただきました。

またウラジオストクが長崎に似ているとのお話、小生も初めてウラジオを訪問した91年に
同じことを感じました。街の立地条件といった地理的な共通点、湾の両側に市街が連なり
山並みが海に迫っている点、鉄道の終着駅が中心駅で、駅が海港に隣接しているなど。
ただ、街並の点では、ウラジオストクにはニュータウン街のような、同じタイプの箱型の
集合住宅(フルシチョフカなど?)が連なっていたりして、長崎とはちょっと違った面も
ありますね。

もう15年も訪浦していませんが、是非機会があれば再訪してみたく切望しております。
No.650 "SPOON"のハバロフスクの記事など ツポレフ154 [2007/06/28(木)21:44:37]
こんばんは。
雑誌”SPOON”8月号にハバロフスクで取材した「ロシアの雑貨」特集の記事があります。
観光案内の記事ではありませんが、ハバロフスクの記事は極めて珍しいので、よろしかっ
たらぜひどうぞ。

めるさん
ウラジオでは外国艦船の一般公開は人気があるのですね。さすが軍港だと思いました。こ
ういったことは地元の方でないとわからないことで、情報ありがとうございます。
実際に行ってみて、日本のこんな近くに欧州の町並みとは面白いと感じました(特に町の
キョスクは西欧・北欧と同じ雰囲気でした)。8月末で新学期直前だったので、駅近くの
広場に学用品の露天市がたってましたね。何か買ってくればよかったかな?

一番”ロシア”を実感したのは、ニコライ2世記念凱旋門の脇にある教会ですね。中に入
ると絵本にでてきそうな”ロシアのおばあさん”がいて、寄付すると「スパシーバ」と言
われたので、ロシアにいると実感しました。

極東ロシアはハバロフスクなど行ってみたいところがいくつかあるので、ぜひ再訪したく
存じます。ウラジオでは海軍の音楽隊を聴いてみたいです。
ハバロフスクではアムール川にです。私はご当地の名曲
”アムール川の波”が好きなので、地元で聴きたいですね。
私はクラシックが好きで、ロシアのオーケストラやバレエ団が来日すると、よく見に行き
ます。昨年はボリショイ・マリインスキーを見に行きました。
ウラジオやハバロフスクに常設のバレエ団がないのを残念に思っております。

私にとってロシアは、以下の4つのイメージがあります。
@音楽の国
A巨大な隣国
B皇帝の国
C正教の国

です。特に”音楽の国”は私にとって大事な要素で、これがなかったらロシアに興味を持
たなかったと思います。

以上です。
参考: http://www.spoon01.com/
No.651 Re: "SPOON"のハバロフスクの記事など ニジェガロージェッツ [2007/07/01(日)22:54:15]
ツポレフ154 さん、SPOON”8月号記事のご紹介、有難うございました。
拝読すると、ロシアでよく見かけた懐かしの(小生は2000年を最後にロシアへ行っていま
せん)雑貨やお菓子類が目白押しで、嬉しくなりました。

見出しの所々にロシア語が出ており、文法的にちょっと違和感を感じるものもありました
が、それはさておいて、ロシアのお婆さんの談として、「困難は避けるものではなく、乗
り越えるもの」との一文は、胸に突き刺さるものがありました。

: 私にとってロシアは、以下の4つのイメージがあります。
: @音楽の国
: A巨大な隣国
: B皇帝の国
: C正教の国

冷戦期に学生時代を送った小生にとっては、
1.冷徹な超大国
2.実態の分からない怖い国
3.軍事大国
でしたが、いざロシアに行ってみると
4.南の国
のイメージが加わりました。
No.652 「カムチャツカ地方」の誕生 ニジェガロージェッツ [2007/07/01(日)23:18:23]
今日7月1日付けで極東のカムチャツカ州とコリャーク自治管区が合体し、新しい連邦構成
体「カムチャツカ地方」が誕生しました。
拙サイトでは、新たに「カムチャツカ地方の地理と人口」のページを設け、関連各ページ
の更新作業を致しました。

新しい「カムチャツカ地方」の創設については、2005年10月23日にカムチャツカ州とコリ
ャーク自治管区で行われた両地域の合併について可否を問う投票にて、大多数の賛成を得
ての実現です。

拙稿の過去ログのNo.528にも書いていますが、その時リンク出しした当時のニュース記事
がまだ生きています。(←今日現在)

これで、ロシア連邦を構成する、連邦構成体は85となりました。
参考: http://gzt.ru/politics/2007/07/01/102603.html
No.653 Re: 「カムチャツカ地方」の誕生 める [2007/07/12(木)19:50:33]
こんにちは。
ソチがオリンピック開催地に決定しましたね。

カムチャツカ地方が誕生したので遅れ馳せながらこちらを覗いて見ました。さすがに即対
応ですね!
ところでテレビに映ったカムチャツカ地方の紋章を見て大笑いしてしまいました。3つの
火山が「噴火」しています。
カムチャツカで火山はわかりますが噴火してしまったらオオゴトです〜!!
時々噴火して大被害を被っているのに〜(笑)

別件ですが、以前書きましたエアバスの新型機にツポレフ154の技術導入という話ですが8
日に第一号機が公開されたニュースを見てエアバスではなくボーイングだったとわかりま
した。今更ですが訂正しておきます。申し訳ありません、ボーイング787です。日本ではJAL
は35機、ANAは50機の大量発注だそうです。
No.654 Re2: 「カムチャツカ地方」の誕生 ニジェガロージェッツ [2007/07/16(月)16:33:39]
めるさん、いつもコメント有難うございます。

: こんにちは。
: ソチがオリンピック開催地に決定しましたね。

ソチ市は保養地として知られ、「ロシアで最も温暖な所」との印象があったので、冬季オ
リンピック開催を聞いたときはちょっと意外に感じました。もっと寒いウラル辺りでやれ
ばいいとか(笑

開催は2014年ということで、あと7年ですか。ソチは地理的にチェチェンからも近く、長
期化している民族紛争がどうなっていくか気懸かりなところです。


: カムチャツカ地方が誕生したので遅れ馳せながらこちらを覗いて見ました。さすがに即対
: 応ですね!

前から分かっていたので、前日(6/30)までに対応を準備しておりました(笑)
カムチャツカ地方の誕生を記念(!?)して、サハリン州でもやったように、カムチャツカ
の地図も描いてみようとしたのですが、1ピクセルずつの打ち込みでやると思った以上に
手間がかかり、ようやく先ほど完成しました。
http://dvor.jp/image41.gif

: ところでテレビに映ったカムチャツカ地方の紋章を見て大笑いしてしまいました。3つの
: 火山が「噴火」しています。
: カムチャツカで火山はわかりますが噴火してしまったらオオゴトです〜!!
: 時々噴火して大被害を被っているのに〜(笑)

3つの火山が噴火する紋章ですか。確かに大ごとです!
カムチャツカを象徴するのには確かに「もってこい」ですが、物騒ですね。

自然災害と言えば、昨日「7月史上最強」と言われた台風4号が鹿児島県に上陸した後に
日本南岸の通過がありました。
ロシアでも報道されたのでしょうか、あちらにいる知人が安否を確認する電話を寄こして
くれました。

一夜明けて今朝は柏崎で大地震の発生です。柏崎刈羽原発での火災発生を知らせるNHK
の画像がロシアでも流れているようですね。
http://lenta.ru/news/2007/07/16/quake1/

各地被害が最小限にとどまることを祈るばかりです。
No.655 Re3: 「カムチャツカ地方」の誕生 める [2007/07/17(火)10:01:04]
こんにちは。

ソチ、前回の立候補ではやはりチェチェン紛争の影響の恐れという理由も落選の大きな理
由でした。
しかし、地理的にみるとかなり危なそうな所なのにソチで何かあったという話を聞きませ
ん。それが前から不思議でした。それで以前警察関係者(一年の半分はチェチェンに駐在
)にこの疑問をぶつけてみたところ、ソチはロシアを代表するリゾートで大統領や諸外国
官僚の別荘などもあるので何かあったらロシアの面子丸つぶれ、他地区と比べ物にならな
いほど警備と管理が厳しいのだそうです。
その話を聞いてへえ〜と思いましたが、オリンピックとなるとどうなるのか・・・
 
カムチャツカの地図、力作ですね!!すごい。
もうご覧になったかもしれませんが例の噴火紋章、これです(笑)
http://pix.lenta.ru/news/2007/07/01/kamchatka/picture.jpg

台風のニュース、私は目にしませんでしたが新潟中越沖地震は16日、17日の両日テレビで
1日に何度もやっています。
黒鉛を上げる原発、倒壊した家屋、インタビューに答える被災者、最初は死者無しだった
のが3名、8名、9名となり被害の大きさが強調されています。新潟はロシア2都市から直行
便が飛んでいるので直接影響がありますから報道も詳しいのかもしれません。
一刻も早い救済と復旧を願います。
No.656 Re4: 「カムチャツカ地方」の誕生 ニジェガロージェッツ [2007/07/19(木)04:20:50]
めるさん、カムチャツカ地方の「噴火紋章」の画像ご紹介有難うございます。拙カムチャ
ツカ地図にまでコメント頂き、恐縮です。
それにしても、いかにも・・・という「カムチャツカらしさ」を青、赤、白、黒の4色で
シンプルに表した紋章ですね。
見様によっては、大噴火でまさに終末を迎えた火山島が海へ没する、いや、逆に火山新島
の誕生のようにも見え、インパクト抜群です。

現実問題としては、かような火山活動で住民の生活に被害が出ないことを祈るばかりです
。

: 新潟中越沖地震は16日、17日の両日テレビで1日に何度もやっています。
: 黒鉛を上げる原発、倒壊した家屋、インタビューに答える被災者、最初は死者無しだった
: のが3名、8名、9名となり被害の大きさが強調されています。新潟はロシア2都市から直行
: 便が飛んでいるので直接影響がありますから報道も詳しいのかもしれません。
: 一刻も早い救済と復旧を願います。

残念ながら現在のところ10名の犠牲者が出ていますが、これからも避難先や仮設住宅での
生活難などで命を落とす被災者も出ないとも限りません。特に中越の場合は3年前にも震
災に遭っており、先の震災から立ち直りかけたところへ再度の被災で、心が痛みます。
柏崎刈羽原発については、施設の一部で安全性の確認ができなかったとして、柏崎市から
緊急使用停止命令を出ています。

: この疑問をぶつけてみたところ、ソチはロシアを代表するリゾートで大統領や諸外国
: 官僚の別荘などもあるので何かあったらロシアの面子丸つぶれ、他地区と比べ物にならな
: いほど警備と管理が厳しいのだそうです。
: その話を聞いてへえ〜と思いましたが、オリンピックとなるとどうなるのか・・・

オリンピック開催ともなると、各地からソチ市へのアクセス、特にモスクワ―ソチ間など
、広大な領域を対象にした警備が必要かと思います。
オリンピック開催を「錦の御旗」にして、警備の名のもとにチェチェン紛争などへは強権
的な手法で更に徹底した弾圧を加えそうで、そう考えると恐いですね。
No.657 人口の減少幅は縮小傾向に ニジェガロージェッツ [2007/07/26(木)00:56:19]
ロシア連邦国家統計局のサイト http://www.gks.ru/ には、2007年1月1日の連邦構成体別
の人口(総人口、都市人口、農村人口)が掲載されています。

2006年1月1日人口および、それ以前各年の人口推移と比べて特徴的なのは、依然全国的に
人口減少傾向にあるものの、その減少幅は縮小傾向にあることが目立ちます。

2006年1月1日人口と比べて増加している連邦構成体は
モスクワ市、モスクワ州、ベルゴロド州、クラスノダール地方、イングーシ共和国、チェ
チェン共和国、ダゲスタン共和国、チュメニ州(本州)、ハンティ=マンシ自治管区、ヤ
マロ=ネネツ自治管区、アルタイ共和国、トゥヴァー共和国、ウスチ=オルダ・ブリャー
ト自治管区、アガ・ブリャート自治管区、サハ共和国の15連邦構成体でした。
そのうち、ベルゴロド、モスクワ州、クラスノダール、チュメニ本州、ウスチ=オルダ・
ブリャートは、減少から増加に転じています。

一方、増加から減少に転じたのはネネツ自治管区のひとつ、減少幅が拡大したのもスタヴ
ロポリ地方とカルムイキア共和国の2連邦構成体のみとなり、残り67連邦構成体はいずれ
も減少傾向にありながらも減少幅は縮小しています。

拙サイトでは「2002年以降の連邦構成体別人口推移」に2007年1月1日人口欄を追加し、2006
年1月1日人口との増減も計算しておきましたので、ご興味のある方は是非ご覧下さい。
参考: http://dvor.jp/subekt.data.2002~1.htm
No.658 宍道湖 らるふ [2007/08/11(土)15:25:17]
こんにちは、お久しぶりです。
昨日、島根県の宍道湖の湖岸をドライブしてきました。6キロメートル程度の幅が十数キ
ロ続く長方形に似た宍道湖の対岸を眺めると、川幅6キロの大河が何となくイメージでき
る気がしたので、「ヴォルガなど大陸の大河というのはこんな感じに見えるのだろうか?
・・・」と思いをめぐらせていました。二年ほど前の川幅についての話題を思い出したの
で、ちょこっと書いて置きます。ではでは、また。
No.659 川幅 ニジェガロージェッツ [2007/08/11(土)21:52:40]
らるふさん、こちらこそご無沙汰しております。
宍道湖へのドライブ、楽しそうですね。羨ましい〜。
とはいえ、フェーン現象の続く日本海側独特の酷暑の中、お疲れさまでした。

小生も宍道湖方面へは行ったことがあります。南岸から見る北岸は山並みが連なる島根半
島の絶景ですが、ヴォルガの方は平原続きでちょっと趣が違うかもしれません。
もっとも、小生の居たニジニ・ノヴゴロド付近のヴォルガの川幅は比較的狭く、広いとこ
ろでも2Km位です。
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&t=k&om=1&ll=56.324152,44.088135&spn=0.708169,1.384277&z=9

丁度、2003年に現地を訪れたMishaさんよりご提供いただいた写真に、ニジニのヴォルガ
の川幅が良く分かる眺めが収められています。是非ご覧下さい。
http://dvor.jp/photogallery_nnov2003.htm

一方、ニジニから400kmほど下流、カザン市を過ぎた辺りでヴォルガはカマ川と合流しま
すが、その辺りの川幅は(人造湖の水面ではありますが)優に20kmを超えており、これは
もう大阪湾を思わせる「川幅」でした(笑)
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&t=k&om=1&ll=55.311954,49.430237&spn=0.726833,1.384277&z=9
No.660 京阪神訪問 その1 ツポレフ154 [2007/08/19(日)14:39:04]
ニジェガロージェッツ さん、こんにちは。
「都道府県市区町村」サイトの"昭和76年(2001年)の神戸市”の記事は面白かったです
。1975年当時は神戸空港計画はなく、北区を分区する案があったのですね。

さて、京阪神に先日行って来ました。ロシアの地理から外れる点が多いのですが、ニジェ
ガロージェッツ さんご地元の神戸に久し振りに行ったり、ウクライナやロシアとの姉妹
都市に行っていますので、ご容赦頂ければ幸いです。

@京都市では、姉妹都市のキエフから贈られた友好記念碑を見ました。小さい記念碑です
がソフィア寺院やウクライナ国章等が描かれ、キエフ市民の心意気や民族意識がひしひし
と伝わってきました。
京都市HP
http://www.city.kyoto.jp/somu/kokusai/contents/sister/kiev/youkou.htm

A洲本市(淡路島)では高田屋嘉兵衛ゆかりの地に行きました。記念館の展示も充実して
いましたし、高田屋嘉兵衛・ゴロウニン・リコルドの子孫が186年目に再会したことがき
っかけとなって洲本市とサンクト・ペテルブルク市クロンシュタット区が姉妹都市になっ
たことは素晴らしいとおもいます。
菜の花ホールHP
http://www.takataya.jp/nanohana/nanohana.htm

この二つはジェガロージェッツ さんのところから比較的近いので、見に行かれたことで
しょう。

B神戸について、ゴチャゴチャと。
・三ノ宮駅を降りると、京都や大阪と違った風を感じました。海風と思われ、"ミナトコ
ウベ”を感じました。
・”京橋”は神戸にもあるのですね。存じませんでした。
・第五管区海上保安本部(中央区波止場町)に行き、資料を頂きました。本部前に巡視船
艇が停泊していたのが嬉しかったです。
http://www.kaiho.mlit.go.jp/05kanku/

・南京町(2回目です)をチョット歩きました。お腹一杯だったので食べませんでしたが
、立ち食いなど横浜中華街より庶民的で好きです。
・日中は走らない通称"和田岬線”に乗りました。兵庫駅連絡改札を切符の面では和田岬
駅とみなしてここで切符を回収するのは東京の東武大師線と同じですね。和田岬駅は予想
通り三菱重工神戸造船所のための駅でしたが、造船所から多くの女の方が出てきたこと、
商店が結構あること、地下鉄海岸線の駅が隣にあるのが意外でした。あと、沿線にある川
崎重工に東京のJR東日本・中央線用の新車が止まっているのにはビックリしました。ちな
みに山形・秋田新幹線電車もここの製造です。

・三菱重工神戸造船所で思い出しましたが、ここで潜水艦を建造しておりますので神戸と
ニジニ・ノブゴロドの共通点の一つが"潜水艦建造”ですね。ただ、ニジニ・ノブゴロド
は内陸なのでいくら大きな川とはいえ、ボルガ川を潜水艦が自力で航行できるのでしょう
か?台船に載せるのかな?"潜水艦はどうやって運ぶのでしょう?”

長くなりましたので一旦切ります。
 
No.661 京阪神訪問 その2 ツポレフ154 [2007/08/19(日)15:25:56]
続きです。

・三ノ宮駅や兵庫駅は戦前の高架駅で、重厚長大さを感じました。ただ、三ノ宮駅は23万
人の乗降客があるにもかかわらず階段3箇所ととは少ないですね。ところで、神戸駅(乗
降14万人)より三ノ宮駅のほうがずっと賑わっているのはなぜでしょうか?元々街の中心
が神戸駅周辺だったのが、三宮に移動したのでしょうか?
ちなみに神戸市内のJR駅の乗降順位は上から三宮・神戸・元町(9万)・住吉・垂水(各7
万)・六甲道(5万)・摂津本山・灘・舞子・新長田(4駅とも約4万)の順です。隣接す
る明石は10万、芦屋は6万になります(各駅とも千人以下四捨五入)。

・鷹取駅の操車場が神戸貨物ターミナルになったり、北側に高層マンションが出来るなど
すっかり変わっていたのにはビックリしました。

・山陽線は須磨を出ると海辺を走りますね。ここも久し振りでしたが、街の中から急に海
辺に出るので、初めての人は驚くかもしれませんね。市街地から海水浴場が近いのが他の
大都市との大きな違いだと思います。

・三宮は葺合(ふきあい)警察署の管内なのですね。読めませんでした。

・明石の手前山側の大時計を見て、この街が日本標準時・東経135度の街であることを思
い出しました。明石市立天文科学館の時計だそうで、機会があれば行って135度を実感し
たいと思いました。
あと、ウィキペディアを見て驚いたのですが明石市と神戸市の合併構想があり、住民投票
で否決されていたのですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3

長くなってすみませんが、以上です。
 
No.662 Re: 京阪神訪問 ニジェガロージェッツ [2007/08/20(月)01:18:02]
ツポレフ154 さん、いつも面白い話題ありがとうございます。
京阪神へお越しとのこと、酷暑の中お疲れ様でした。

: 「都道府県市区町村」サイトの"昭和76年(2001年)の神戸市”の記事は面白かったです

あちらの掲示板まで読んで頂いていたとは、お恥ずかしい限りです。

京都市のキエフ市との友好記念碑は見たことはありませんが、淡路島の五色町(現・洲本
市)の高田屋嘉兵衛記念館には14年前に行ったことがあります。江戸期の蝦夷地への航路
に関するものや、ゴローニン事件を主に当時の日露関係を物語る展示品が充実しており、
興味深かったのを覚えております。


: ・三菱重工神戸造船所で思い出しましたが、ここで潜水艦を建造しておりますので神戸と
: ニジニ・ノブゴロドの共通点の一つが"潜水艦建造”ですね。ただ、ニジニ・ノブゴロド
: は内陸なのでいくら大きな川とはいえ、ボルガ川を潜水艦が自力で航行できるのでしょう
: か?台船に載せるのかな?"潜水艦はどうやって運ぶのでしょう?”

小生の間違いでなければ、日本で潜水艦を建造しているのは三菱重工神戸造船所と川崎造
船神戸工場の2ヶ所。一方、ロシアで潜水艦を造っているのはヴォルガ河のニジニ・ノヴ
ゴロドとアムール河のコムソモリスク=ナ=アムーレの2ヶ所だと記憶しております。
ロシアの潜水艦建造都市がどちらも外洋に面している海港ではなく、内陸部の河港都市で
あるところは面白いところです。
実際にヴォルガを航行する潜水艦を見たことはありませんが、あれ程の大河となると、特
に潜水艦の航行に支障はないのではないでしょうか。

: 神戸駅(乗降14万人)より三ノ宮駅のほうがずっと賑わっているのはなぜでしょうか?
: 元々街の中心が神戸駅周辺だったのが、三宮に移動したのでしょうか?

そのとおりです。
明治初年には現在の神戸駅周辺は、ちょうど開港場となった神戸と、古くからの都市兵庫
の中間地点になります。神戸と兵庫が合体して神戸区→神戸市と街が一体化するのにあわ
せて、神戸市の行政の中心地として整備されていきました。戦前の一大繁華街は神戸駅に
近い湊川新開地にあり、一方で当時の三宮は神戸の東のターミナルという位置づけでした
。

戦後、特に昭和32年に神戸市役所、神戸国際会館、神戸新聞社(=いわゆる三宮トリオ)
が三宮に建設され、神戸の都心は東の三宮へ移りました。また昭和43年に神戸市内へばら
ばらに乗り入れする4私鉄を結ぶ神戸高速鉄道が開通するまで、阪急は三宮、阪神は元町
が終点でした(因みに山陽は兵庫、神鉄は湊川どまり)。
大阪と結ばれている私鉄が三宮・元町どまりだったのも都心が神戸駅前から東へずれてい
った一因ではないかと思います。

: ・三宮は葺合(ふきあい)警察署の管内なのですね。読めませんでした。

三宮は葺合署と生田署に分かれています。今の中央区ではなく、旧区名で言えば、JR三宮
駅、阪神百貨店、国際会館は葺合区ですから葺合署。阪急三宮駅、さんプラザのある三宮
町、神戸市役所は生田区ですから生田署です。
但し、海岸の方は神戸水上署の管轄です。
 
: あと、ウィキペディアを見て驚いたのですが明石市と神戸市の合併構想があり、住民投票
: で否決されていたのですね。

昭和29年に神明合併は破談となりましたが、もともと明石郡に属し、明石の後背地の多く
が神戸市西区になっているのは、明石市そのものが神戸市の合併対象になっていた当時の
事情の名残です。
その辺りの経緯は、以前に「都道府県市区町村」の掲示板「落書き帳」に寄稿したことが
あります。ご参考までに。
http://uub.jp/frm/8500.html#8578
 
No.663 お礼 ツポレフ154 [2007/08/23(木)20:49:42]
ニジェガロージェッツ さん、こんばんは。
お答えありがとうございます。

・たしかに潜水艦は隠密が命ですから秘密の時間に自力航行でしょうね。ただ、安全上ほ
かの船に通航規制をかけるでしょうから、水運関係者は潜水艦通過だと見当がつくでしょ
う。おっしゃる通り日本で潜水艦を建造しているのは神戸の二社のみです。

・やはり市街地が東に移動したのですね。”神明合併””三宮トリオ”は初めて聞く言葉
で、地元の方でないと知らないと思います。
明石市の北側が神戸市になっているのも地図を見て不思議に思っていましたが合併予定が
あったからなのですね。明石の市外局番が078なのは、合併構想の名残なのでしょう。武
庫川から加古川までの合併とはなんとも大風呂敷な話で、実現すれば”神戸市芦屋区””
神戸市加古川区”ができていたのでしょうか。

・警察の境界線から推察すると、おおまかにいってJR三ノ宮駅西側が昔の区界だったので
しょうか。私が見た葺合警察署の看板は、JR三ノ宮駅東側の神姫バス(しんき ばす)の
りば脇だったので同署の管轄だったのですね。小さいころ時刻表でこのバス会社を見たと
き、読めませんでした。わたしはこのバス乗り場から神姫バスの高田屋嘉兵衛公園行きに
乗って訪問したわけです。

以上です。
 
No.664 Re: お礼 ニジェガロージェッツ [2007/08/25(土)00:36:02]
ツポレフ154 さん、いつもレス有難うございます。
今日は神戸について少々補足させてください。
 
: ”神明合併””三宮トリオ”は初めて聞く言葉で、地元の方でないと
: 知らないと思います。

いや、地元でもあまり知られている言葉ではありません。どちらも1950年代の言葉で、現
在の神戸では忘れられた亡霊のような言葉といっても良いでしょう。
小生は以前、都市計画や神戸の街の生い立ちについて調べるのが好きで、25年以上前です
が神戸市の文献などを読み漁っていた時期がありました。それらの中に「神明合併」や「
三宮トリオ」が登場していました。なお先の拙稿No.662にて「三宮トリオ」のひとつを「
神戸新聞社」としていましたが、「神戸新聞会館」がより正確かと思います。現在の「ミ
ント神戸」です。

: 明石の市外局番が078なのは、合併構想の名残なのでしょう。

確固たる確信があるわけではないのですが、神明合併は昭和20年代のプランで、当時は市
外局番の制度がなかったことから、明石が078になっているのは、偶然だと思います。
神戸の西で078になっているのは明石市だけではなく、播磨町の東部、加古川市平岡町土
山まで078地域です。

: ・警察の境界線から推察すると、おおまかにいってJR三ノ宮駅西側が昔の区界だったので
: しょうか。

正にその通りです。JR三ノ宮駅の西側(というより真下)を通称「フラワーロード」とい
う、神戸のメインストリートが通っています。この通りの東(布引町以東)が菟原郡葺合
村→神戸市葺合区で、西(加納町以西)が八部郡神戸町→神戸区→神戸市神戸区→神戸市
生田区でした。
(以前に「落書き帳」にてこれに一部関連する記事を変な略図を添えて書いたことがあり
ます)
http://uub.jp/frm/54300.html#54321

なお、この「フラワーロード」かつては生田川の川筋でした。紀州人加納宗七によって明
治4年に現在の新生田川に付け替えられました。

: わたしはこのバス乗り場から神姫バスの高田屋嘉兵衛公園行きに乗って訪問したわけです。

三宮から高田屋嘉兵衛公園行きのバスですか。これは存じませんでした。もう一度再訪し
てみたくなりました。情報ありがとうございます。
 
No.665 神戸 続き ツポレフ154  [2007/08/29(水)22:41:41]
ニジェガロージェッツ さん、こんばんは。

昭和20年代に市外局番が無かった事ははじめて知りました。やはり神戸市の隣芦屋市や三
田市(さんだし)の市外局番が078でないため合併構想の名残だと思い込んでいたのです
。
三ノ宮駅から市役所への通りをフラワーロードというのですね。菟原郡(うばらぐん)、
八部郡(やたべぐん)も読めませんでした。神戸周辺にはよそ者に読めない地名が結構多
いように感じます。他に鵯越(ひよどりごえ)や夙川(しゅくがわ)などがそうですね。

あと、首都圏には”谷”を”や”と読む地名が多いので、名谷(みょうだに)は”みょう
や”、谷上(たにがみ)は”やがみ”だと最初は思っていたように記憶しております(う
ろ覚えですが)。

三田(さんだ)も首都圏の人の多くは慶應義塾大学がある”みた”と読みそうです(”み
た”は東京都港区)。逆に関西出身で慶應義塾大学を受験する人は最初”さんだ”と読む
のではないでしょうか。

ところで、JR宝塚線の道場駅(どうじょう えき)はこの線で唯一の神戸市にある駅(JR
の長距離切符”神戸市内”に含まれない)ですが、近くに水源の千刈水源池(せんがりす
いげんち)があるから神戸市なのでしょうか。また、同じJR宝塚線の西宮名塩駅(にしの
みや なじお えき)も地形的にはかなり不自然で西宮市よりも宝塚市の方が自然な感じ
がします。これも水源がらみなのでしょうか。最初通った時”なぜここが西宮?”と思い
ました。

菟原郡の存在を知ったのは実はロシアがらみです。木崎良平「光太夫とラクスマン」(刀
水書房)に江戸時代にロシアへ漂流した13の例が挙げられていますが、その8例目が菟原
郡御影(みかげ)の船歓喜丸とありました(大黒屋光太夫は5例目)。

高田屋嘉兵衛公園行きのバスは三ノ宮を出ると高速舞子(こうそくまいこ、JR舞子駅や山
陽電車舞子公園駅の真上)にも止まりますので、ここから乗るのも手でしょう。記念館は
五色バスセンター下車ですが、最近できた菜の花ホール(186年目の高田屋嘉兵衛・ゴロウ
ニン・リコルドの子孫再会写真もあり)や日露友好の碑( 高田屋嘉兵衛とゴロウニンの
銅像)は終点高田屋嘉兵衛公園下車です。
淡路交通HP(神姫バスと共同運行)
http://www.awaji-kotsu.co.jp/bus/info_time_exp.html

あと、鉄道好きの立場からみると、神戸地区のJRの駅で流れる接近ベル
に神戸らしさを感じました。このベルは海をイメージしたものだそうで、塚本〜尼崎〜神
戸〜姫路〜上郡(かみごおり、兵庫県の西端の駅で次の駅は岡山県)など、ほとんどが兵
庫県の摂津・播磨でのみ使われます。

JR西日本の放送・メロディー(三ノ宮か西明石をクリックしてください)
http://www47.tok2.com/home/cs381/eki-jr-nishinihon.html


長くなりましたが、以上です。
 
No.666 山口・塩瀬について ニジェガロージェッツ [2007/09/02(日)12:11:50]
ツポレフ154さん、引き続き神戸についてのご感想に、高田屋嘉兵衛公園行きのバスにつ
いてもご説明くださり、有難うございます。
また「駅のメロディー」を扱う面白いサイトをご紹介頂き、感謝申し上げます。

そうですか、JR神戸線の駅メロは海をイメージしたものでしたか。日常生活で耳にするメ
ロディーなので、特に意識していませんでした。
ここ6年ほど東京や成田へはご無沙汰で、東京駅のメロディーは懐かしく思います。首都
圏の主要駅は乗降客が多いためか、注意喚起のために接近・発車メロディーに「不協和音
」的な、ちょっと耳に障るような感じのメロディーを取り入れているように感じます。こ
れが小生のようなよそ者には却って新鮮に感じるというか、何ともいえない魅力を感じま
す。
各駅のメロディーを聴いていると、旅に出たような気分になります。感動しました。

: あと、首都圏には”谷”を”や”と読む地名が多いので、

確かに、そうですね。関西では「谷」は「たに」が多数派です。大阪府池田市の「渋谷」
も「しぶたに」と読みます。谷とは無関係ですが、須磨区の「板宿」もよく読み間違えら
れる地名で「いたじゅく」とやられます。正しくは「いたやど」です。

旧有馬郡に属し、現在では地理的に宝塚市の後背地にあたる山口村、塩瀬村、道場村の神
戸市、西宮市への編入についてですが、これは千刈貯水地とはあまり関係がないと思いま
す。もちろん、水源の確保は魅力があったでしょうが、それ以前の問題として、この有馬
郡の3村が神戸や西宮に編入された昭和26年当時、宝塚市は存在しませんでした。

宝塚市は今では人口20万人を超える都市に成長していますが、その成立はかなりの難産だ
ったようです。
昭和20年代当時、現在の宝塚市を構成する武庫郡良元村、川辺郡小浜村(後に宝塚町)、
長尾村、西谷村のうち、良元は西宮市、長尾村は伊丹市より合併の誘いがありました。実
際に長尾村の一部は伊丹市に編入されています。また同じ川辺郡の小浜、長尾、西谷3村
に川西町を加えた「摂津市」の構想もあり、武庫川を挟んだ武庫郡良元村と川辺郡小浜村
の合併による「宝塚市」の成立は流動的で、少女歌劇以外に大した産業(財源)も無い、
人口3万程度のところが市制を敷いてやっていけるのかと周辺の既存都市より疑問が呈さ
れていました。

一方、有馬郡では昭和22年に有馬町、有野村が神戸市に編入されたのを機に、隣接する大
沢村、八多村、道場村、山口村、塩瀬村の5村は神戸市への編入を希望し、神戸市会など
に陳情していました。しかし、そのうち山口、塩瀬2村については、神戸市の広大化を望
まない兵庫県により反対されました。当時は地方自治法には、ちょうど現在のロシアのモ
スクワ市やサンクト=ペテルブルク市のように、府県から完全独立した「特別市」の制度
が明記されており、これに神戸市を含む五大市(大阪、名古屋、横浜、京都、神戸)が指
定されるのが時間の問題とまで言われていました。神戸市域の拡大は、すなわち兵庫県域
の縮小につながることから、それを望まなかったと言うことでしょう。
当然この制度は大阪府、愛知県、神奈川県、京都府、兵庫県の猛反対にあい、結局「特別
市」には一市も指定されること無く、それに変わり「政令指定都市」制度が設けられまし
た。

神戸市への編入が絶望となった山口村と塩瀬村に対し、西宮市は合併話を持ちかけます。
どうしても武庫川西岸の良元村を手に入れたい西宮市としては、山口・塩瀬を市域に取り
込み、良元を南北から挟む、現在の形になりました。昭和26年4月1日のことです。
この3か月後、昭和26年7月1日には大沢村、八多村、道場村が神戸市への編入を果たし、
更に3年後の昭和29年4月1日、良元村は武庫川東岸の川辺郡宝塚町とついに合併、宝塚市
が誕生しました。翌年には長尾村の大部分と西谷村を市域に加え、現在に至っています。
 
No.667 合併・バレエ・ベル・大黒屋光大夫 ツポレフ154 [2007/09/10(月)20:00:34]
こんばんは。
@お答えありがとうございます。明治時代に多摩川水利権確保のため多摩地区が神奈川県
→東京府という例があったため道場や西宮名塩の神戸市・西宮市編入が水利権がらみかと
思っていたわけです。なかなか複雑な事情があったのですね。

A関連でモスクワやサンクト・ペテルブルクが連邦直轄なことに触れられていましたが、
先日東京でこの二都からボリショイ・マリインスキーの大物が来て踊る”合同ガラ”が上
演され、見に行ってきました。大変すばらしい出来ばえでさすがでした。

B発車ベル・入線ベルは確かに旅情を感じるものがありますね。
私が好きなのは岡山駅で「桃太郎」「瀬戸の花嫁」のようなご当地の曲や「いい日旅立ち
」「汽車」のように鉄道にちなんだ曲が
あって、その上に”高松行””備中高梁行”という放送が付くと、岡山・瀬戸内を感じて
また行きたくなります。

C大黒屋光大夫の記録によると、1791年当時のニジニ・ノブゴロドでは、銅貨と銀貨が鋳
造されていたとのこと。また、光大夫は
エカテリーナ2世から帰国許可を得てサンクト・ペテルブルクからイルクーツクへ戻る途
中の同年暮れにこの町で滞在し、総督を表敬訪問しております。なお、イルクーツクから
サンクト・ペテルブルクへ行くときはモスクワで一泊しただけであとは橇で寝るというと
んでもない強行軍だったので、ニジニ・ノブゴロドには滞在していません。

参考文献:山下恒夫「大黒屋光大夫 史料集 第三巻」「同 第四巻」(日本経済社)

以上です。
 
No.668 訂正 ツポレフ154 [2007/09/10(月)22:41:23]
訂正です。
参考文献:山下恒夫「大黒屋光大夫 史料集 第三巻」「同 第四巻」の出版社を日本経
済社→日本評論社 に訂正します。すみません。

日本評論社HP
http://www.nippyo.co.jp/ 
 
過去ログ7 へ 掲示板 ヤールマルカ へ

このページのトップへ▲